第33話 エルサ、語る

「そもそも、あなた方はいろいろ思い違いをされておられたのです。魔王に関して。あるいは、この世界の理ことわりに関して。えっと、元勇者様」


「エクセルでかまわない。敬語も不要だ」


 話し始めたエルサに、エクセルが言った。


「じゃ、遠慮なく」と、エルサ。


 エクセルは、差し向かいに座って腕を組み、拝聴体制になっている。話が本当に聞きたいなら座った方がいいというエルサのアドバイスに従ったのだ。


「まず、はっきりと言っておくわ。私は魔王の力の一部だけど、魔王そのものじゃないわ。大体ね、『魔王』とあなた達が呼んでいた者は、負の感情から生じる『穢れ』に支配された術師のなれの果てよ。『魔王』、つまり魔の王と呼ぶこと自体が、おかしいのよ」


「魔と言うのは、世界を滅ぼそうとする悪ではないのか?」


 元勇者の疑問に、エルサは大きくかぶりを振った。


「その理論の根底そのものが間違ってるって言ってるの。本来、魔と言うのは、闇の魔力を持つ、あるいはその影響を大きく受ける存在のこと。古来、人は、闇の属性を持つ生き物全般を魔物と呼び、その中でも人間に近い理知的な種族を魔族と呼んできた。闇と言うのは、この世界に存在する力の属性の一つに過ぎない。闇あるいは魔そのものが、あなた達人間が定義するところの『悪』ではないのよ。光の属性を持つ者が、必ずしも善ではないのと同様に。ただ、闇の力が、『穢れ』を取り込みやすいのは事実。そして、穢れを取り込んだ闇の力の奔流を、あなた方は瘴気と呼んでいる」


 ここで、エルサは、言葉を切って、思いもかけなかった話に、当惑を隠せないでいるエクセルを見やった。


「『穢れ』は、あなた達人間風に言えば、この世界に生まれた負の感情が生み出す破壊衝動ってとこかしら。だったら、『穢れ』を一番生み出してきた生き物は、何だと思う?」


「たぶん・・・人間だ」


 エクセルが渋々といった様子で認めた。


「その通り。人間ほど、感情的で勝手な生き物は、他にいない。人間は他の生き物をいとも簡単に害する。ただ見た目が悪いから、自分たちの邪魔になるから。たとえば、地面を這う、ちっぽけで無害なダニ。彼らは、見た目が気持ち悪いから殺してもいい。花壇に生えた雑草は、美観を損ねるから抜くのが当たり前。大部分の人間にとって、自分たち以外の生き物の命なんて大した意味がないわけよ。おまけに、その異常に強い危険回避本能のせいで、自分たちを脅かす存在、脅かす可能性が少しでもある存在に対しては、類のない攻撃性を示す。つまり、そうなる前に、ごく自然に抹殺しようと考えるってこと。昔から、多くの生き物が、人間を害する可能性が少しでもありと判断されるやいなや、容赦なく処分されてきた。住処を奪われて人里に迷い込んだ魔物の親子は、殺すべき存在なのよ。その意図がどうであれ。魔物である、それだけの理由で十分。それが人間の常識。あ、一つ訂正。人間は人間同士でも同じように殺しあうこともあるわね。この理論は、人間間でも適用可ってことかしら」


 エルサは、独りで突っ込むと、頷いて話を続ける。


「人間以外の生き物は、そんな理由では、他の生き物を殺したりしないし、殺しあったりも基本的にはしない。彼らの多くは人間に比べれば極めて単純。生きるために、生き残るために殺す。それだけ。それに、人間以外のほとんどの生き物は、たとえ理不尽に命を奪われても、事実として甘受するから、『穢れ』を生み出すことはめったにない。運命の理不尽さを恨み、他人を妬むのも、人間の特性の一つ。恨みや妬みから多くの『穢れ』が生じ、その『穢れ』が瘴気を作り出す。瘴気は多くの魔物を凶暴な化け物に変えてしまう。瘴気に支配された魔物は、人間をはじめとする、自分以外の存在を襲いだす。それは更なる悲劇を生み出し、人間は魔物そのものを敵視して躊躇なく殺す。いつの頃からか、人間たちは、魔を、魔物を、滅ぼすべき悪そのものと考えるようになったわけ。とりわけ、魔族への蹂躙はひどかったわ。高い知性を持つ魔族の中には、人間への恨みから凶行に走る者もあらわれた。これって、一種の負の連鎖っていうのかしら?」


