第9話 予期せぬ訪問者来る
同時刻、皇子一行が滞在する離宮の左翼に在る別棟では、ベルウエザー一家を予期せぬ訪問者が訪れていた。
「まずは、国王として礼を言う。王都を、民人を守ってくれて心より感謝する」
ブーマ国王チャスティス・ブーマは文字通り、深々と頭を下げた。
豪華な王衣ではなく、薄っぺらいお仕着せを着た今の姿には、いつもの威厳は微塵も感じられない。
それどころか、体つきまで違って見える。というか、実際に違うのだ。王衣の下に密かに着込んでいる分厚い布~防御魔法を施された一種の鎧ともいえる~なしの、真の体躯を晒しているのだから。
「おいおい、チャス、顔を上げてくれ」
「クレイン、不敬ですよ」
「チャスでかまわないさ。俺たちだけの時は」
現ブーマ王チャスティスは、にやりと笑った。それから、まるで本物の使用人のように畏まって一礼すると、声色まで変えてみせた。
「デザートをお持ちしました。皇国ではやっている、珍しいお菓子もございます」
自然な足取りで、色とりどりのお菓子が山盛りの、キャスター付きキッチンワゴンをテーブルまで押してくる。
てきぱきとした足取りにすっと伸びた背筋。その動作一つ一つが、まさに別人だ。慣れた手つきでデザートをテーブルの上に並べて、紅茶の用意まで始める。
「熱いうちにお召し上がりください」
先ほどの笑みとはまた違う、有能な使用人然とした控えめな笑み。
王として臣下に見せる鷹揚な笑みとは似ても似つかぬ表情だ。
「お、こいつは美味そうだ」
クレインが、さっそくデザートに手を伸ばした。
チャスティスは、びっくり顔のシャルとサミュエルに向き直った。
「久しぶりだなあ、シャル、サミー。まさか、このチャスおじさんを忘れたわけじゃないだろうね?」
慌てて淑女の礼をしようとしたシャルを軽く手を振って制する。
「他人行儀はやめてくれ。チャスおじさんが、せっかく差し入れを持ってきたんだ。遠慮なく食べなさい」
姉弟は顔を見合わせた。
サミュエルが、どうしたものかと、ちらりとあきれ顔のマリーナを見やる。
「それにしても、ちょっと見ないうちに、大きくなったなあ、二人とも。聞いたぞ、武勇伝。相変わらずだな、ベルウエザーは」
ブーマ国王チャスティスはクレインのかつての盟友であり、仕えるべき現君主である。が、実際のところ、二人は今でも気の置けない親友なのだ。ちなみに、彼はシャルの名付け親でもある。
シャルの正式名はリーシャルーダ。その髪と目の色から、王自らが伝説の『銀の聖女』に因んで付けてくれた名前だ。
チャスティスは、即位前、皇太子の頃は、しょっちゅう、お忍びでベルウエザー家に出入りしていたものだ。即位後は、さすがに気軽に遊びに来ることはなかったが。当時、まだ幼い姉弟にとって、優しい親戚の叔父さんに近い存在だった。
「マリーナも久しぶり。相変わらず美人だな。魔法の切れも変わらないと評判になってるよ」
「恐れ入ります、陛下」
マリーナは立ち上がると、優雅に腰をかがめて貴婦人のお手本のような礼を返した。
「チャスだ。こんな時くらい、昔みたいに呼んでくれ。いいだろう?なあ?」
「・・・わかったわ、チャス」
しばし見つめあった後、根負けしたマリーナが、仕方がないと、あきらめ顔になった。
「相変わらず、お忍びがお上手だこと。召使にしか見えないわ」
「年季が入ってるからね」
「正式に王位に就いてからは、その手のヤンチャは止めたと思ってたのだけど。私の勘違いだったみたい。『七変化のチャス』は、今なお健在ってとこかしら」
「名君を演じるのは、それなりに大変でストレスが溜まるんだ。時には息抜きも必要さ」
ブーマ国王、いやチャスは悪びれる様子もなく、にやりとした。
「要は、バレなきゃいいのさ。バレなきゃ。だろ?」
「そうそう。城の奴らは誰も疑ってやしない。秘密の趣味の一つや二つ許してやれよ」
と、クレインが援護射撃をした。
「そんなことより、こっちに来て、この菓子を食べてみろよ。絶品だぞ」
