第10話 皇子、勝負する
「お嬢様って、びっくりするほど華奢ですよね。腰だって細い。これじゃ、コルセットを締める必要、ありませんよ。不思議ですよね。人の倍、いいえ、それ以上食べられるのに。エルサは羨ましい限りですよ、ほんと」
手際よくドレスを着つけてやりながら、エルサがため息を吐いた。
「奥様も、旦那様に負けず劣らず大食いなのに、あんなにスタイルがよくていらっしゃる。やっぱり、血筋ですかねぇ。うらやましいこと」
小柄だが、それなりに豊満な体つきのエルサは、体重維持が密かな悩みの種だったりする。
シャルとしては、本人が気にするほど別に太ってるわけじゃないと思う。出るべきところがしっかりと出たエルサの体形は、シャルには、羨ましくさえあるのだが。
エルサは、ベルウエザー本家の家令の娘でシャルの専属侍女だ。
6つ年上の彼女は、シャルにとっては、単なる使用人というより姉のような存在だ。
幼い頃、まだ力加減が上手くできない間は、実質的に唯一の遊び相手でもあった。
どんなに見た目が愛らしい子供だったとしても、うっかり家具を粉々にし、スプーンを握りつぶすような子供の遊び相手をしてくれる者など、他にいなかったのだ。
「それにしても、お怪我が大したことなくて幸いでした。魔物が出たって聞いたときは、本当に心配したんですから」
「ごめんなさい。すぐに連絡できなくて」
「滞在先が変わったことを、ですか?そんなこと、お気になさらないで。ここの方が、ずっと安全ですし、お食事も極上です。まあ、場所が場所だけに、ちょっと驚きはしましたけど」
シャルは自分の武勇伝に関して、エルサに何も話していない。両親にも口止めされているし、言えば、絶対に、なんて無茶を、と怒られるに決まっているから。
「ま、お嬢さんにとっては、不幸中の幸いって言えるんじゃないですか。帝国の皇子様にエスコートしてもらえることになったんですから」
エルサに限らず、他の人には、『魔物に驚いて馬が暴れ、馬車が壊れたが、幸いにしてベルウエザー嬢はかすり傷だった』という話が、まことしなやかに伝わっているはずだ。
実際のところ、右手に巻かれた包帯以外、傷を負った痕跡はすでにない。
「お嬢様、包帯は長めの手袋で隠しておきましょう。ほら、これなら、ドレスにも合います」
しゃべっている間も、彼女の手は止まらない。シャルが鏡の前に突っ立っている間に、衣装を整え、さっさと化粧まで施してくれた。
「本当に、お嬢様は、もっと身なりに気を使うべきですよ。御髪だって、ちょっと手を入れれば、この通り。ほんのり薄化粧すれば・・・ほら、ご覧くださいな」
鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめる。
サイドを軽く三つ編みにして後ろに流された淡く輝く銀髪。長いまつ毛に縁どられた琥珀色の瞳。母マリーナのような、いわゆる目の覚めるような美女ではないが、それなりに可愛い方だと素直に思える。
エルサが王都の一流サロンで選んでくれたという、淡いピンクのふんわりしたドレスがぴったりだ。
「私の見立てに間違いはありませんよ。お嬢様は、まさに妖精みたいに可愛らしいです!その、笑わないと噂の皇子様だって、きっと見惚れること、間違いなしです!」
エルサは仕上がりを最終チェックすると、満足そうに断言した。
いくら暖かくても冬なんですから、と暖かそうな同色のショールをまとわせてくれる。それから、本当はない方がいいんですけどね、と言いながら眼鏡を渡してくれた。
「お嬢様、くれぐれも、力加減には気を付けて。うかつに物に触れないように。皇子に手を差し伸べられたときは、軽く、軽く、握るんですよ。お食事の量も、他のご令嬢に合わせるよう注意されてください」
と心配そうに付け加えた。
「わかってる。最善を尽くすわ」
シェルは緊張した面持ちで答えた。
今日は、記念すべき社交界デビューなのだから。一応。
「では、お嬢様、そろそろ参りましょうか」
エルサが、にっこり笑って扉を開けた。すると
「大変です、シャルお嬢様!」
ベルウエザーの騎士の一人が息せき切って飛び込んできた。
* * * * *
「何かあったの、ジェイ?」
驚いて問いかけたシャルに、顔なじみの若い騎士が、息を切らせつつ、答えた。
「あの、お嬢様、どうか、すぐ、すぐ、おいで下さい!団長が、お父上が・・・」
「父上が?」
「第二皇子と、剣で勝負されると」
「なんですって!」
羽織ったばかりのショールを脱ぎ捨て、シャルはドレスが乱れるのも構わず走り出した。
* * * * *
別棟の前のちょっとした広場には、かなりの人だかりができていた。
