第11話 シャル、皇子と会話する

 気まずい。正直言って、思っていた以上に気まずい。どうして、辺境の貴族令嬢が、こんなことに?


 異国の皇子様と二人きり、馬車で向かい合って座る羽目になるなんて。


 シャルは少々訳アリのため、極端に社交経験が少ない。また、辺境のベルウエザー領のそばには、若い令嬢や令息がいる領地が皆無なので、社交の場そのものが少ない。そもそも、ベルウエザー一族は、一応貴族の称号は持っているものの、その内実は貴族というより、むしろ騎士に近い。社交術などに重きを置く者はいないのである。


 領主の娘として、貴族に必要な礼節を学びはしたが、実践は今回が初めて。貴族のたしなみも貴族らしい会話も、とても無理だ。


 この状況で、何を、どう話せばいいのだろう?他の令嬢ならどんなふうに話を切り出す?それ以前に、身分の低い者から話しかけるのは、無礼千万だって習わなかったっけ?話しかけられるまで、待つべきよね?


 でも、この沈黙。この静けさ。いたたまれない。


 馬車に乗り込んでからずっと、一言もしゃべらないアルフォンソ皇子の方に、ちらりと視線を投げる。


 やはり凝視されている。


 そう、この皇子様は、沈黙したまま、ただひたすらシャルの顔を眺めているのだ。


 決して女性的ではないが、やや中世的な彫の深い顔立ち。男にしては長めのまつ毛に縁どられた漆黒の瞳。首の後ろで緩くまとめられたやや長めの、俗に言うカラスの濡れ羽色の黒髪。男性にしてはやや色白に思えるが、その体つきは細身ながら決して軟弱な感じはしない。


 確かに眼福ではある。


 まるで芸術の女神ミューズの手による美しい彫刻のようだ。


 皇子は、一体何を考えているのか。無表情に、そのくせ、シャルから視線を外そうとはしない。


 ただでさえ、シャルは、家族以外の男性への免疫がない。


 絶世の美男の醸し出す無言のプレッシャーに、喉はカラカラ、首肩はコリコリ状態だ。


 15分が過ぎたころには、シャルは沈黙に耐えられなくなっていた。


 相手が話し出すのを待っていたら、せっかくの機会なのに、感謝の言葉さえ、伝えられないかもしれないし。


 「あの、アルフォンソ・エイゼル・ゾーン・ローザニアン皇国第二皇子殿下」


 思い切って、シャルの方から口火を切ってみる。チャスティス王に前もって確認していた正式名を思い出しつつ。


「アルフォンソで、かまわない。いや、そう呼んでほしい」


 皇子は別に気を悪くした様子もなく、応じてくれた。気のせいだろうか?なんだか、嬉しそうに・・・。


 それにしても、素敵なお声。いや、そうじゃなくて。


「そんな。皇子殿下をお名前で呼ぶなんて。畏れ多くてできません」


「気にしなくていい。その代わり、リーシャルーダ嬢と呼んでもかまわないだろうか?」


「私のことは、シャルとお呼びください、殿下」


「では、シャル嬢。殿下と呼ぶのは、やめてほしい。できれば、私のことは、アルと」


 さらに難度が上がった課題に、そちらがよくても、こちらが困る!という言葉を飲み込んで、何とか貴族令嬢めいた笑みを浮かべてみる。


「それでは、アルフォンソ様と。アルフォンソ様、先ほどは、父が大変失礼致しました」


「いや。よくあることだ。剣を抜かれるのは、慣れている」


 エスコートの許可をとるのに、父親と剣を交えるのは、皇国では普通のことなのだろうか?もしかして?


 皇子は、至極まじめな口調だし、別にジョークというわけでもなさそうだけど。


 気を取り直して、シャルは本題に触れることにした。


「先日は、危ういところを助けていただき、ありがとうございました」


 皇子が黙したまま、問いかけるような表情を浮かべたが、シャルは気にせず続けた。


「否定されても無駄です。私に認識阻害の術は効きませんので。医師や病室の手配までしてくださったと伺ってます」


「当たり前のことをしただけだ。間に合って本当に良かった。あなたに、治癒の術が効いてくれればよかったのだが」


 形のよい眉がかすかに顰められる。完璧すぎる美貌がやや人間味を帯びたように見えた。


「あの魔物を一撃で倒した、あなたの強さには感銘を受けた。さすが、あのご両親のご息女。我が騎士団にもあなたほどの手練れは、多くない」


「私、力だけは人並み以上なんです。あの・・・変だとは思われないのですか、いろいろと?」


 仮にも貴族令嬢が魔物と戦って、倒してしまったことを。


「いや。別に。むしろ、称えられるべき素晴らしい能力、個性だと思うが」


 個性!


 自分の人間離れした力をそう表現されたのは、生まれて初めてかもしれない。


「騎士の方だったら、確かにそうでしょう。でも、貴族の娘としては、いささか、非常識なのではないかと。女性としてあまり好ましい個性とは思えません」


 非常識どころでないのは、シャルだってわかっている。シャルの力は、どう見ても異常だ。いくら能天気ぎみなシャルでも、お年頃の女性としては、大いに悩むところであるのだ。


 今回、そのおかげで助かったことは、否定できないが。


「男であれ、女であれ、関係ないと、私は思うが。大切なのは、貴方がその力で守りたい者を守れるということだ。いくら人から称えられる力であっても、肝心な時に役に立たなければ・・・


 シャルが漏らした本音に、皇子は真面目に答えてくれた。


 最期の方で、不自然な間があった気がするが、個人的に、何か思うことがあるのだろうか?