 あくまで事実を述べているだけのエルサの淡々とした話に、エクセルは何も言えずに唇を噛んだ。


「あなた達が『魔王』と呼んだ男は、自分が受けた非道な仕打ちを我慢できなかった。運命を恨み、その元凶を恨み、この世界の理不尽さに復讐しようと、分不相応の力を欲した。その挙句、取り込んだ瘴気に自我まで飲み込まれて、ついには、『穢れ』の意志そのものと化した。生あるものすべてに対する破壊衝動そのものに。彼本来の目的も見失ってね。私が言うのも変だけど、ある意味、かわいそうな男だったわ」


「俺たちが、『伝説の勇者一行』が、やったことは、間違っていたのかな?」


「まさか。あなたたちが命がけでやったことは、人間たちにとっても、この世界にとっても、この上もなく大正解」


 エクセルの苦しげな言葉を、エルサは、軽く手を振って否定した。


「依り代を消滅させ、行き場を無くした強大な『穢れ』の塊を、次元の狭間に封じ込める。あれは、あの時点では、世界を救う最善の方法だった。方向性を失った破壊の力は、放置するには危険すぎた。あなたたちは、確かに世界を救ったの。そこは、自慢していいところよ」


「そうか」


 安堵を浮かべたエクセルの顔を、エルサは面白そうに眺めた。


 勇者だった男も、幾度かの転生を経て、随分と変わってしまったようだ。

 魔王を倒した『偉大なる伝説の勇者』、金色のマリシアス。魔王の目に映っていた宿敵としてのマリシアスは、自分の正当性に微塵の疑いも抱かない、正義に凝り固まった騎士だった。


「ただ、その後が問題だったようね。私には、詳しい事情はわからないけど。推測するに、黒竜は人間たちに殺されたってこと?」


 エクセルは、こみ上げてくる苦い思い~悲しみとも後悔ともつかない思い~に、目を伏せた。


 平和を信じ、新たなる王国を築く大望の下、日々、忙殺されていた彼マリシアスは、全く気づかなかったのだ。自分を神にも等しい主君として崇め奉っていた家臣たちの人外の存在への恐れに。未来の憂いを払しょくしようと、企てられた恐ろしい裏切りに。

 気が付いたときには、手遅れだった。共に戦った人外の友は死に、密かに愛していた聖女は絶望に心を閉ざした。


「それにしても、『銀の聖女』ってすごい術師だったのね。魔王でさえ成功できなかった、死者の魂の召喚を成し遂げた。その上さらに、黒竜の魂をこの地に転生させるなんて」


 エルサの中の魔王の力。そこには魔王の記憶とその知識もいくらか含まれている。だからこそ、理解できるのだ。その術がまさに奇跡の技であったことを。


 本来、純粋な魔物である竜の魂は、その死とともに分解され昇華して、この世界を構成する力の一部となる。多すぎる不純物ゆえに地から離れることができずに、記憶のみを新たにして生を繰り返す人と違って。その純粋無垢な魂に異なる属性をすべて付加することで、無理やりこの地上につなぎ止め、新たな肉体を与える禁断の術。


 たぶん、術の基本的な構成は、それで間違ってはいないはずだ。


 勇者のために鍛えられた聖剣、あらゆる属性を吸収し、放出する無属性の剣プレスティーナ。生まれつき、闇と光以外の全属性魔力を持つ勇者マリシアス。そして、強大な光属性魔力を生まれ持つ銀の聖女自らの魂。

 その三つの要素があったからこそ成功した術だ。


 リーシャは、勇者の剣プレスティーナが魔王を滅した際にその闇の力を刀身に取り込んでいることを知っていたし、封印をこじ開けて更なる闇の力を手にする術も見出していた。彼女は黒竜が残した魔石を核にその魂を呼び戻し、この地で受肉させるべく、禁断の術を行使したのだ。勇者の命と自らの魂をも使って。


「まあ、彼女のおかげで、『魔王』の力の一部が解放され、こうして『私』がいるわけだけど」


「信じよう。確かに、君は魔王とは異なるようだ。でも、魔王でないとしたら、一体何なんだ?」


「言ったでしょ。私はエルサ。シャルお嬢様専属の侍女よ。ただ、ちょっと、魔王の力と融合しちゃっただけ」


「融合しちゃった?」


 怪訝そうに繰り返すエクセルに、今後のことも考えて、少し事情を説明してやることにする。


「純粋な人間としてのエルサは、12歳の時に死んだのよ。魔物に襲われたお嬢様を庇って。術の影響で黒竜の魂のそばに在った魔王の力の片鱗が、その体にとりついた。そう言うのが一番近いのかも」