皇国の騎士らしき一団と見慣れたベルウエザーの騎士たちが、ある者は面白そうに、ある者は心配そうに、広場の中央当たりを見守っている。
そこで、目まぐるしい速さで、激しく剣を交わしている二人の男。クレインとアルフォンソ皇子を。
カッ、カッ、カッ
刃がぶち当たる独特の音が矢継ぎ早に響いている。
コートと上着は脱いでいるが、二人はそれぞれの騎士団の正式な制服姿だ。握っているのは、ベルウエザー騎士団で訓練用に使用している細身の剣。
訓練用と言っても、刃こそある程度つぶしてあるが、その鋼の刃は実戦でも十分役立つほど硬く仕上げてある。まともに打ち合えば、骨折する危険性も十分あるのだ。
もし、クレインの剣が、皇子の腕や胴にでも当たれば・・・
「父上、お止めください!何されてるんです!」
シャルの叫びに、クレインと皇子は、ぴたりと動きを止めた。
「何って、ちょっと、確認を」
「確認って何の?」
「大切な娘をエスコートさせるに足る人物かどうか、かな。いろいろ聞きたいことは他にもあるが。俺から一本取れば、とりあえずエスコートは認めるってことで。そうでしたよね、殿下?」
皇子が表情を変えもせずに頷いた。
「続きを」
短く言うと、剣を構える。
クレインも剣を構え、しばし二人はにらみ合った。
一陣の風が吹き抜けた。
どちらからともなく、ぶつかり合い、再び激しい切りあいが始まる。
誰もが誤解しがちだが、クレインの剣技の一番の強みは、その体格を活かした重い一撃ではない。むしろ、繰り出される剣の速さと巨大な体躯からは予想もつかぬ身軽さなのだ。
魔獣狩りの辺境騎士団を率いる、紛れもなく超一流の戦士クレイン・ベルウエザー。
アルフォンソ皇子は、驚くべきことに、そのクレインの攻撃をことごとく躱していた。
危ういところで剣を受け流し、深く切り込まれた時は、横に後ろにと最小限の動作で逃れる。返した剣で素早く反撃を繰り出す。
「お願いだから、二人とも止めてったら!」
今度はシャルの叫びに二人は反応しようとはしなかった。ただ、ひたすらに戦いを続けている。
駆け寄ろうとしたところを、背後から腕をグイッと引っ張られ、阻止された。
「落ち着きなさい」
「母上!」
いつの間にか、マリーナが騎士団に紛れるようにして立っていた。
「母上、父上を、二人を止めてください!」
焦りまくっているシャルとは対照的に、マリーナは落ち着き払って夫と大国の皇子が戦うさまを見つめている。
「大丈夫よ、シャル。あの皇子様も、かなりの使い手よ。心配ないわ」
「大丈夫じゃありません!もし、父上が皇子殿下に怪我でもさせたら、国家間の争いになるかもしれません」
「う~ん、それはないと思うけど。あの皇子が剣の達人だという噂は、本当だったみたいね。クレインと互角というより・・・あら、勝負ありかな」
ひときわ大きな歓声に、慌てて、振り返る。
クレインが悔しそうな顔で叩き落とされた剣を拾っていた。
「これでよろしいですか?」
皇子の落ち着きはらった声が聞こえた。
「約束ですからな。あとは、シャル次第だ」
と、クレイン。
アルフォンソ皇子が、剣を野次馬騎士の一人に返す。そのまま、シャルの方にまっすぐに近づいてくる。
立ち尽くすシャルの前まで来ると、優雅に一礼して言った。
「お迎えに参りました、ベルウエザー嬢。エスコートさせていただけますか?」
なんて深い響きのテノール。
それに、吸い込まれそうな黒い瞳。
あれだけ激しく戦った後だというのに、息が乱れた様子もない。
いや、ちょっと乱れたシャツの合わせ目から覗く、男にしては白い素肌が、なんか、こう、色っぽいっていうのかしら。
淑女らしくない思いに、頬が赤らむのを感じる。
「ベルウエザー嬢?」
シャルが小さく頷いた瞬間、
「なかなかの勝負でした」
マリーナが笑顔で言った。
「いろいろ心配な娘ですが、今夜はどうぞよろしくお願いします。でも、まず」
言葉を切って、はだけた胸元を視線で示して
「身支度を整えな直された方がよろしいかと。若い淑女方には、刺激が強すぎます。陛下には少し遅れる旨、お伝えしますわ」
「お嬢様も、です」
ボーとしていたシャルは、耳元でささやかれた言葉にびっくりして振り向いた。
エルサがシャルの背後に立っていた。汗だくになって息を切らして。
「せ、せっかくの、装いが、私の努力が!もう一度、お戻り、ください」
結局、ベルウエザー一行と皇国皇子たちの出発は予定よりも1時間以上、遅れることとなったのだった。
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