第8話 皇子、懊悩する②

 最初、遠目にその姿を見たときは、自分の目を疑った。

 まさか、ろくな武器や防具もなく単身で巨大な化け物に挑む者がいようとは。


 つぶれかけた馬車らしき乗り物から身を乗り出して魔物に挑むなんて無謀としか言いようがない。なのに、見事、仕留めてしまうなんて。

 まず感じたのは、純粋な驚きと称賛だった。

 飛翔術を駆使して、危ういところで救うことができたときは、心底安堵した。

 そして改めて驚いたのだ。魔獣を仕留めた戦士が、年若い令嬢だったことに。


 この大陸では稀有な銀色の髪に琥珀色の瞳を持つ、まだ少女と言ってよいくらいの年齢の令嬢。

 その姿は遠い過去の記憶を、とっくの昔に心から消し去った女を思い出させた。


 少女と目が合う。少女が感謝の言葉を口にした。


 その瞬間・・・

 何が起こったのか、わからなかった。ただ、全身に稲妻が、感じたことのない衝撃が、走り抜けた。

 形見の『輝石』が熱を帯び、まばゆい光を放った。


 まさか・・・本当に?

 叶うはずがないと半ば諦めていた希望がよみがえる。

 思わずその顔をそっと上向かせて、まじまじと覗き込んでいた。

 感じる。変質はしているが、これは確かに『彼』の気だ。

 本当に、再び逢うことができたのだ。


 琥珀の瞳が戸惑うように瞬いた。

 ポツリとその頬を数滴のしずくが濡らす。

 その時、漸く、彼は自分が泣いているのに気がついた。


「やっと見つけた」


 喜びに震える自分の声が聞こえた。

 これで、すべてを終わらせることができる。そう思って、遠い昔に失った『かの名』を発しかけたとき・・・


 目の前で、琥珀の瞳が力なく閉じられた。腕の中の身体が急に弛緩した。

 ぐったりとした反応を無くした身体に、パニックに襲われかける。

 必死に癒しの術ヒールをかけ続けた。何度も何度も。

 だめだ。

 彼の渾身の魔力を持ってしても、効果がない。

 生まれ変わってさえ、癒しの術が効かないのなんて。


 落ち着け、落ち着くんだ、アルフォンソ。

 こんな時のために、何度目かの生で、医術は十分に学んだはずではないか?


 大きく深呼吸して焦る気持ちを落ち着かせる。

 大丈夫だ。今度こそ、助けて見せる。絶対に。

 手早く傷の状態をチェックする。

 傷そのものは、それほど酷いものではなさそうだ。

 問題は、むしろ魔物の粘液だらけだということ。植物系の魔物の多くは、その樹液に強い毒を持っているのだ。


 マントを脱ぐと、比較的きれいな地面に敷く。少女の身体を、細心の注意を払いつつ、その上に横たえた。

 全身に清拭の術と解毒の術をかけ、魔物の毒を洗い流す。自分のシャツを切り裂いて清め、包帯代わりに傷口に適度な強さで巻きつけて、止血しておく。


 後できることは・・・


 血の気の失せた顔。身体がひどく冷たい。息が荒くなってきた気がする。


 彼は即断した。


 その場に膝をつくと、少女の頭をそっと抱え上げる。それから身をかがめて、青ざめた唇にそっと己の唇を重ねた。

 慎重に自分の生体エネルギーを、ゆっくりと吹き込んでいく。

 冷たい頬に徐々に熱が戻ってきたのを感じて、ひとまず安堵した。その時、


「おい、俺の娘を放せ!」


 怒声とともに、空気を切り裂いてバカでかい剣が閃いた。

 反射的に地を転がり、かろうじて身をかわす。

 燃えるような赤毛の大男が、少女と彼の間に立ちふさがっていた。


*  *  *  *  *


 一目で、男が先ほどまで中心になって魔物を屠っていた人物だということはわかった。

 魔物を断ち切った大剣を構えて彼を威嚇するその瞳は怒りに満ちていたが、ちらりと少女に向けられた眼差しには懸念が籠っていた。


 男は少女を「俺の娘」と呼んだ。


 油断なく身構えながらも、冷静に情報を分析する。


 彼が『探し求めた存在』には、今生では守ってくれる父が、家族がいるのだ。こんな風に。決して一人ではなく。


「落ち着いて欲しい。私は治療をしていただけだ」


 できるだけ刺激せぬように、剣を腰に戻し、両手を上げて告げる。


「治療だと?」


「そうだ。ご令嬢の怪我そのものは大したことはない。応急処置はしたつもりだが、魔物の毒が心配だ」


 彼に敵意がないことを悟ってか、男の剣気が薄れた。

 警戒しつつも、剣を背負った鞘に納める。大きな手で娘が息をしているのを確かめ、男は安堵の息を吐いた。


「シャル、大丈夫か」


 先ほどとは打って変わって優しい口調で呼びかける。


 なぜだろう?彼女の味方の登場を喜ぶべきなのに、なぜ、胸が、もやもやと、苦しくなるのだろう?


