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 ドンドンドン、ドンドンドン——

 木を叩く、くぐもった音が響いている。

 ドンドンドン、ドンドンドン——

 なんだ、朝か?アラームは鳴らないけど、なんだ?

「おーい、依田!大丈夫か?」

 誰の、声だ?

「お客様ー?開けますよー?」

 カチャッ。

「ん……ぇ?」

 見慣れないジャージを着た男子と、よく知る緑のエプロンと浅いコック帽を被った女性が俺を見下ろしている。

「なんだよ、便所で寝てたのかよ。スンマセン、お騒がせしました」

「いいえ、よかったです。では、失礼しまーす」

 状況を飲み込めず、ひとまず立ち上がることにした。ギシッ、と少し関節が痛む。

「大丈夫かよ。具合悪いっつって篭ったきりだったけど」

「あ、ああ…‥大丈夫」

 見慣れないジャージを着ている男子は、よく見ると宮広だ。だとすれば、俺は函館のハンバーガーショップで眠りこけていたことになる。

「悪い、田内は?」

「は?田内?田内はこっち来てないだろ。寝ぼけてんのか」

「え、いや……五人で来たじゃん」

「五人?俺とお前と田内と、あと誰と誰?」

「え、野村と花井」

「いつの話だよ。それアレだろ、中三の時田内の親父さんが連れてきてくれた時の」

「そ、そう、それ」

 アレ、と思ったが、見慣れないジャージを着ているのは、宮広だけではなかった。

 俺も着ている。

 胸元に『HAKUYO』とプリントのある、青とグレーのなんとも言えないジャージ。

 高校生の時、街で見かけると「うわっ」と勝手に負けた気分になっていたジャージ。

「……マジか」

「あ?何が?つか、メシ冷めるから早く行くべ」

 宮広に腕を引かれ、明るい店内へと向かう。

 ボックス席や、壁に沿って設置されたソファーとそれと対になるように並んだテーブルとダイニングチェア、角に追いやられたテーブル席、ひっそりと隠れたカウンター席がある懐かしい店内。

 その殆どを、色や形は違えどジャージを着た男女が埋めている。

「あ、やっと来た!」

 この数日——数時間かもしれない——で聞き慣れた声が聞こえ、顔を向ければ花井が手を振っていた。

「あれ、待ってたの?食ってたらよかったのに」

「ウチらの今来たんだもん」

「あ、そう」

「ごめん、待たせて」

 ウチら、と言ったことを疑問に思いながら、花井の隣に目を向ける。

「大丈夫?お腹痛いの?」

 と、心配そうに俺を見る野村がいた。

「え……あ、うん……大丈夫」

 歯切れ悪く答えると、宮広が片眉を吊り上げて俺を見た。

「どうしたよ。早く座れば」

「ああ、うん」

 はっきりと全員の進学先を覚えている訳ではないが、目が覚めるまでの間見ていた夢の中で、宮広は俺が町から出ていくことを、地元から近い北高に進学しないことを残念がっていた。

 つまり、“現実”では宮広は北高に進学した。

 野村の進路は少しばかりクラスでも話題になった。というのも、成績が良く内申点も申し分ないのに、親からの強い勧めで北高に進学したからだ。

 花井のことは何も知らない。花井は根っからの陽キャだ。今まで関わり合いになることはなかった。

「二人とも、遊びに来てんの?」

「なに言っての?ウチら函館進学組ですけど。宮広だって、超勉強がんばったんだよねー?」

「そうなん?」

「え、ああ。俺依田みたいに勉強できた訳じゃないからね」

「え、じゃあなんで白楊はくようにいんの?」

「お前の影響」

「俺?」

 特に何かをした訳ではない。確かに、接しやすくなった、と言って函館に五人で遊びに行く前から少しずつ話す頻度は多くなっていたし、その後も話していた気がする。

「いいから食わん?」

「ああ、いただきます」

「いただきまーす」

 花井は大きなオムライスにスプーンを突き立て、一口サイズにしてはパクパクと食べていく。隣に掛ける宮広は豪快にハンバーガーにかぶりつく。ゴロゴロとした大きなフライドチキンがバンズに挟まれた、この店の人気メニューだ。宮広の向かいでは、野村が美味しそうにカレーを頬張っていた。

