第22話  宿舎、炎上する②

「マリーナ、王都内の団員をすべて召集してくれ」


 得物の大剣を手にすると、クレインは答えも聞かずに、燃える本棟に飛び込んでいく。


「お待ちください、殿下!」


 後に続こうとしたアルフォンソを、マリーナの鋭い叫びが引き留めた。


「武器もなく飛び込まれるのは、愚策ですわ。シャル!」


 シャルは言われるまでもなく部屋の隅に置かれた箱を開けていた。しまい込まれていた剣を取り出すと、皇子にその柄を差し出す。


「どうぞ。これをお使いください」


「どこまでお役に立つかは心もとない品ですが。多少、炎や冷気への耐性を付加してあります」


 と、マリーナ。


「アルフォンソ様、お気をつけて。私はここで皆様のご無事を祈っております」


「遠慮なく拝借する」


 アルフォンソは、シャルから剣を受け取ると、マリーナをちらりと見た。マリーナが心得たとばかり頷く。ほぼ同時に踵を返し、アルフォンソは、皇国の『黒の皇子』は、燃え盛る建物へ向かって駆け出した。


*  *  *  *  *


 アルフォンソが建物の中に消えるのを見届けるとすぐに、マリーナは術を使って、可能な限りの団員に緊急招集をかけた。


 シャルとサミュエル、残された数人の使用人たちを奥の部屋に集め、絶対そこから出ないように言い含める。


「シャル、サミー、じゃあ、私も行ってくるわ。エルサ、皆をお願い」


 ドアにカギをかけさせ、さらに魔障壁バリアを施すと、ベルウエザー最強の術師マリーナ・ベルウエザーは、救出あるいは戦いに向かったのだった。


* * * * *


 踏み込んだ時には、炎はすでに一階の大半に燃え広がろうとしていた。鼻孔に広がる物が焦げる臭いと立ち込める煙に、目を瞬かせ、左の手の甲で鼻と口を覆う。バチバチと音を発てて、床を嘗め尽くそうとする黒い炎が足元で揺らめいた。頭上からは、焦げた柱の残骸が、間断なく落下してくる。


 冷気を帯びた刃でそれを振り払いつつ、アルフォンソは、現状で可能な限りの速さで歩みを進めた。


 それにしても、炎と冷気への耐性を帯びた剣とは。

 炎には冷気を。冷気には炎を。必要に応じて正反対の属性を発揮することができる剣ということだ。さすが、ベルウエザーの剣と言うべきか。マリーナは「多少」と評したが、持ち手を業火から守るに足る力を、その剣は十分に保持していた。

 魔力を宿した炎そのものを打ち消すには至らなかったが。


 それにしても妙だ。呼びかけに誰も答えないのも、人影が一つも見当たらないのも。

 先に飛び込んだはずのベルウエザー卿の姿さえ見当たらない。あの大男は、一体どこへ?あんな巨体、容易く見失うはずはないのだが。


 仲間の名を呼びつつ、細心の注意を払って、一歩一歩、前進する。誰の姿もないのを不安に思いつつも、躯がないのに安堵しながら、アルフォンソは考え続ける。


 皆がすでに安全な場所まで避難した可能性があるだろうか?爆発物が仕掛けられているのに気づいて?いや、爆発からまだ数分しか経っていない。いくら優秀な彼らでも、痕跡なく消え失せるのはありえない。それに、退避した場合、何らかの報告があってしかるべきだ。少なくとも、エクセルから。そう、エクセルだ。さっきから『心話』も使って呼びかけているのに、なぜ何の応えも返ってこない?


