第32話 エクセル、エルサと逢う

「よ、お疲れ様」


 病室の前で護衛の任に当たっていた二人の騎士に、あえて軽めに声をかける。


「団長の様子はどう?やっぱり相変わらず?」


 騎士たちが一瞬視線を逸らし、壁の片隅に置かれた大きな袋を見たのを、エクセルは見逃さなかった。


「何かあったのか?誰か、差し入れに来たみたいだけど」


 袋からはお菓子らしきものが覗いていた。そういえば、甘い香りが、廊下にほんのりと漂っている。


 二人ともよく知る黒騎士団のメンバーだ。正直者でウソの吐けないタイプなのは重々承知している。それに、命令には基本的に忠実であるのも。

 けれど、全く融通をきかせられないタイプでもなかったようだ。もし、これがいわゆる賄賂的なものだとしたら。


「ええと、あの、それがですね」


「副団長、実は」


 同時に何か言いかけ、戸惑い気味にこれまた同時に口をつぐむ。折も折、扉の向こうから、若い女性の話し声らしきものが聞こえてきた。声から判断する限り、部屋の中にいる女性は二人。 


 一人は、シャル・ベルウエザー嬢。これは想定内。彼女はこの3日間、日中はほぼ一時も離れることなく、アルフォンソの眠る部屋にいる。


 今回の件で、彼女がどこまでアルフォンソの秘密を知ったのかは、エクセルにはわからない。前世の記憶を多少なりとも思い出したのかも、今のところ不明だ。ただ、思いつめた目をしてアルフォンソの看病を申し出た彼女を、誰も押しとどめることはできなかった。

 あの、ベルウエザー子爵夫人、マリーナでさえ。 


 でき得る限りの治療はすでに施された以上、彼女シャルにそれを超える何かができるとは到底思えなかったが。


 意外だったのは、もう一人の女性の存在。

 ベルウエザー嬢以外、誰も室内に入れないように、きつく命じてあったはずだが。


 扉の向こうから聞こえる令嬢よりやや低めの振り幅が大きい声。聞き覚えがある気がするが。


「その、エルサ殿が、やって来られまして」


 年長の方の騎士がおずおずと口を開いた。


「エルサ?」


「ご令嬢付の侍女殿です。エルサ殿は、お菓子を焼いたのでお嬢様に召し上がってもらいたいと」


「たくさん焼いたのでどうぞと、俺たちの分まで袋いっぱい、いただきました」


 若い方が勢い込んで補足する。


「確か、お菓子作りの腕前はかなりのものだと評判だったかな?」


 思い出した。

 事前に王都に詰めていたとかで、魔獣の襲来直後から、ベルウエザー家の別棟での生活の手配を一手に引き受けている女性だ。

 挨拶以外、個人的には口をきいたこともないが、団員たちからその評判は耳にしている。


 ベルウエザー一家に仕える、ややふっくらした体形の、ちょっとコケティッシュな感じの茶髪の侍女。おそらく、アルと同世代くらいの。噂では、気さくで、面倒見がよい、姉御肌の女性らしい。


「エルサ様は、本当に思いやりのある、お優しい方なんです。ご令嬢のことを、主と言うより、まるで実の妹のように、心底案じておられます。ご令嬢は、別棟にお戻りになってからも、ほとんど何も口にされないそうで。夜もほとんど眠れていないんじゃないかとも言われていました」


 若い騎士は、常よりも饒舌だった。その頬がほんのりと赤い。これは・・・あの侍女に非常に好意的ってことのようだ。


「リラックス効果のあるハーブティーを取り寄せられたそうで。滋養に富んだお菓子も特別に用意したので、ぜひ、ご令嬢に召し上がってほしいと」


「で、俺がいない間に、勝手に部屋に入れたってことかな?お菓子のおすそ分けをもらって?」


 必死な様子にどうしても断り切れなくて、と面目なさそうに俯く二人に、エクセルは、まあ、いいさ、とため息を吐いた。


「あとは俺が責任を持つから、休憩してきていいぞ。もらった菓子で皆とお茶でもしてくればいい。夜まで俺がここに詰めるから、交代は不要だと伝えてくれ」


 一礼して去る二人を見送りながら、エクセルは思う。

 考えようによっては、タイミングよかったのかもしれないと。


 粉々になった黒い輝石~アルフォンソが肌身離さず身に着けていたペンダント~の欠片は、ポケットに忍ばせてある。アルフォンソが昏睡状態に陥ってすでに6日。もはや、手をこまねいているわけにはいかない。効果が期待できそうな唯一の『治療』を試してみようと、決心の臍を固めて来たのはいいが、実のところ、おそらく、まだ部屋に居座っているであろうベルウエザー嬢をどうしたものかと、思ってはいたのだ。

 彼女の心情が察せられるだけに、無下に追い出すのは気が引けたので。


 その侍女殿、エルサとやらに頼んで、シャル嬢を連れ出してもらうことにするか。


 久方ぶりに聞く令嬢の笑い声。漏れ聞こえてきた話の内容は、二人だけの親密な事柄のようで、途中で邪魔するのは憚られた。

 逡巡しているうちに、話し声が不自然に途切れる。怪訝に思う間もなく、部屋の中で異質な気配が膨れ上がった。


 焦って扉に手を伸ばしたその時、扉が内側から開かれた。


 女が立っていた。こざっぱりした格好をした、ふだんと変わらぬ様子の令嬢付きのエルサという侍女が。


 なのに、その全身から感じられるのは、遠い昔に倒したはずの敵と瓜二つの気配。


 見知った侍女の姿をしたその存在は、遠い昔捨て去った名で彼を呼ぶと、艶やかな笑みを浮かべた。


*  *  *  *  *   


「落ち着いて下さいな。ここで騒ぎを起こしても何の得にはならないでしょう?あなたにとっても、皇子殿下にとっても。私は大切なお嬢様を助けたい。だから、殿下を救う手助けをしてあげます。あなたが今お持ちの黒竜の魔石より、ずっとお役に立てると思いますわ」


 触れられた女の手には、さほど力が込められているようには思えなかった。なのに、なぜか、振り払うことができなかったのは、女の声音に真摯なものを感じたからだ。

 敵意ではなく。


「お前は何者なんだ?」


 剣からわずかに手を離し、エクセルは、再び問いかけた。今度は、冷静に相手の出方を伺いながら。


「私が何者かは、察しがつくでしょう?光と闇以外のすべての属性を操る勇者であった方なら」


 エルサと呼ばれる女はエクセルを素早く室内に引っ張り込んだ。一瞥して廊下に人影がないのを確認し、手早く内側からカギをかける。


 部屋の中には相変わらず滾々と眠り続けるアルフォンソ。そして、テーブルに突っ伏してくーくーと寝息をたてているベルウエザー嬢。


「一服盛りましたの。少なくとも5、6時間は熟睡されているでしょう」


 エルサは事も無げにそう言った。


「お嬢様には、聞かせたくない話になりそうですので」


 気負った様子もなく自然な動作でイスに座って、空いたカップにお茶を注ぎなおして喉を潤す。


「それじゃあ『治療方法』について、話し合いましょうか。私の診断では、殿下の意識が戻らない原因は、自分と異なる属性を体内に取り込んだことによる拒絶反応かと。あなたのお考えは?」


「ちょっと待ってくれ。その前に、確認したいことがあるんだが」


 女のきわめて実利的な話を、エクセルは思わず遮っていた。

 これは、どう考えても異常な事態のはずだ。エクセルの常識から考えると。


「確認したいこと?あまり時間がないのではありませんか?」


 確かに女の言う通り、無駄にする時間はない。けれど、やっぱり、聞いておきたかった。


「どうして、魔王が、黒竜ゾーンの、その生まれ変わりの令嬢の、侍女なんかしてるんだ?」


 エクセルは大いに困惑しながら、平然と対面している女に尋ねた。












後書き編集


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