第16話 皇子、『力』を使う

 教会本部から派遣されてきた新人の『癒しの聖女』は、その称号に見合った、優秀な治癒魔法の使い手ヒーラーだった。


「慈悲深き『銀の聖女』よ、そのお力を我にお貸しください。広域治癒術エリアヒール!」


 朗々とした詠唱が響くたびに、数多の傷が癒えていく。

 ホルツ司祭長も、ショック状態の人々の間を動き回って、治癒の術を施していく。

 二人を中心にして、少しでも癒しの術を扱える術師たちが協力して、忙しく治療に当たりだした。


 彼らの活躍のおかげで、徐々に混乱は集結し、予期せぬ惨劇は、一先ずの治まりを見せたかのように思えた。


*  *  *  *  *


 シャンデリアの爆発原因を率先して調べていた術師長が、沈痛な面持ちでチャスティス王の御前にまかり出た。


「陛下、爆発の原因が判明致しました。これをご覧ください」


 その手にあるのは、銀のリボンがかけられた30センチ四方の箱。いや、箱の残骸と言うべきか。


 元は美しくラッピングされていたらしい箱は、今は無残に焼け焦げ、あちこち穴が開いている。


「すでに術式は完結しており、使い手を特定できるほどの痕跡は感知できませんでした」


 チャスティス王は、その残骸を手に取ると、向きを変えつつじっくりと眺めた。


「大気を振動させることで、一定の物体を爆破する術が封じられていたと思われます」


「大気を振動させる?共鳴魔術による攻撃ということか?」


「さようでございます。どうやら、この場のシャンデリアを、共鳴波で瞬時に破壊する強力な術式が仕掛けられていたと思われます」


「で、誰だ?これを持ち込んだのは?ここへの出入りは、厳重に監視されていたはず。術師長、其方のことだ。もう調べはついているのだろう?」


「もちろんでございます、陛下・・・それが、思いがけない人物でして・・・」


 王の問いかけに、術師長は言葉を濁す。


「答えよ。誰なのだ?すぐに我がもとへ連行せよ」


「護衛騎士の一人が、こちらの令嬢が手にしているのを目撃したそうです」


 ホルツ司祭長の声がし、一人の令嬢が担架で運ばれてくる。


 血の気の失せた頬。力なく閉じられた瞼。かすかに開いた口からは、絶えずヒューヒューと空気が漏れるような音がしている。血の付いたドレスの上には、司祭長の法衣がかけられていた。司祭長が、そっとその法衣をめくると・・・その血まみれの胸元あたりから、大きなガラスの欠片の切っ先が突き出ているのがわかった。

 令嬢の顔には、すでに死相が現れていた。このままでは、その意識が二度と戻ることがないのは、誰の目にも明らかだった。


「申し訳ございません。私どもの力ではこれ以上のことは・・・」


 司祭長の苦渋に満ちた言葉に、傍らに付き従う聖女がうな垂れた。


「ジャンヌ!」


 王の後ろに控えていた文官の一人が、血相を変えて、走り出た。


「ああ、なんてことだ。ジャンヌ、ジャンヌ、目を開けてくれ」


「落ち着くのだ。モール第一補佐官」


 チャスティス王は、だらりと落ちた娘の手に縋りつく父親を痛ましそうに見つめた。


「出血は止まっているようだ。すぐに手術の用意を」


「お待ちください」


 医師を呼びにやろうとした王を、司祭長が止めた。


「今は、治癒術で傷口周りの血肉を凍結し、一時的に止血している状態です。もし、ガラス片を抜けば、大出血を起こす可能性が極めて高いと思われます」


「医術でも助けられぬと?」


「真上から落ちたガラス片が、背中からほぼ垂直に突き抜け、肺に達しています。術を使って肺の裂傷がこれ以上広がるのを塞ぐことはできましたが・・・それも一時しのぎに過ぎぬかと」