 頭上から、生き物が動くような気配がした。

 アルフォンソはかろうじて燃え残っている階段を最上階まで駆け上った。

 目に飛び込んできたのは、対峙している男女。大剣を構えて守りに徹しているクレイン。そして、レイピアを手に襲い掛かろうとしている女は・・・


「何をしている?剣を納めろ、ファレル!」


 アルフォンソの怒声に、ファレルはピタリと動きを止めた。

 ゆっくりと、その視線がアルフォンソの方へ向かう。

 その瞬きを忘れた双眸にアルフォンソは、息を飲んだ。


 いつも活気に満ちたその瞳は、完全に意思を失い、どんよりと曇っている。


「アルフォンソ第二皇子。災いの黒き皇子みこ


 感情のこもらない平坦な声がその唇からこぼれた。攻撃の対象がクレインからアルフォンソに変わる。ファレルは体ごと向きを変えると、レイピアを構えなおした、その刹那・・・


 驚くべき速さで背後から回り込んだ大剣が、ファレルの胸元を掠め、レイピアを横合いからは叩き落とした。同時に手刀が首筋に叩きこまれる。

 崩れ落ちた身体を、クレインが右手で素早く受け止めた。


「ファレルは?」


「怪我はさせていない」


 アルフォンソの質問に答えながら、クレインは左手の剣を器用に鞘に納めた。そのまま左手でファレルが袈裟懸けにしていた鎖のようなものを外す。


「殿下が来てくれて助かった。うかつに手を出すと、自爆しかねかったんでな。ほら、これ」


 ファレルが身に着けていた『もの』。


 アルフォンソは手渡されたそれを見て、眉を顰めた。


 長い鎖につながれていたのは、込められた魔力に従って異なる属性の爆発を引き起こす魔爆弾ピュロポロスだった。


 鎖に残っていた未使用の魔爆弾ピュロポロスは、起爆部分がすべて切り落とされ、完全に無効化されていた。クレインが、ファレルのレイピアを叩き落とす直前に、切り落としていたのだ。


「上に気配を感じたんで、駆けつけたんだが・・・手加減するのも大変でね。物騒なものを取り上げるには、マジにやらなきゃならないかと思ったぜ」


「感謝する、ベルウエザー卿。ファレルを、大切な部下を、助けてくれて」


 アルフォンソの礼に、当たり前のことだぜ、と笑って、クレインは照れたように頬を掻いた。


「なあ、皇子殿下、ここには、黒騎士団の奴らが宿泊してたんだよな?大体20名くらい?」


 アルフォンソは頷いた。


 そうだ。今日、自分が出かけるときには、皆、間違いなく、ここで過ごしていた。


「今日は特別なイベントがあったとか?」


「私が知る限り、特に何も。いつも通りだったと思う」


 自分以外は。晩餐に赴く際に、ほぼ全員に声援を送られたことを思い出す。あの時、ファレルはいただろうか?・・・そう言えば、真っ先にエールを送りまくってくれそうな者がもう一人いなかったような・・・


「この建物には、この爆弾魔のお嬢さん以外は誰もいないようだが?」


「私に一報もせず、全員が外出するとは考えられない。どこかに囚われているとしか」


 話しているうちにも、床がじりじりと熱に焙られて反り返っていくのを感じる。


「とりあえず、下に降りた方がよさそうだな、皇子様」


 崩れ落ちつつある内部を、アルフォンソとファレルを担いだクレインは、炎を避けつつ全速力で駆け下りていく。


 魔道具を使って火災を起こしたファレル。彼女は明らかに何者かに精神操作さあやつられれていた。いったい、誰が、何のために?死体一つない以上、ここに居たはずの黒騎士団は全員何らかの方法で拉致されたと考えるべきだ。と言うことは、彼らを殺すことが目的だったわけではない。・・・では、何のために、こんなことを?黒騎士団を焼き殺すつもりがないなら、なぜこんな大がかりな仕掛けを?

 敵の狙いは一体何だ?


 まさか!


 突如浮かんだ不吉な考えに、先を行くアルフォンソの足が止まった。


「どうした?急がないと崩れるぞ」


 追い抜きざまに、クレインが尋ねた。


「ファレルをお願いする」


 アルフォンソは加速の術ヘイストを自らにかけ、脱兎のごとく駆け出した。




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