「俺の影響って、どゆこと?」

 目の前にあるニオンリングやフレンチフライ、ミートソースとホワイトソースがバンズから溢れたオリジナルバーガーのセットは、オレの好物で、これだけで腹いっぱいになる。ナイフとフォークを使って一口大に切り分けながら尋ねると、宮広はしばらく咀嚼のために黙り込んだ。

「ん、言わなきゃダメ?」

 ある程度を飲み込んだのか、モグモグと口を動かしながら、宮広は答えたくなさそうにした。

「え、いや……別に」

「いや、いいけど」

「なら喋れよ」

 手を翳して、待て、と示す。口の中にあるものを飲み下し、ウーロン茶を一口飲んでから、宮広は咳払いをして話し始めた。

「それこそさ、中三の夏にこの四人と、田内の五人で函館に来たじゃん。その時にさ、真剣に問題集選んでる依田を見て、あ、コイツ人生かけてんだな、ってなんか思ったんだよね。俺なーんも考えてなかったから、尊敬してさ。スゲェなぁって。そう思ったら、自分が恥ずかしくなったんだよね。だから、一回マジで頑張ってみようと思ってさ。最初は、白楊は絶対無理だって石野にも言われたけど、根性でどうにかしたよね」

 思っていたよりも、かなりしっかりと影響を与えていたらしい。

「私も、依田のお陰でしたいことに挑戦しようって思えたかなー。一番は美歌が美味しいパスタ屋さんに連れてってくれたのが理由だけどね。まぁ、みんなとは離れちゃったけど、美歌も宮広もいるし、函館メンで集まればいいやーって」

「あそこ、また行こうね」

「ね」

 つまり、最低でも三人の人生を変えたことになる。俺もそうだが、他人の人生にまで影響するとは。

「ちょい、こっ恥ずかしい思いしっぱなしの俺をどうにかして?」

「え、ああ、ごめん。なんか……ありがと」

「なんか、て」

 花井と野村が顔を見合わせて笑い、宮広は照れ臭そうな顔でいた。

「函館来てよかったわ。頭いい奴ばっかで落ち込むけど、頑張ろうって思える。依田のお陰」

「いや、もういい、恥ずい」

「アハー!照れてるー!」

「揶揄うのはやめようよ」

 友人がいる、ということの幸福をこんなにも実感したことは、二十七年生きた中で、一度もなかった。

 嬉しくて、ムズムズする。

「なんにしても、俺らは依田に感謝してんの」

「依田もめっちゃ頑張ってたもんね」

「ホントだよ。石野先生もびっくりしてたもんね」

「そう、だっけ」

「そうだよ」

 覚えてないの、と野村に問われるも、覚えている訳がない。ついさっきまで中学三年で、夢の中で目覚めたら、いつの間にか高校生になっていたのだ。出来るなら、卒業式の様子も見たかった。

「……!」

 キーン、と耳鳴りがして、グラグラと視界が揺れる。

 あ、これ、戻る時のやつだ、と思ったが、どうやら違うらしい。

「ごめ、ちょっと、トイレ」

 バタバタと人目も気にせず再びトイレへと駆け込んだ。

「依田ってすげぇよな」「なんでそんな頑張んの?」「えー、宮広もいなくなんのかよ」「最近、依田くん明るいよね」「依田って意外と面白いな」「前は怖かったけど」「依田、お前すごい点数上げたな」「どこ行きたいんだ」「白楊か、そうか」「好きにしたらいい。金の心配はするな」「お父さん、嬉しそうだったわよ」「依田見てたら、なんかやる気湧いてきたわ」「今のランクなら大丈夫だろ」「自信持てよ」「ついに本番だー」「なんか、二人だからいける気してきたわ」「結構いけた気がする!」「合唱練だー」「依田、地味に音外してるんだって」「卒業おめでとう!」「あった!藤吾、あったわよ!」「よくやったな」「あ、依田!イェーイ!」「みんなで撮ろうよ!」

 流れ込んで来た膨大な情報は、俺が体験しなかった改変された過去らしい。記憶が補填され、実感が増した。

 俺は、確実に人生を変えている。

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