人生に取捨選択は付き物だが

「同級生がさ、いたんだよね」

 トマトジュースのパックにストローを挿しながら、吉瀬好は呟いた。

「へぇ。俺知ってるやつ?」

 そんな吉瀬を横目に見て、小嶋貴大は片眉をクイッと上げ尋ねる。吉瀬はそれに首を傾げた。

「え、小嶋とはクラス違ったからどうだろ」

「それもそうか。名前は?」

「幡野万莉」

「女か。なら分からんわ」

「だと思った」

「まず興味ない」

 屋上に置かれたベンチに並んで腰掛け、小嶋と吉瀬はランチをしていた。今は束の間の雑談タイムで、話題提供をする気のない小嶋に慣れている吉瀬は気にせず続けた。

「仲良かったんだよね。ベッタリ一緒だった訳じゃないけど、大体は一緒にいたな」

「へぇ。ああ、そういやお前男子に絡まれてたもんな」

「あれホントにウザかった」

「あいつら、大体は吉瀬に気があったから、俺は見てておもろかった」

「そうなの?そうとは思えなかったし、今でも嫌い」

「マジか。オモロイ」

「うっざ。そのくらい嫌だったんだって」

 深い溜息を吐き、吉瀬は細いストローを咥える。ズズッ、とトマトジュースを啜りながら過去へと思考を飛ばした。

 クラスは違ったが、登下校や行事では殆ど決まって一緒にいた。体育祭でも遠足でも、クラスの隔たりが取っ払われるような時は、チラッと目を合わせて笑い合い、そっち行く?こっち来る?なんてジェスチャーで聞き合い、どちらかの隣へと行ったものだ。

 吉瀬は幡野万莉と疎遠になったことを後悔していた。どんなことを思って彼女は自分から離れてしまったのか、なにか彼女の気に触ることをしてしまったのだろうか、とふとした時に考える。そして、落ち込んだ時、弱音を吐きたい時に思うのだ。

 万莉に会いたいな、と。

 吉瀬は強い人間ではない。他人が勝手に吉瀬の声や表情に、冷たさや意志の強さを感じるだけで、彼女だって心細さを抱く時がある。そんな時に、吉瀬は「なんですぐ話せる相手が小嶋なの」と少しばかり不貞腐れるのだが、それでも身近にいる数少ない理解者に話を聞いてもらうことで、少なからず発散できていた。

「で?再会してみてどうだった?」

「え?」

「は?話してねぇの?」

「あ、うん。……担当じゃないし」

「これだよ」

 小嶋は呆れたように溜息を吐き、横目で吉瀬を見た。吉瀬は当然腑に落ちず、ムッとした顔をしたのだが、小嶋はそれを見てやれやれと首を振った。

「お前、ただでさえとっつきにくい顔してんだし、そういうの自分から行かねぇと駄目だと思うよ」

「いや、プライベートだったら話しかけてたよ。でも仕事だし」

「真面目過ぎんだよ」

 小嶋はそれを鼻で笑い飛ばした。

「あんだけいた同級生生の中でも切り捨てたくない人間だったんなら、ちゃんと繋ぎ止めておくだろ」

 痛いところをついてきた。

 吉瀬は胸元がチクリと痛んだのを実感した。

「いや、それは小嶋に言われたくない」

「あ?いや、俺は別にあいつらとずっとつるんでいたかったとかないし」

「だとしても、成人式もいなかったよね」

「行くだけ無駄じゃね?狭い界隈でマウント取り合うだけじゃん」

「そんなことないって……偏見やばいよ」

 成人式、万莉も来てなかったな。

 思い出して、ハッとした。

 もしかして、万莉にとって私は繋ぎ止めておきたい人じゃなかったのかな。だから、もう何年も、高校に入学してからも、連絡がなかったのかな。

 悪い方へと考えようと思えば、いくらでも考えられる。女の思考とはそういうものだ。

「ま、どっちが悪いとかないんなら、また仲良くできるんじゃねぇの?」

「……そうかもね」

 女というのは、そうもいかない。

 些細な事が途轍もない程嫌われる原因になり得るし、一歩間違えれば全員を敵に回しかねない。噂好きな人や話を誇張する人であれば、嘘をどんどん拡散して、全く別の人格を作り上げてしまい、何も知らない人はその嘘を信じてしまう。

 それを実感している吉瀬は、小嶋の楽観的な言葉に同意できかねた。

 相談をしていた訳ではないのに、人間関係の構築が下手な小嶋にアドバイスをされた吉瀬は釈然としなかった。ただ同級生が試験にいて、話しかけるか悩んでいた、という話のはずなのに、どんどん暗い道へと迷い込んだように思えて吉瀬は動揺していた。

「お、もう時間か」

「最悪。小嶋とご飯なんかしなきゃ良かった」

「休まらなかった、ってか?」

「明日は電話しないで」

「明日は俺も忙しいのでしません」

「そ」

 胸元にあるモヤモヤを溜息とともに吐き出して、吉瀬は飲み終わったトマトジュースの紙パックやおにぎりの包装を捨てようと、ベンチを立つ。

「そんなんで大丈夫かよ」

「大丈夫にするの」

「流石っすわ」

 じゃあな、と言いながら小嶋はさっさと屋上から立ち去った。

 吉瀬はそれに少しの苛立ちを覚えた。

 小嶋が吉瀬を昼食に誘い、食事が済んでから少し言葉を交わしてからの解散は、小嶋がさっさと立ち去るのが決まりだった。よって、今日とていつも通りなのだ。が、吉瀬はどうしようもなく気分を害し、下唇を少し強めに噛んでいた。

 そうしていても仕方ないことなど、彼女は重々承知である。

 そろそろ本格的に時間がヤバい。と、吉瀬は頭の中で呟いて、手に纏めて持っていたゴミを捨て、足早に屋上を後にする。

 来た道を辿りながら、しかし、医療情報企画部のある廊下を避けて別棟の、己の持ち場へと向かった。

 人が本館のエントランスに向かうに連れて増え、また別棟に近付くに連れて減っていく。照明までも増えたり減ったりをしていて、グラデーションを成していた。

 暗がりにある真っ白なドアの前。

 吉瀬は一度深呼吸をして自信を落ち着かせた。瞼を閉じ、小嶋に投げかけられた言葉の全てを脳内から消して、顔を伏せたままドアを押し開ける。

 風にゆれた髪が顔にかかった。鬱陶しいそれを頭を振って左右へと流す。

 ドアが開いたことに驚いたらしい看護師が、吉瀬へと目を遣った。

「お疲れ様です」

 驚かせてごめんなさい、とでも言うような、少し困ったような顔で吉瀬は言った。

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