第23話  シャル、罠にはまる

  マリーナは、男たちよりもよほど冷静沈着だった。飛翔の術で空高く舞い上がり、月明かりの下、燃え広がる炎をじっと観察する。


「魔道具でも使ったのかしら。これは、私の魔力では消せないやつだわ」


 と、一人ごちる。さらに高度を上げて、周辺まで見渡してみて、首を傾げた。


 おかしい。なぜ、誰一人、外へ出てこないのか。すでに、全員が火に飲まれた?確かに急な襲撃だったが、あの『黒騎士団』全員がこんなにあっけなくやられるとは思えない。それに、世話係の使用人たちもこの離宮に数人はいたはず。この騒ぎで誰も出てこないのは、不自然極まりない。


 ん?あれは?

 燃え盛る建物の向こうにあるもう一つの別棟。その奥の一室だけ灯りが点いているようだ。ただ単に誰かが消し忘れただけかもしれない。

 でも・・・もしかしたら誰かいるのかも・・・

 どうしたものか。爆発そのものは、あの後は治まっている。クレインもアルフォンソ皇子も、大概の敵には引けを取ることはないだろう。一刻を争って加勢する必要があるわけではなさそうだ。


 マリーナは、まずは別棟を調べてから、本棟に向かうことにした。


*  *  *  *  *


 警戒しつつ一歩踏み込んだマリーナは、状況を一目見て、数歩後ろに下がった。


 料理の匂いに混じる独特の甘ったるい芳香に、ハンカチを取り出して鼻と口をすっぽりと覆う。風魔法を操って、部屋の空気を強制的に入れ替えた。それから改めて、内部を確認しながら踏み入った。


 そこは、やや小ぶりながらも宴会場になっていた。


 白かったと思われるテーブルクロスには、あちこちに茶色やオレンジのしみがこびりつき、まだ半分ほど料理が残った皿が所狭しと並べられている。泡の抜けきったビールらしき液体が入ったグラスもあちこちに転がっていた。テーブルの上だけでなく、床の上や誰かの身体もぐっしょりと濡らして。


 すっかりくつろいだ格好の騎士たちは、完全に眠りこけていた。ある者はイスの背にもたれた格好で。またある者は床にずり落ちて。他人の身体の上に折り重重なっている者までいる。メイドや給仕などの使用人らしき姿もその中に混じっていた。


