イキり陰キャのキャパシティ
チャイムが鳴った。苦痛からの解放であり、違和感と向き合う時間が訪れる。
依田藤吾は眉間に皺を寄せ、自分からアクションを起こすべきか悩んでいた。
皆が、ひっそりと注目していた。
野村美歌が人目を憚らず依田を指名した。これは今までにないことである。
野村は際立った美人ではないが、田舎町にあってはモテる女子の一人であった。そんな彼女が、あの冴えない男の代表と言える依田を指名したのだ。
少なからず男子生徒諸君は、焦りの色を滲ませていた。
この話は瞬く間に数少ない同級生の間を駆け巡り、下級生にまで広がり、さらにはその親にまで伝わるであろう。
皆が皆、そこまで興味のある話ではないのだが。
田舎は娯楽がない。
ともなれば、話題はゴシップが大半を占めた。
アラ、こないだ話した時はお嫁ちゃんの元気ないって言ってたけど。
嘘に決まってるでしょ。イビリよ、イビリ。あの人性格悪いもん。
まぁあの人はクセ強いからねぇ。嫁姑は難しいわ。……それより、
聞いた聞いた。それこそ離婚でしょ?多いわよねぇ。
ホントよ。けど、旦那に浮気されたらしいわよ。
そうなの?可哀想に……いい子なのにねぇ。
男が悪いのよ。ゲッソリ痩せちゃって可哀想だったわぁ。
あ、そうそう。浮気といえば……
大変というか、よく分かんないけど、ネット?のなんていうの……なんとかちゃんねるっていうのに名前書かれたらしいわよ。
なに?それ。にしても、ホントにバカよねぇ。こんな田舎で出会い系なんてするからよ。
ホント、自業自得。バカよねぇ。
あー、ヤダヤダ。
どこから情報を得るのか、どこへ行ってもそんな話がなされている。誰に会っても、どの話題も皆が知っている。恐ろしい情報網だ。
「依田、ちょっと廊下で話そ」
「あ、ぉう」
おかしな声が出た、と依田は少しばかり顔を赤くし俯いた。だが、野村はそんなことを気にする素振りすら見せず、さっさと教室から出て行ってしまう。依田はそれにも困惑した。
依田は、授業の間中ずっと「勘違いするな」と、自身に言い聞かせていた。男子が女子を、女子が男子を呼び出したり指名したり、そんなことをするシチュエーションが決まった、限られたものしか依田は思い浮かばないのだ。
(告られる訳ない。有り得ない)
そう何度も頭の中で繰り返す程度には意識し、ごく僅かしかない可能性を捨てきれずにいた。
「この辺でいいかな」
「え」
依田の前を歩いていた野村は、廊下の少し人集りが遠くに見えるところで立ち止まった。
誰も通らない訳ではない。誰からも見える場所である。
依田はそのことに再び動揺し、少しばかりオロオロと辺りを見渡した。
「……どうかした?」
「あ、いや……ごめん」
「そ?……あ、あのさ。依田も函館行くでしょ」
「あ……うん。行くけど」
依田はいつもよりもずっと穏やかな話し方になっていた。それを自覚し、理由を探した時、依田は目の前にいる野村がそうさせているのだと理解した。
普段の勝気さなど微塵も感じさせないような、緊張から真っ赤になった目元は少しばかり潤んでいる。だが、それはこれから始まる事象への緊張ではないとすぐに察せられた。
血の気が引いているのが、指先をギュッと握り、小さく震えている。
「私も、その、行く、っ、行きたいんだ、けど……あの、親がさ、面倒でさ」
「……うん」
「その、なんていうか、……えっと」
「説得?」
「そ、そう!」
依田の期待した「く」で終わる四文字でも、「せ」から始まる四文字でもなく。それでも話の流れから察せられる四文字の言葉を紡げば、野村は小さく何度も頷いた。
抱いていた淡くて薄くて、雪よりも何よりも儚い期待はポシャン、と潰える。
だが、依田はそんなことは既に忘れていた。期待をしていた自分を罵ることも、その恥ずかしさに耳まで真っ赤になることもせず、ただただ野村を心配するばかりで、その緊張から喉が渇いてひっ付いた。
「ごめん、その……勝手なイメージなんだけど、依田のお父さん、気難しいイメージだから」
「あー、うん。合ってるよ」
苦笑し、依田は野村に同情した。
野村は成績もそこそこ良いし、学校での生活態度も問題ない。そうであるのに、何をそんなに口出しをするのだろうか。
「あの、うちの親はさ、俺が反抗期だから、それ面白がってんだよね。だからイヤっつーか」
「そ、そうなんだ……大変だね」
「その、野村はさ、真面目だし、そんな怒られることないんじゃ、ない……の」
「あー、ハハ、いや……それが、普通なんだよ。普通。悪くないけど、良くもない」
彼女の背負うものの重さを思うと、依田は自分まで傷付けられたように感じられ、渋い顔になった。
「……大変そう」
「よく言われる。……学校のみんなには」
「どゆこと?」
問い掛けると、野村はグッと黙り込んだ。下唇を噛んでいるようにも見える程に、苦しそうな表情で。
「うち、ちょっと変わった宗教なんだよね」
意を決した野村が口にしたのは、依田では抱えきれない重量の秘密だった。
「その、いい子が当たり前で、それが常に求められて、で、あ……恋愛もダメだし、本当は学校の友達とも深く関わっちゃダメだし、誕生日も祝ってもらえないし、クリスマスもないし、明けましておめでとうも言っちゃダメだし、成績は良くて当たり前だし、き、気にすること、たくさんで……」
溢れ出した苦悩を依田は受け止められず。
ただ彼女の前に立ち尽くすしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます