第34話 皇子、目を覚ます

「次回は、絶対、絶対、私のの方が美味しいって言わせてみせるから!」


 黒竜は、美しい黒いうろこを波打たせて笑ったようだった。

 もちろん、竜が言葉通りの意味で『笑う』ことはない。ただ、伝わってきた彼の感情は、人間に例えれば、笑いに相当するものだ。


『料理を始めたばかりのリーシャが作ったものが、プロの料理人によるものに劣るのは当たり前だ。初めてにしては、悪くなかった。食すことは一応できたからな』


 そこは、お世辞でいいから、美味しかったって言ってくれればいいのに。


 ゾーンは、いつもバカがつくほど正直だ。100年くらい生きていて、この世界のあらゆる知識をほぼ何でも知っているくせに。


「自慢じゃないが、うちの料理人の腕は超一流だ。彼の作るものは、王宮で供されてもおかしくはない。美味しくて当たり前だ」


 半ば空っぽの大皿を見ながら、マリシアスがやや申し訳なさそうに言った。


「リーシャ殿の料理も、そのお、個性的で、それなりに美味かった、と私は思うぞ」


 はたして、この場合、個性的って誉め言葉だろうか?人間と会話したことはあまりないから、自信は持てないけど、違う気がする。


 この金髪碧眼の騎士は、人外の存在を畏怖しない数少ない人間の一人だ。彼は時折やってきては、ゾーンとなにやら難しそうな話を楽しそうにする稀有な人間でもある。


 ゾーンの話から判断すると、心話を理解できる者そのものが、人間の中では、とても珍しいようだが。


 この人間は、ゾーンにとって、友人と呼べる存在なんだろう。わざわざ、手土産~主として食べ物や酒~を大量に持参して、『魔の森』を定期的に訪ねてくる者は、知る限り、彼だけだ。


 マりシアスという男は、それほど嫌いではない。いつも優しく接してくれて、町の人間たちのように、外見で差別したりしないから。彼自身の外見は、と言えば、人間としては、かなり見栄えがする類だ。たぶん、だけど。


 ゾーンによれば、こういう男を人間は『美丈夫』と呼ぶのだそうだ。


 ゾーンは、竜のくせに、人間が加工した食品、つまり『料理』が大好きだ。そのことに気づいて以来、幼いころの記憶とマリシアスが携えてきた『料理』を参考に、自分なりに試行錯誤してみたが、なかなか腕前は上達しない。

 今回は、意外と甘党のゾーンのために、焼き菓子とやらに挑戦してみたのだ。でも結果は・・・自分でも認めざるを得ない。ともかく、ひどい出来だった。


 森で採れる果物はとても新鮮で質もいい。今年は小麦も栽培して、人間達をまねて、小麦粉とやらを作ってみた。蜂蜜だって、十分に用意できたのだ。おそらく、材料に問題はないはず。だとすれば、問題があるのは、作り方だ。


 何でも知っているゾーンは、なぜか調理法に関しては、ほぼ無知だ。食べるのは大好きだが、作り方に関心はないらしい。まあ、ゾーンの怪力では、料理なんて繊細な作業は無理だから、仕方ないことなのだろうけど。

 森の外の出来事に詳しいマリシアスも、この件に関してはあてにならない。


「どうだろう?直接、うちに来て、料理人に教えを乞うのは?」


 持参された焼き菓子と自作の焼き菓子を再度食べ比べながら、首をひねって考え込んでいると、マリシアスが提案した。


「直接?ここから出て?森の外へ?」


 町での思い出したくもない記憶に思わず言いよどむ。すると、マルシアスは、懐から銀色の輪っかのようなものを取り出した。


「個人的には、リーシャ殿のその角はきれいだと思う。だが、外には、無知な輩もいるからね」と言いながら手渡してくれる。


『ほう。それで、角を隠すわけか』


 感心したように、ゾーンが言う。


「ああ。リーシャ殿の髪の色と同じ銀でできたサークレットだ。一応、軽い認識阻害の術は施してある」


 どうだろうか、と再び問いかけるマリシアス。


 そのサークレットやらの感触は、そんなに悪くはなかった。何よりも色が気に入った。自分の髪と同じ色。これを嵌めて角を隠せば、きっと、普通の人間に見えるだろう。誰にも見とがめられることなく、人前に出れる。