「とりついた?」


 う~んと首をひねってから、エルサが言い直した。


「正確に言うと、瀕死のエルサに取り込まれた、かな?」


 目を丸くするエクセルに、考え考え、説明を続ける。


「あの時、私は、エルサは、お嬢様を守りたかった。肉体的にも精神的にも。だから、死ぬわけにはいかなかったのよ。自分のせいで私が死んだと思ったら、お嬢様は立ち直れないんじゃないかと思ったから。ただでさえ、尋常じゃないお嬢様を一人にはできなかった。で、気が付いたら、融合しちゃってた、みたいな?実質的な闇の力は、ほとんど残ってないけどね。ま、私の事情はそんなところだと思ってくれる?」


 エクセルはわかったような、わからないような顔をして、頷いた。


「ついでに、私も訊きたいことがあるんだけど」


「何をだ?」


「あなたこそ、どうして、自・分・を・殺・し・た・女・の傍にいるの?あ、今は男だけど。恨んでいないの?」


 まあ、事情を知る者にとっては当然の疑問だと、エクセルは、いや元勇者は思う。


 自分に起こった現象が、術の副反応なのかどうかはわからない。が、彼はほどなく悟ったのだ。リーシャの転生に前後して、自分まで、前世の記憶を引きずったまま、生を繰り返し続けなくてはならないのだと。


 正直なところ、最初のうちは恨みもした。なぜ、自分はこの世にいるのかと。勇者として信じていた栄光も未来も失って。何度も、何度も、リーシャであった魂を持つ者が報われることのない願いを胸に決して長くはない生涯を送るのを見つめ続けて。


 『銀の聖女』の最期の術には、もう一つ、致命的な副反応があったのだ。術を発動したリーシャの魂がこの世にある限り、魔王の封印は弱まり、完全に封じたはずの瘴気が漏れ続ける。逆にリーシャの魂がこの世から離れれば、封印は元に戻る。


 『銀の聖女リーシャルーダ』。彼女は、本来、聖女の名にふさわしい優しい少女だった。絶望に狂ったとしても、彼女の本質は変わらなかった。


 彼女であった存在は、魔王の力がこの世に現れ出るのを、その力の片鱗が人々を苦しめるのを、欲さなかった。リーシャの魂を持つ彼女は、あるいは彼は、黒竜ゾーンの魂との再会を願い、恋焦がれながらも、人々を守って瘴気と戦い、封印が開くのを少しでも遅らせようとした。どうにもならないと感じたときには、自ら命を絶ってまで、この世界を守ってきたのだ。


 なんという矛盾。

 愛しい唯一の存在のために世界を犠牲にしようとしたのに、自分の命を犠牲にその世界を守ろうとするとは。


 元勇者の魂を持つ者は、その度に、彼女の/彼の生きざまを見続けてきた。なんとか救ってやりたいと思いながらも、結局はどうにもできずに。


「なぜ、傍にいるのか、か。そうだなあ、しいて言えば、守りたいからかな、やっぱり」


 かつて愛した人の魂を。人外の友との約束を。


「彼、あなたを信頼しているようだけど、あなたがあの『勇者』だとは、認識していないのよね?」


 エルサが、小首を傾げて訊いた。


「古の記憶が戻る際にちょっとした術をかけた。思い出したくないことを忘れさせるのは簡単なことだ」


「そう・・・」


 その答えに、魔王の記憶を内に持つ女は、納得したようだった。


「ただ守りたいから、傍にいる、か。わかる気はするわ。人間って残酷で時には自分勝手な生き物だけど、大切な存在のために自分を犠牲にすることもできるのよね、ごく自然に。他者の痛みに無関心になれるかと思うと、その痛みを我が事のように感じ、他者を救うために、自分の痛みを無視することもできる」


 そんな矛盾しているところ、嫌いじゃないのよ、と小さく呟くと、エルサは笑った。


*  *  *  *  *


 闇属性の力を操れるエルサと、光と闇以外の属性の力を今生でもかろうじて保持していたエクセル。


 エクセルが、エルサから『魔力の吸収方法』の短期集中講義を受け、なんとかその技を会得できたと自信が持てた頃には、すでに2時間が経っていた。


 ちなみに、エルサはベルウエザーで、魔物料理をする際の瘴気抜きの作業を通じてその技をマスターしたとか。


 なんにせよ、これで何とか『治療』に取り掛かれそうだった。


「始める前に一つだけ約束して」


 今にも『治療』に取り掛かろうとしていたエクセルは、エルサの言葉に顔を上げた。


「もし、もしもよ。この身体が闇の力を受け止めきれなかった場合は・・・始末をよろしく。お嬢様には絶対に気づかれないように」


 その茶色の瞳に浮かぶ決意の色を受け止めて、エクセルは頷いた。


「わかった。その代わり、俺の方が保たなかった場合は、そちらでよろしく頼む。アルには秘密で」


 改めて視線を交わすと、二人は『治療』に取り掛かった。




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