何も知らない美女を憐れむ男
想定よりも、未練タラタラだな。
吉瀬と話した印象はこればかりだ。あの病室での同級生との再会は、あいつにとって喜ばしいものではなかったらしい。
仲が良かったのなら、仕事だなんだと言わず話しかければ良いだろう。
俺は特別仲の良い同級生なんていなかったし、吉瀬はたまたま高校が同じで、その後の進学先も俺の通う大学と吉瀬の通う看護学校が近かったから、なんとなく時間が合えば飯を食いに行くようになっただけだ。
それが今も続いている。
「おかえり。今日も美人とタダ飯なんていいよな」
「冗談よせよ。病院の屋上でサンドイッチと栄養剤だぞ?本気ならいつでも譲ってやるから言え」
「冗談に決まってるだろ。美人には高級フレンチだ」
「顔で飯のランク決めるとか最低だな」
デスクへ戻れば、同僚から吉瀬といたことを揶揄われる。慣れたことだ。初めの頃こそみな「何かあるんじゃないか」と、目を輝かせていたが、今となってはその健全すぎて不健全な関係を、ただ面白がるにとどまっている。こちらとしては楽だが、新入りが来ればまた同じことが起こる。
「吉瀬さんって今フリー?」
「じゃねぇの。あいつも女だから、男ができればもう少しプリンとかも気にするぞ」
「マジかー。行けっかな、俺」
「無理だやめとけ。泣かされて終わりだ」
「俺泣かされんの?」
隣でゴチャゴチャと吉瀬について詮索してくる奴は、こいつで何人目だろう。
中学、高校とずっとモテ続けているあの女について、きっと俺はあの女を知る人間の中では一番知っているのではないだろうか。
吉瀬に初めて彼氏ができたのは、中学二年の夏だった。俺の友人で、サッカー部のお調子者。悪いやつではなかったが、吉瀬とお似合いだったかと聞かれると首を傾げる。
あいつが初めてキスをしたのは、確か高校一年の秋。同じクラスの真面目な男だった。顔は悪くなかったと覚えている。その時は俺も吉瀬とクラスが同じで、忘れ物を取りに戻った夕方の教室で、カーテンに隠れている二人を見つけたのだ。すげぇ青春してるな。羨ましい。
いや、ウソ。
全く羨ましくない。スキンシップはどうしたらいいのか分からん。
キスとか何が正解だ?目は瞑る?顔の角度は?どっちに何度傾ける?手はどうすればいい?
分からないことだらけだ。
とはいえ、望んでいないことだから、なくていい。
性欲ばかりを剥き出しにして女と向き合う男より、きっと俺くらいの心持ちの方が女も楽なのだろう。俺は確かに顔がいいが、それを抜きにしたって下心しかない奴よりはずっといい。
「吉瀬さんってさぁ」
隣のバカがまた吉瀬の名前を口にする。
何をそんなに興味があるというのだ。
「しつこいな。吉瀬に聞きゃいいだろ」
「それができないからお前に聞いてるんだろ」
「だるいだるいだるい」
「そう言わず」
どうしたものか、と少し考えてみて、いいことを思い出した。
「ちなみに、人からアレコレ聞いて鵜呑みにする人間が嫌いだぞ、吉瀬は」
「クリティカルヒット」
「君達、ちゃんと仕事してる?」
「してまーす」
バサバサとテスト結果をプリントアウトしたものを振れば、主任は何も言わずに自分の仕事へと戻る。
基本的に他人に興味がない人達が寄せ集められて、パソコンの画面を目を真っ赤にして眺めている空間。
干渉しすぎず、だが進捗は互いに把握し、穴が開いても滞りなく進む職場。
居心地は最上級だ。
「小嶋は彼女作んねぇのか」
こいつさえ黙っていれば。
「いらん。良さそうなのがいたらその時考える」
「モテる男は違ぇや」
溜息を吐くことで会話を強制終了させる。
モテるだのモテないだの、そんなのに囚われるから“候補者”に名前が上がるんだぞ。
小さくでも溢せばきっと耳に届く。そのくらいここは静かだ。
少し前に作り終えた最新のリスト。
まさかその中に、あの女の名前を入れる日が来るとは。
「あいつ、どんな顔すんだろ」
A4用紙一枚に収まっている二十行程の枠には、五十音順に“臨床試験”の候補者となる者の名前が並べられていて、その七行目には『吉瀬好』とある。その名前だけが、やけにハッキリと浮かび上がって見えた。
***
小嶋貴大は上林医師からひとつの頼まれごとをされていた。
それは何年も前のことで、今でも半年に一回程の頻度で同じ依頼をされ、こなしている。一番最近はひと月前のことだ。
「最新の候補者を見繕ってください。」
小嶋の入職は、丁度上林がリベンジを終えた一年後のことだった。その頃には上林はリベンジが起こりうる原因について仮説を立てており、密かに実証の機会を窺っていた。
どこのオタクですか、そんなの、信じられる訳がないでしょう。
先生、疲れてるんですよ。先生には昔から奥さんいましたって。そんなこと言ってると、奥さん悲しみますよ。
あー……有給、ちゃんと使ってくださいね。
「……へぇ、その話、本当なら面白いですね。俺はなにをするといいですか?」
時間を問わず、屋上のベンチに掛けている人を見付けては、ゲリラ的に自身の経験したことを上林は話し続けていた。
当然聞く耳を持たない人ばかりだったが、唯一興味を示し、目を輝かせたのが小嶋だった。
サンドイッチを頬張りながら話を聞き、なにかを考え込むようにしては相槌を打っていた美男だけが、上林のことを信じ、協力まで申し出たのだ。
上林の狙いは小嶋でもあった。
上林は優秀な人間の情報を蒐集していた。その中には吉瀬だけでなく、同期入職の小嶋も名を連ねていたのだ。
「あー、小嶋くんね。鳴物入りの入職ですよ。ハッカーをやってたんじゃないかって、一部では囁かれてたりして。」
それ程までに小嶋の能力は優れていた。
だが、本人に聞けどはぐらかされ、ニッコリ笑顔で答えるのだ。
「いやいや、まずやってても、『そうでーす』なんて言う奴、ハッカーにいませんって。多分」
と。
事の真相を知るものは、彼以外に誰もいない。
だが、上林はそれでも良かった。確証がなくとも、優秀なのであれば彼に頼もう、と。
頭より早く手と口は動き、上林が気が付いた時には小嶋のサンドイッチを食べ終えたばかりの手を握り、じっと彼の目を見詰めていた。
「成人の男女。特にそう、小嶋くんよりも少し上の年代の人達から、“学生時代に後悔がある”人をリストアップしてもらえるかな」
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