友達でも恋人でもないふたり
ジッと見詰めた彼の目は冷たかった。
それだけが脳裏にこびり付いていて、拭おうとすればする程色濃くなって。
けれど、今思えば彼はいつもそんな目でいた。冷ややかに周りを見て、退屈そうに溜息を吐くような男の子だった。
学校が終わって、帰宅部の私は帰る以外にやる事がない。それなのに、どうして。
「幡野さんって、美術好きなの?」
「え、いや……漫画とかは読むけど、あんまり」
「へぇ、どんなの読むの?」
どうして私は美術室にいて、動くことを禁止されて、あの冷たい目に見詰められているのだろう。
「あ、動いちゃダメ。そのままで」
「う、ごめん」
慣れないことをしているから、自然と身体を楽な姿勢になろうとする。
中学三年の技術の授業で必ず作る硬い木椅子に腰掛け、背筋を伸ばし、両膝を揃え、足を少し斜めにし。
所謂、美しいとされる座り方で、面接の時にしていたのと少し近い。
外塚くんと二人きりの状況だというのに、微塵もドキドキしない。少し離れたところでスケッチブックを抱えて、同じように硬い木椅子に掛けている彼は、たまに話題を振る程度でそれ以外はずっと鉛筆をせっせと動かしていた。
「あ、えっとなんだっけ……」
「あんまり読まない?」
「いや、好きなんだけど……」
もう十年以上前に読んでいた漫画の話、ましてや連載がまだ始まっていなかったらどうしよう、といらない心配をしてしまってなかなか名前を出せない。
もう少し古めの、なんかないかな。
「あの、なんだっけ、孫悟空とか、沙悟浄とか出てくる……ちょっと、グロテスクなやつ」
「ああ、絵が綺麗だよね。俺も好き。グロいしエロいけど、話も面白いよね」
「そう!あの絵、好きなんだ」
「へぇ。好きなキャラとかいる?俺は玉面公主」
「玉面公主なんだ……私は哪吒かな。強いし、かわいいし」
「あ、天界も読んでるんだ」
「うん。ラストがすごく悲しくて、何回読んでも泣いちゃうんだよね」
「悟空だけ逃げれるんだっけ」
「そう」
好きな漫画はたくさんある。何回読んでも泣ける漫画もたくさんある。
泣いてしまう程優しい、感動滝な終わり方が理想だけれど、今話していた漫画はそうではない。
地上の世界へ一人きりで降り立った彼は、永遠とも思えるような孤独を生きた。
似たようなことになるのだろうか。
現実に戻った時、私だけが“元の私”とそれまでの環境とのギャップに戸惑い、孤独を感じる。
そんなことが起こったりして……。
「幡野さん」
呼ばれて顔を上げると、外塚くんがスケッチブックを膝の上に乗せて、鉛筆を置いていた。
「ごめん、ちょっと下向いてたね」
「うん。けど、いいよ。ありがとう」
遅くなっちゃったね、と言いながら外塚くんは窓の外を見る。美術室は夕陽に照らされ、石膏像の美貌を際立てていた。
「こんなふうになるんだね」
うっとりとしたような声が出て、少しの恥ずかしさを覚える。けれど、外塚くんは気にしていないようで、ジッと窓の外を見たままでいた。
「夕方はね。普段はビルが邪魔だなって思うけど、夕方だけはいいんだ」
「絵画みたいだもんね」
大きなキャンバスに描かれた夕方の街並みは、都会の喧騒を少し遠去けたような静寂を感じさせる。学校に押し詰められているという圧迫感はなかった。
「帰ろっか」
「そうだね」
木椅子から立ち上がり、伸びをする。同じ姿勢をしていた分の疲れに見舞われ、いてて、と無意識に小さく溢していた。
「ごめんね。疲れたでしょ」
「少しだけ。でも、すごいね。上手」
目に止まった彼のスケッチブックにある絵は、私をモデルにしたもの。けれど、私のようで、私じゃない。
「嬉しいけど、こんなに素敵じゃないよ?」
鉛筆で濃淡がつけられただけで、色彩はない。ロングの髪を右サイドへ流し、真っ直ぐな目で前を見据えている。着ているのは制服ではなく、白いワンピースだ。眉より少し下で切り揃えられた前髪だけが、私の名残りだ。けれど、華やかさを感じられる。自信に溢れた表情だからだろうか。
「今はね」
意味深に呟いて、外塚くんは悪戯を計画している男の子のように笑った。
「俺、これからも幡野さんを見守っていきたい」
不思議な言い回しだと思った。
付き合おう、とか、そんな言葉ではない。親や兄弟が末の妹弟に言う、優しい言葉。
つまり、恋愛感情はない。
嫌な気はしなかった。破顔して、頷いてしまいそうになるくらい、すんなりと受け入れられた。
「同級生を見守る、って、変なの」
「確かに。でも、好きとか嫌いとか、そういうのとは違うんだ」
ほら、と胸の内で呟く。それでもチクリと痛んだり、モヤモヤと悪さをすることはなかった。
「なんか、これからどんどん楽しいことが起こる気がするんだ。幡野さんがどんな大人になるのか、なんでか分かんないけど、すごい気になる。だから、幡野さんを見守りたい」
あの冷たい目が、今は好奇心に満ちている。居心地の悪さなんてない。普通なら、きっと嫌なのに。
「分かった。いいよ」
頷いて答えると、外塚くんは柔らかい微笑んだ。
きっと、クラスメイトの誰も知らない表情だ。
「幡野さんって、家どの辺?」
「んー、あ、ガソリンスタンドの裏!学校の近くにある。あれが一番分かりやすいかなぁ」
「ガソリンスタンド?じゃあ、うちと真逆かな」
他愛のない話をしながらオレンジ色の廊下へ出る。
たったそれだけなのに、青春してるな、と教室にいる時には見せない顔の外塚くんを見て思った。
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