「迂闊に動かさない方がいい。ここで様子を見ていてくれ。助けを呼んでくる」


 そう言い捨てると、エクセルの気配を頼りに、アルフォンソは瞬間移動の術を発動したのだった。


*  *  *  *  *

 

 エクセルが部屋に戻ったのは、それから半時ほど経ってからだった。


「しばらく休めば、大丈夫だとさ」


 だから安心しろと言いかけたエクセルは、皇子の顔をまじまじと見た。それから、静かに問いかけた。


「彼女がそうなんだな、アル?」


 アルフォンソは、無言で頷いた。


「そうか。よかった。よかったな」


 エクセルの顔が笑み崩れた。目が潤んでいるようにさえ見えた。


「ようやく願いが叶ったってことだろ?それも、うら若き乙女の姿で。筋肉ムキムキ野郎じゃなくて本当によかった。森の魔物に転生している可能性まで考えたんだぜ、俺は。あんな女性なら、何の問題もないだろ?」


「そうだな」


 エクセルが怪訝そうな表情になった。


「どうした?うれしくないのか?」


「うれしいさ。けれど、私は彼女にどこまで、いや何をどう話すべきなんだろう?」


 ずっと考えてたんだ、とアルフォンソはエクセルをすがるように見つめた。


「正直に真実を話す?それで、私の話を信じて、いや、聞いてくれると思うか?それに・・・私の事情など知らない方が、彼女にとっては、いいのではないか?」


「アル、お前は、それでいいのか?後悔しないか?」


「後悔は、するかもしれない。でも、彼女のことを考えれば、やっぱり・・・。何も言わないほうが」


 悄然とソファーに持たれているアルフォンソの姿は、奇妙なほど頼りなく見えた。まるで遠いあの日の『彼女』のように。


「まだ時間はあるんだろ、アル?」


 エクセルが、ぽつりと言った。


「『穴』が完全に広がりきるまで、あとどのくらいだ?」


「たぶん、早ければ1年。遅くても2年以内には」


 アルフォンソが俯いたまま答えた。


「じゃあ、まずは知り合いになることから始めてはどうだ?半年あれば、十分だろ」


「知り合いに?彼女と?」


 驚いて顔を上げたアルフォンソに、エクセルは、そうとも、と頷いてみせた。


「別にすべてを話す必要はない。まずは自分の気持ちに正直になってみればいいさ。世界のことより、まず、自分の幸せを考えろ。お前には、お前たちには、それくらいの権利はある」


 アルフォンソが驚いたように大きく目を瞬かせた。それから、しばし考えこんでから尋ねた。


「具体的には、どうすればいい?」


 人づきあいが苦手なことは自分でもよくわかっている。若い女性とうまく話せるかは、甚だ疑問だ。


「舞踏会でエスコートをかって出るってのは、どうだ?どうやら、舞踏会そのものは、一応開かれるらしいから」


「エスコート?」


 アルフォンソが怪訝そうに聞き返した。


「ますは、彼女の名前だ。彼女は、リーシャルーダ・ベルウエザーだ」


「リーシャルーダ、リーシャルーダだって・・・」


 アルフォンソが呆然と繰り返した。


「そう。皮肉なものだな。いや、この場合、奇跡的一致かな」


 エクセルが面白くもなさそうに笑った。


「あのベルウエザー子爵の一人娘でもある」


「ベルウエザー?・・・そうか。あれがクレイン・ベルウエザーか」


 彼女を心配そうに見つめていた赤毛の大男の姿が浮かぶ。

 あれが、クレイン・ベルウエザー子爵。

 ブーマ王国のベルウエザー一族を率いる傭兵上がりの婿養子だとかいう。


「魔物の被害を最小限に食い止めたのは、ベルウエザーの一団だ。この事実はすでに周知されている。賓客の皇子様が、そのご令嬢をエスコートしたって、誰も不思議には思わんさ」


 エクセルが断言した。


「ぐずぐず悩まずに、俺に任せろ。知り合うきっかけは作ってやる」


エクセルはそう言うと、笑って、自分の胸を叩いてみせた。


「だから、アル、お前はお前でできることをしろ」


「わかった」


 皇国第二皇子は、まず、今ここでできることにせいいっぱい取り組む決意をしたのだった。

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