お行儀悪く口いっぱいにお菓子をほおばったクレインは上機嫌である。
「だろ?僕の方でも、君好みのヤツをいくつか用意させたんだ」
とチャス。
「結局、今回トンボ帰りさせることになっただろ?せめてもの詫びにと思って」
実は、クレインは、見かけによらず、かなりの甘党だ。ちなみに、酒は一滴も飲めない。
「シャル、サミー、君たちも遠慮なくどうぞ。このチョコレートのかかった焼き菓子は?このナッツたっぷりのクッキーはどう?出来立てのオレンジ風味のスフレもあるぞ。珍しいだろ?これらはみんな、皇国で流行りのお菓子だそうだ」
甘い誘惑に必死にあらがっている姉弟に、マリーナは仕方なさそうに頷いてやる。
すぐに、父親に負けじと菓子に手を伸ばす二人に、チャスティスは満面の笑みを浮かべた。
「マリーナ、こっちのは、甘さ超控えめで思いっきりリキュールが効いたヤツだそうだ。甘いものが苦手な大人向けのデザートだと。君にピッタリだろ?」
さあ、どうぞ、とイスまで引いて勧められ、マリーナは不承不承腰を下ろした。
「まさか、上京するたびに、二人でつるんでる、なんてことないでしょうね?」
チャスティスが視線を斜めにずらした。
「チャス?」
「いやだなあ、マリーナ。そりゃ、ほんの時たまは、二人で『散歩』くらいするけど。ちゃんと国王もやってる。な、クレイン」
まあ、その、と言葉を濁す夫を横目に、マリーナは切り分けてもらったデザートをフォークで小さく切って、上品に口に運ぶ。
「どう?」
口に入れた瞬間、マリーナの目がかすかに見開かれた。
「おいしいわ」
「そりゃ、よかった。間違いなく辛党の客の口にも合うってことだな。忘れずに作り方を聞いておかなくては」
自らもイスに座り、勝手にお茶を入れて一服。 たくさんあったデザートが見る間に消えていくのを眺める。
ほぼすべての菓子が消え去った頃になって、チャスティスは、おもむろに口を開いた。
「皇国第二皇子御一行の歓迎会だが、明後日の晩に、延期されることになった」
「取りやめじゃなかったのか?」
クッキーの最後の一枚を食べようとしていたクレインの手が止まった。
「こっちとしては、中止したかったんだが。最終的には、規模を縮小して開くことになった。ビーシャス公の強っての希望でね」
「ビーシャス公?あの身の程知らずのゲス野郎か?お前の叔父の?」
「言葉を慎みなさいな、クレイン。一応、ビーシャス公は王族。チャスの、国王の、実の叔父様なんだから」
と、マリーナが窘めた。それからチャスティスに尋ねる。
「宴を開くことに何かメリットが?あの能力に似合わぬ上昇志向をお持ちの、計算高い公爵様にとって?」
やっぱ、中身はお似合いのカップルだな。かわらないなあ、と心の中で、現ブーマ国王は感慨に耽る。
ビーシャス公は、チャスティスが正当な王位継承者として認められるまでいろいろあった相手。チャスティス本人だって、あまり良くは思っていない。それでも、無視できない家柄の権力者なのだ。
「公にはシャルと同じ年の娘がいてね。公爵側の申告によると、たまたま、青の月の最後の日の生まれだそうだ。客観的に見て、かなりの美人でもある。あわよくば、宴で、第二皇子に見初められたいってとこだろう」
ローザニアン皇国のアルフォンソ第二皇子。文武両道、世にも稀な黒髪と黒い瞳の美形として名高い貴公子だ。側室であった実母は地方貴族の出で、後ろ盾には乏しいが、あまりの優秀さに次代の皇帝にとの声が絶えないとか。
「君たちのおかげで、けが人も、物的被害も、最小限に抑えられた。術師を総動員して処置に当たれば、小規模な舞踏会くらい何とかなるだろう。そう言われたら、断るのも難しい。知っての通り、ここには、実際、優秀な術師が集まっているからね」
「まあ、宮廷周辺は無事だったわけだしってことかしら?」
「皇子の要望を軽んじたって、後で皇国に難癖付けられる可能性もゼロじゃない。国王としては、伯父貴の言う通り、最善を尽くすしかないわけだ。ま、招待客はできるだけ絞るつもりだが」
