そんな馬鹿みたいな夢

 ヨノの部屋に転がり込んで、もうすぐ一月になる。古びた建物が所狭しと密集した貧困層の居住エリア、通称泥の底では、皆ボロ切れのような服を着て、劣悪な環境で働いていた。ヨノの家も荒れた集合住宅の一室だけど、それでも他と比べれば比較的ましと言えた。

 ヨノがそれなりの金を持っていることを、私は知っている。彼は相当に腕の立つ殺し屋で、《天の国》からの依頼がほとんどだ。あいつらは邪魔者を消すためなら金は惜しまない。ヨノが大金を手にしてもなお、この掃き溜めのような場所に住み続ける気持ちが、私にはわかる。それに、彼には夢がある。

 ヨノは案外紳士で、ベッドは私に譲ってくれた。けれど私は夜、眠ることができない。くすんだガラスの向こうで、時計の針は五時を指している。窓の外は暗いが、寄り集まった建物の隙間から、うっすらと光が射し始めているのが見えた。朝だ。

「また寝てないのか」

 振り返ると、帰宅したヨノが上着を脱いでいた。じわりと血の匂いが漂う。今日は誰を殺してきたの?女?男?大人?子供?そんなことを聞いても、無視されるのは目に見えている。彼は人殺しが嫌いだ。それなのに技術ばかり素晴らしくて、かわいそう。

「寝てる間に殺されるかも、って思うと」

「もうお前を殺す必要はない」

「わかってるけど」

「俺は金に忠実だよ」

 私は一月前にヨノを買収した。姉に雇われたヨノを、姉の倍額出して雇い、死を免れた。万々歳だ。


◆二十八日前


 私を殺そうとしている男には夢があるらしい。ナイフを首筋に添えられ、訥々と聞かされたはそれはとても純粋で、私は笑ってしまった。西の、清らかな草原地帯に家を建てる。そうして犬を飼い、妻を娶り、子供をひとりかふたり授かって暮らすのだという。

 散々笑っていると、男は不可解なものを見る目で私を見下ろしていた。どうして泣くのかと聞かれて、初めて涙が溢れて止まらないことに気がついた。叶うといいと思ったのだ。たとえ人を殺して得た金でも、彼に殺されたのはゴミのような奴らばかりだ。その命を踏み台に幸せになったっていいだろう。私だって、そんな夢の糧になるなら殺されてもいい。けれど、あわよくば、優しい風の中で犬を撫でる手が、私のものであればいいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る