「見事に弟御たちを救った、あれほどの力、ご両親もさぞ誇りに思われているだろう」


 それはどうだろう?とシャルは心の中で首を傾げた。迷惑はいろいろかけてきた自覚はあるけど。とにかく・・・


「できれば、その件はくれぐれもご内密に。お願いします」


「側近にも、そう言われた。ブーマ側とも話し合った結果、あの化け物を倒したのは、騎士の一人だということにすると」


 よかった。常識ある側近がいるようで。


 皇子様からのお褒めの言葉はそれなりに嬉しいが、シャルとしては、魔物を突き殺した貴族令嬢なんて通り名は、ごめんこうむりたい。ただでさえ多くはなさそうな婚姻先候補がさらに少なくなること間違いなしだ。


「それで、あの、アルフォンソ様、私の見間違いかもしれないんですが、っていうか、夢かもとも思うんですが、あの時・・・」


 あの、失神する直前の出来事、真だったのかも定かでない微かな記憶。


 ずっと気になっていたことを思い切って切り出そうとしたシャルを、皇子がやや早口で遮った。


「あの時は本当に心配した。すぐに意識を無くされてしまって」


「すみません。気絶したの初体験だったんですが」


 そうよね。私、ショックで気絶したわけだし。きっとあれは夢だったんだわ。とっても妙な夢だけど。


 常識的にもありえない。目の前の、この皇子様が、ぽろぽろ涙を流すなんて。


 一人、納得して、シャルは眼鏡越しに改めて皇子を見つめた。


 うん。本当にに噂は嘘じゃなかった。いや噂以上に、まさに皇子様って感じだわ。剣の腕だって父上に勝つくらいだし。


「力の及ぶ限り手当てはしたつもりだが。どこか痛むところはないか?」


 皇子が、ぽつりと尋ねた。


「殿下の、アルフォンソ様のおかげで、もうほとんど」


 ほらね、とばかりに、シャルは両手を上下に動かしてみせた。


「お見舞いに下さったお菓子も美味しくいただきました。本当にありがとうございました」


「口に合っただろうか?」


 突然、口調に熱がこもったかと思うと、アルフォンソはシャルの方へ身を乗り出した。


 シャルは急に小さくなった距離感に、思わずのけぞりながら、コクコク頷いた。


「とても、とても、美味しゅうございました」


「それはよかった」


 アルフォンソが微笑んだ。


 そう。微笑んだのだ。皇国の笑わない『黒の皇子』が。恥ずかし気に、ほんのりと頬を染めて。


 驚愕のあまり固まっているシャルの前で、皇子は驚くほど饒舌に語りだした。


「実は不安だったのだ。急遽、あり合わせの材料で作ったので。木の実やフルーツの種類は限られていたから、いくつかは代用品を使った。リキュール類は豊富にあったので、皇都で流行りの甘みを控えた甘味にも、挑戦してみた。最上級のチョコレートも揃えてあったので、チョコムースも作ってみたが」


 ん?これって、あのお菓子は、全部、皇子様のお手製だったってこと?


「ここ特有の素材で、初めて試したレシピもあったのだが、上手くできていただろうか?」


 照れながら真剣に問いかけてくる姿は、美貌の皇子というより・・・


 手作りプレゼントの出来を気にする女の子みたい。


 なんか、可愛いかも。


 皇国1,2と言われる剣士でもある人が、お菓子作りが得意なんて。


 シャルは緊張が解けてくるのを感じた。


 この人、噂と違って、案外、優しい人なのかもしれない。お見舞いに手作りのお菓子とか考える時点で、騎士らしくはない気がする。


 いくら何でも、皇国ではお菓子作りが騎士の嗜みなんてこと、ないよね?


「どれも素晴らしいお味でした。お店で買われた高級菓子だとばかり」


 アルフォンソは、ほっと息を吐いた。


「気にいってもらえて、作ったかいがあった。これで夢が一つ叶った」


 夢?女性に手作り菓子を贈るのが?


「殿下は、いえ、アルフォンソ様は、お菓子作りがお好きでらっしゃるのですね」


「料理全般は得意だ。昔、専門的に習ったことがある」


 アルフォンソが、心なし得意そうに答えた。


「宮廷の料理人にも一目置かれている。立つ瀬がないから止めてくれと頼まれたので、残念ながら、騎士団宿舎ぐらいでしか、腕は振るえないんだが」


 すごい、と言うか、料理人さん、大変そうって言うか。


 ちなみに、シャルもその母マリーナも料理の才能はゼロ。料理はすべて料理長まかせだ。


 父上は、母上が作ったものなら、たとえ生焼けのローストチキンでも喜んで食べるでしょうけど。


「行く先々で、その地の名物を食べ歩き、レシピを手に入れ、料理の腕を日々磨いている」


「まあ、食べ歩きですか。素敵なご趣味。私も食べるのは大好きですわ。よろしければ、我が国のおすすめ料理をご紹介します。お望みでしたら、詳しいレシピは、後ほど、侍女が教えてくれると思います」


 思いがけない共通の趣味に、シャルは愉快な気持ちになった。


 人は見かけによらないって、本当だ


 世の令嬢が夢にも思わぬ話題で、この後、宮殿に着くまで、皇子とシャルはかなり盛り上がったのだった。



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