問い詰められても男は飄々と

 電話しない、と互いに言ったけれど、訳が違う。

 と、吉瀬好は自分に言い聞かせながら、小嶋貴大の番号をコールしていた。だが、繋がる気配はなく、吉瀬は焦りと同時に怒りに駆られていた。

「出ない」

 絶対に吐かせる、と吉瀬は息巻いているのだが、頭ではそんな事せずとも、聞けば小嶋は答えると分かっている。

 それでも、今すぐにでも小嶋を足止めし、問い詰めなければ、と思わずにはいられないのだ。

 再び小嶋の番号をコールする。

「ッチ、またか」

 ボソリと呟く声が聞こえ、吉瀬は振り返る。

 スマホを片手に歩き去ろうとする小嶋がそこにいたのだが、彼は吉瀬に気付いていないらしく、そのまま電話を切った。

「小嶋!」

 はっきりとした声だった。

 患者よりも関係者が多い廊下で、こんなに大きな声を出したことが吉瀬はなかった。が、気にせず小嶋に駆け寄り、纏っている白衣の襟元を掴んだ。

「顔、貸してくれるよね?」

「拒否権、ないよね」

 拒否する気もないくせに、小嶋は冷たい美女を煽るために言う。吉瀬は冷静にそれを無視し、襟元を掴んでいる手の力を弱めず、そのまま引き摺っていった。

 程なくして、人気の少ない非常階段へと辿り着く。

「あんた、私にどのくらい嘘吐いてた?」

 問われた小嶋は、吉瀬をなおも煽ろうと言葉を選ぶ。

「どのくらい、っていうのは頻度?程度?どの意味で?」

「どっちも」

「あー、それなら……結構、かな」

 予想に反しない返答に、吉瀬は頷いた。「だよね」と、小さく呟き、深呼吸をした。

「臨床試験の被験者リスト、あんたが作ってるって」

「ああ」

「今回のも」

「ああ」

「万莉のことも」

「……ああ」

 パンッ、と乾いた音が響く。小嶋は頬がヒリヒリとするのを実感しながら、随分弱々しいビンタだ、と冷静に考えた。

「幡野万莉は、今回の試験において優秀すぎる程優秀だ。一度も目覚めず、確実な変化をもたらしている。……違うか?そうじゃなければ、お前はこんなふうにキレたりしない」

 静かに、しかし、自身の選定により選られた成果に打ち震える声で、小嶋は努めて冷静に語り掛ける。

 俺の手柄だ!

 と、小嶋は叫びたいのを必死に押し殺していた。

 何人もの失敗をしたと言えば、この大きな成果はとんでもないものだ、と。

 実際に、小嶋の身近で起きた変化について上林に報告すると、大層喜ばれた。

「俺もな、巻き込まれたところなんだよ」

 隠し切れない興奮は段々と色濃く声に滲み出、吉瀬を煽るのに一番の材料となった。

「一年以上前に別れた女が、まだ俺と付き合ってる、とかほざいて、勝手にうちの風呂使ってたんだ。おまけに昨日から泊まってるとか言い出して逆ギレだ。……一旦、機嫌取るのに外に出たが、別れた原因からもしかしてって思って、被験者のリストを見せたら……ビンゴ!二股三股掛けてる男の一人だったよ。昨日そいつのカウンセリングを担当した奴に聞いたが、相当イラついたらしいぞ」

「ねぇ」

「歯切れの悪い話し方な上に要領を得ないわなんだって、ボロカス言われててさ。まぁ典型的な被験者だ。幡野は違ったが、意志薄弱で自己主張がなくて、流されやすいタイプだって、悪い子ではなさそうだって言われてたな」

「ねぇ」

「……なに」

「殴るよ」

「さっき殴ったろ」

 ドン、と吉瀬は小嶋の胸元を殴った。

「んだよ」

「私の友達をどうしたいの」

「どうなるかなんて知らないね。幡野の選択次第だ。親友だったんだろ?何をそんなに焦ってんだ」

 吉瀬は黙り込み、昨日自宅で起こった変化を思い起こす。

 幡野万莉の隣から自身が消えたこと。代わりに現れた外塚への激しい嫌悪感。短くなってしまった幡野万莉からのメッセージ。

 思い出しただけで、吉瀬は泣いてしまいそうだった。口にしようものなら、嗚咽で言葉として成り立たないであろうと思えた。

 だが、語らねばならない。

 上林よりも先に、この腐れ縁に。

「卒業式の写真」

 やっとの事で出した声は、やはり震えていた。小嶋はそれをじっと聞いており、茶化すこともせずに、胸元にある吉瀬の冷たい手を柔く握った。

「万莉と撮ったのが、私……いなくなった」

「うん」

「卒アルに、ま、万莉に書いてもらった、メッセージ、短くなって……また遊ぼうって、書いてあったのも、なくなって……」

「……うん」

 幼い子供のようなか弱い声を聞いて、泣くのを我慢していると、小嶋は察した。

「一回、泣けば」

「うるさい」

「そうね」

 どうしたものか、と考えながら、小嶋は吉瀬を落ち着かせようとするでもなく、ただじっとしていた。

「万莉は、私と友達なの、嫌だったのかな」

「それは、関係ないだろ」

「わかんないでしょ」

「そうだけど、それもわかんないだろ」

「そう、だけど」

 吉瀬には、どの言葉も慰めにはならなかった。だが、小嶋も小嶋で慰める気などなく、ただ吉瀬の言葉に思ったように返しているだけだった。

「なぁ、吉瀬」

 溜息に乗せて、小嶋は珍しく吉瀬を呼んだ。

 お前さ、とかそんな呼び方もできたことは、小嶋も分かっていた。それでも、今は苗字だろうと、彼女を読んでいると分かる言葉がいい、と小嶋は判断したのだ。

 静かに再び息を吐き、小嶋は言葉を選んだ。

「これから、きっともっと変わる。お前も、今みたいに働いていれるか保証がない。覚悟、しなきゃだぞ」

 小嶋は胸元にある拳がさらに固く握られるのを感じながら、それでもやはり、この臨床試験の結末に胸が躍った。

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