 試しに嵌めてみると、よく似合うとゾーンも誉めてくれた。


『そうだな。そろそろ、外に、町に出るのもいいかもしれない。マリシアス、君が一緒なら心配する必要もないだろうな』


 その日から、マリシアスが来るたびに、一緒に町へ出かけるようになった。彼と一緒に町で過ごす時間は、面白く刺激的だった。ゾーンと過ごす、静かな時間とまた違った意味で。本屋によって新しい書物を手に入れたり、衣服などを扱う店をひやかしたり。珍しいお菓子を買って帰って、ゾーンを喜ばすことも覚えた。


 とても幸せな時間。ずっとこんな時間が続いていけばいいのに。


*  *  *  *  *


 アルフォンソは夢を見ていた。最初の生での一番幸せだった頃の夢を繰り返し、繰り返し。彼は小さなリーシャであり、その世界は『魔の森』と呼ばれる森とそこに隣接した小さな町だけ。魔王との戦いも正妃との確執も存在しない、黒竜に守られて、何の憂いも感じなかった、遥かな、もはや存在しない時間。


 心のどこかで、何かが変だとはわかっていた。それでも、よかった。このまま、『ここ』に居られるのなら。


*  *  *  *  *


『お願い、目を覚まして。アルフォンソ様!』


 突然、どこかからがした。


『お願いだから。置いていかないで』


 嗚咽交じりの声。誰だろう。この声は?


『アルフォンソ様!どうか、お願い!』


 アルフォンソ?私は・・・

 唐突に思い出す。

 そうだ。自分は、今生ではアルフォンソ・エイゼル・ゾーン。黒竜ゾーンの名を冠した王家の末裔。ローザニアン皇国の第二皇子。


「どうか、お願い、目を覚まして。結婚してほしいって、幸せにしてくれるって言ったじゃない」


 泣きながら、自分の身体をゆすっているのは・・・そう、この声はシャル・ベルウエザー嬢だ。

 数えきれないほどの年月待ち続けて、今生でようやく見つけた黒竜ゾーンの魂を持つ娘。


「シャル・・・嬢?」


 自分のものとは思えないしゃがれた声がした。瞼がやけに重い。身体が思うように動かない。


「アルフォンソ様!」


 何とか目を開けると、視界いっぱいに広がる泣き顔。

 その銀色の髪と琥珀の瞳は、リーシャルーダと、遥か昔に生きた自分と、そっくりな色合いだ。

 ぼんやりと思う。そういえば、初めてだ。彼女の泣き顔を見たのは・・・。


「よかった・・・全然起きてくれないから。もう・・・・だめかと・・・」


 横たわったアルフォンソの首っ玉にしがみついてきた華奢な身体の確かさに、アルフォンソは今度こそ完全に目を覚ました。


「ほんと、なかなか目を覚まさないから、心配したぞ、アル」


 見上げると、エクセルが憔悴しきった顔で、ベッドのすぐ横に立っていた。そして、その隣には、なぜか、ベルウエザー家の侍女、エルサとかいう女性が。


 侍女の方も負けず劣らす疲れた顔をしているように見える。


「とにかく、よかったよ。後は、数日、しっかり養生すれば」


「元通りになられますわ、きっと」


 エルサに言葉尻を取られて、エクセルは微かに眉を上げて肩をすくめた。

 二人の視線が絡み合った。かと思うと、ぎこちなく離れる。


「それじゃあ、後は二人の時間ってことで」


 エクセルの合図に従って、背後に控えていたらしい医師か治癒者の一団がぞろぞろと退室していく。


「お嬢様、くれぐれも殿下に無理はさせないように。忘れちゃいけませんよ。力加減を。そうそう、お水はテーブルの上に」


 盛大に泣き出したシャルに目を細めると、エルサはどこからともなく1枚のハンカチを取り出してベッドの上にポンと載せた。


 彼らはあんなに仲がよかっただろうか?


 連れだって部屋を出ていく二人の姿になんとなく引っかかるものを覚えながらも、アルフォンソは、力を振り絞ってなんとか身を起こすと、泣いているシャルの背をおずおずと抱きしめた。


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