紅茶をすすって、チャスは遠い目をした。
「小国の国王なんてなるべきじゃなかった。今でもそう思うよ。バカやってた頃が懐かしいよ」
「俺たちのことは気にするな。勝手にやっとくから、な、サミー」
「僕は、『青の塔』に行ってみたいな。クリス兄に頼んだら、中に入れてくれるかな?」
早速、王都見学の予定を立てだすクレインとサミュエルに、チャスティスの眉がかすかに上がった。
「お気楽な事、言ってるけど、君たち、他人事だと思ってる?」
「そりゃ、どういう意味だ?」
怪訝そうにクレインが問い返す。
「私たちも絞り込まれた招待客に含まれてるってことよ」
うんざりした表情でマリーナが言った。
「何といっても、君たちベルウエザーは、今回の戦いの一番の功労者だからね」
とチャスがウインク。
「わが国には勇猛なるベルウエザー一族が控えてるってことを、皇国に示しておいて損はない。別に、君たちだけ楽するのは、ずるいって思ったからじゃないよ」
盛大に顔をしかめる夫に、マリーナは肩をすくめてみせた。
「イベントの目玉はできるだけ多い方がいいわ。今回は国王の顔を立ててあげましょう」
「さすが、マリーナ。助かるよ」
仕方ないもの、とマリーナ。それから
「できれば、シャルだけは休ませて欲しいのだけど」
「今回は、病欠ってことで。かまわないよな?大変な目にあったんだ。いいだろ?」
とクレイン。
「それは無理だ」
チャスティスが即答した。
「僕だって、ゆっくりさせてあげたいのは山々なんだが」
そう続ける彼は、本当に申し訳なさそうに見えた。
「青の月最終日生まれは、例外なしで出席ってことなの?」
マリーナの言葉にチャスティスは首を振った。
「と言うより、シャルは、リーシャルーダ・ベルウエザー子爵令嬢は、ぜひ、ご出席願いたいと、言われてる。第二皇子の側から」
「シャルを名指しで?」
「どういうことだ?」
怪訝そうに顔を見合わせるベルウエザー夫妻。
紅茶を飲みながら黙って話を聞いていたシャルが、おずおずと口を挟んだ。
「あの、チャスおじ様、黒髪で黒い瞳の貴族って、珍しいですよね?」
「そうだね。現在王都に滞在している中では、アルフォンソ皇子くらいじゃないかな」
チャスは、シャルを面白そうに見つめて言った。
「じゃあ、たぶん、その皇子様が私を助けてくださったのでは?」
おや、気づいていたのか、とチャス。
「おそらくね。君たちをここ、離宮の別棟へ連れてきたのは、完全に彼の独断だから」
「え、チャス、お前が用意してくれたんじゃないのか?」
「私もてっきり王命かと」
驚く両親にチャス、もといチャスティス・ブーマ国王は首を振った。
「完全に事後承諾さ。現地の混乱がひどくてね。正直なところ、こちらは、みな、後始末で手いっぱいだった。シャルの怪我のことは、向こうからの報告で初めて知ったんだ。本当に申し訳ない」
「あの・・・せめて、お礼を申し上げたいのですが。皇子様はどちらに?」
「それは秘密。言わない約束になっている。ま、案外と近くにいるかもね。離宮本棟の3階とか。ちなみに離宮は、今現在、皇国使節団一行の宿舎ということになっている。僕としては、君たちには、少なくとも宴が終わるまでは、この建物内に留まっていて欲しいな」
勢い込んで尋ねたシャルに、チャスティスはいたずらっぽく答えた。
「ま、すぐに会えるさ。歓迎の宴で。皇子様は、シャル、君をエスコートしたいそうだ」
「エスコート?皇国の皇子様が私を?」
目を丸くしたシャルに、チャスティスは、お菓子をもう一つつまみながら答えた。
「申し出は快く受けるべきだと思うよ。皇子からのお見舞いの品、全部平らげちゃったしね。絶品だったよね、あのお菓子。どうやら、皇子一行は素晴らしい料理人を連れているらしい」
クレインがお茶を噴き出した。
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