 身構えながら、近づいてそっと指で触れ、呼吸を確認していく。

 よかった。どうやら、皆、眠っているだけのようだ。

 おそらく、強力な『眠り香』の類が使われたのだろう。

 それにしても不覚を取ったものだ。いくら団長不在の折りとはいえ、『黒騎士団』ともあろうものが、こんなに簡単にやられるとは。


 うめき声がして、重なった体の山の一角が蠢き、その下から、一本の腕が突き出した。引っ張り上げてやると、副団長エクセルの憔悴した顔が現れる。


「大丈夫ですか、副団長エクセル様?」


 手近の水らしき液体が入ったグラスを取ってやると、エクセルはそれを一気に飲み干した。しきりに首を振って意識をはっきりさせようとしている。


「一体何があったんですか?」


 マリーナの問いに、エクセルは目を何度も瞬かせ、ぼんやりと記憶を辿る。


「差し入れを、運び込むのを手伝ってから、確か、アルの、アルフォンソ皇子の、そう、求婚の成功を祈って、皆で宴会を・・・そして、それから急に眠くなって・・・」


 ガバッと身を起こし、途端に吐き気を感じたのか、エクセルは短く呻いて口を押えた。唾をグッと飲み込んで、顔を上げ、かすれた声で尋ねる。


「アルは?皇子は無事か?」


「彼なら大丈夫。今は、夫と一緒にあなた達を探しているんじゃないかしら。火の中で」


「火の中?」


「ほら、焦げ臭くありません?隣の本棟、いきなり燃え上がったんです」


「燃え上がった?火の気はなかったはずだが?」


「おそらく、なんらかの火系の術か魔道具が使われた可能性が高いですわね。とにかく、皆さん、ご無事で何よりですわ」


「無事・・・。みんな無事?・・・なぜ、無事なんだ?」


 エクセルが俄かに不審そうに呟いた。


「傷つける気がないのなら、なぜ、燃やしたんだ?俺たち、全員を安全な場所に押し込めて?」


「確かに妙ですわね。まさか、建物を盛大に燃やすこと自体に、意味があった、とか?」


 二人は、困惑ぎみに顔を見合わせた。


* * * * *


「どなたか、どなたか、いらっしゃいませんか!」


 閉じられた扉の向こうから、誰かの慌てたような足跡がして、必死に呼びかける女の声が聞こえた。


「助けてください!アルフォンソ殿下が大けがをされました」


「アルフォンソ様が!」


 シャルが慌てて、扉へ駆け寄った。


「ああ、そちらにいらしたのですね」


 声の主は扉のすぐ前で立ち止まったようだった。


「どなたです?」


 ドアノブに手をかけたシャルを制して、エルサが尋ねた。


「レダです。教会の『癒しの聖女』の。どうか、お助けください。お願いです。私の術だけでは助けられないほどの重傷を、アルフォンソ殿下が負われました」


「申し訳ありませんが、お役に立てそうもありません。奥様は、ここにはおられません。ここには、医術を施せる者も、癒しの術を使える者もおりません」


 アルフォンソ様が、大けがを・・・

 エルサが答える間にも、シャルは頭の中が真っ白になっていくのを感じた。

 どうしよう。あの方が、大けがを?こんな私を生涯大切にすると言ってくれた方が・・・


「せめて、中に入れていただけませんか?お願いです。一刻を争うのです」


「奥様に、マリーナ様に、決して開けるなと命じられています」


 エルサが躊躇いがちに答えた。その視線が心配そうに青ざめたシャルの方へ向かう。


「それに、そうしたくても、今、ここは魔障壁バリアが張られていて、外に出ることも、中に入れてあげることもできないんです」


 少し間を開けて、レダが再び切実な口調で訴えた。


「包帯になりそうな布でもあれば。きれいな水だけでも、何とかなりませんか。このままでは、皇子殿下が・・・」


 水に布、それくらいなら、この部屋にある。それで皇子が助かるなら・・・


「私が持っていきます。私ならここから出れますから」


 シャルが声を大きくして毅然と言い放った。


「お嬢様、危険です。奥様はここから決して出るなと」


「わかってる。でも、このまま何もせずに、あの方にもしものことがあったら、私は一生後悔する」


 引き留めるエルサを振り払って、水と布を手早く用意し、部屋に置いてあった薬を掻き集め、手近の袋に詰める。


「母上には、後でちゃんと謝るわ」


 カギを開け、扉を開け放つと、シャルは一人部屋を出た。

 やはり、というか、予想した通り、マリーナの張った魔障壁に阻まれることなく。


「これで足りるかしら?」


 すぐ前に佇んでいた『癒しの聖女』レダに駆け寄り、袋を差し出す。


「リーシャルーダ・ベルウエザー様」


 珍しくも、はっきりと正式名を呼ばれた。その口調に異質なものを感じて、シャルは反射的に顔を上げた。


 いつの間にか、すぐ近くにレダの顔があるのに驚く。


 あれ?レダ様ってこんな赤い瞳だったっけ?

 父クレインの瞳の色とも違う。まるで瞳の奥が赤く燻っているような。


「やはり、あなたには効果がないようですね」


 ?


「仕方がありませんね」


 レダはため息交じりに言うと、シャルの背後に向かって、頷いたようだった。

 気配を感じて振り向こうとしたとたん、後頭部に鋭い痛みを感じる。


「シャルお嬢様!お嬢様に何をする!」


 くらりと沈みゆく意識の中、最後に覚えていたのは、床の冷たさとエルサの悲鳴のような声だった。


*  *  *  *  *


「『黒の皇子』に伝えなさい。ご令嬢を助けたければ、明日の晩7時に『大いなる教会』ブーマ支部の旧聖堂に一人で来るようにと。


 あまりのことに声もなく見つめる一同にそう告げると、レダは満足げに笑った。


 『聖女』レダ。教会本部からブーマ国へ派遣されてきたばかりの新米『聖女』。目の前でそう告げた女には、もはや、いつものおどおどした地味な印象は、微塵もなかった。


「そうそう、援軍が一人でもいらした場合は、ご令嬢の安否は保証しかねます。もちろん、この伝言が、部外者に伝わった場合も。皆さまが沈黙を守ってくだされば、ご令嬢がけが一つされることはないと誓いましょう」


 見守るしかない一同を尻目に、背後に控えていた人影の方を振り返る。


「杖を離して、ご令嬢を抱き上げなさい。そのまま、私に付いてきなさい」


 何かが落ちる硬質な音が響いたかと思うと、黒い杖ブラック ウォンド~黒騎士団の術師がふだん持ち歩く護身用にも使える杖~が床に転がってくるのが見えた。続いて、のそのそと影から現れた男は、気を失ったシャルの身体を床から抱え上げた。


「ケイン!なぜ、あなたが?」


 エルサの身体を押しのけて突進し、魔障壁に阻まれたサミュエルが驚きの声を上げた。


 『黒騎士団』の若き術師は、その声に何の反応も示さなかった。まるで人形のようなぎこちない動きで、命令に従って『聖女』の横に並ぶ。


「それでは、アルフォンソ皇子によろしくお伝えください」


 レダが一礼して、口の中で呪文を唱えた。

レダとシャルを抱えたケインの姿は、一瞬で消え失せた。



 アルフォンソがその場に駆け付けたのは、それからすぐ後のことだった。


 

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