「もはや、どうやっても、助けることはできぬと申すのか?」


「残念ながら」


 司祭長が俯いた。重苦しい静寂の中で、死にゆく愛娘の名を呼ぶ父親の声のみが響く。


「救う手立てがあるかもしれません」


 凛とした声が突然、陰鬱な静寂を破った。


「直ちに、治療用の部屋を用意していただきたい。最善を尽くしましょう」


 アルフォンソ皇子が、重臣たちの間から姿を現した。その後ろには、じゅうたんを加工した急ごしらえの担架を運ぶ黒騎士たちが続く。その担架には明らかに瀕死状態の男が横たわっていた。


「この国最高の治療師たちが助けられぬという者を助けるだと?貴殿が?」 


 チャスティス王が戸惑ったのは、一瞬に過ぎなかった。すぐに、重傷者を治療すべく部屋を整えるように命じる。


「術師の手に余る怪我人はすべて連れてきていただきたい」


 そう言い捨て、皇子たちは、慌ただしく準備に向かう一団の後に従った。


*  *  *  *  *


 控えの間らしい小部屋に、いくつも寝台兼用のソファーが運び込まれた。その上に浄化の術で清められた白いシーツがかけられ、重傷者が一人一人、細心の注意を払って、横たえられた。


 運び込まれた重傷者、治癒術では助かる術すべがないと判断されたけが人は、全部で5人。

 魔道具を所持していたと思われるジャンヌ・モール嬢、それから護衛騎士3人に楽師らしき人物1人。


「司祭長殿と『癒しの聖女』殿以外は、部屋を出てほしい」


 随行していた黒騎士団員は、アルフォンソに無言で敬礼し、速やかに廊下へ出る。術師たちも、しばしの逡巡の末、皇子の命に従った。娘から離れようとしなかったモール補佐官も、古参の従者の涙ながらの説得の末、どうにか退出していった。アルフォンソたちに、何度も頭を下げてから。


 当然のように残ったエクセルが、扉を施錠する。それから、部屋の壁そのものに、魔障壁バリアを張り巡らせた。


 部屋に残ったのは、けが人を除けば、皇子とエクセル、それから癒しの力を持つ司祭長と聖女だけだ。


 本気で『力』を行使する瞬間、アルフォンソは完全に無防備になる。


 そして、たぶん、彼が今から力を使うつもりだ、とエクセルには、わかっていた。


 今この瞬間にも、敵がどこかに潜んでいるかもしれない。罠が発動する可能性だってある。そうなったときに、アルフォンソを守るのは、エクセルの仕事だった。


「聖女殿、ご令嬢の傷口がよく見えるように、衣服を寛げてほしい。司祭長は、男性陣の方をお願いする」


 言われた通り、二人が傷口を露にすると、アルフォンソは何度か大きく深呼吸をして、瞑目した。まるで祈るように両手を固く組み合わせる。その唇が小さく動き、何かを呟いた。その額にうっすらと汗が浮かぶ。


 何度も見たことがある光景を前にして、アルの判断は正しいと、イクセルは、心の中で自分に言い聞かせた。


 司祭長や『癒しの聖女』なら、うかつにこの秘密を暴露することはない。教会の威信のためにも。万が一、治療に不備があっても、癒しの術が使える彼らなら、多少の助けは期待できる。


 ああ、でも、これで、教会側にばれてしまうかもしれない。絶対に知られたくない『力』の存在が。


 ま、アルには、救える命を見捨てることなど、できはしないか。どんな不都合が予測できても。昔・か・ら・。あいつは本質的には、他者に優しい。助けを求める者を見捨てられない。ただ不器用なだけだ。


 自ら進んで命を奪ったのは、遥か昔のあの一度だけ・・・。


 エクセルの耳に、誰かが大きく息を飲むのが聞こえた。


 アルフォンソの体全体が銀色の光を帯びて輝きだしていた。光は部屋中に広がると、けが人の身体へ向かって伸び広がり、その傷へと集結し、傷口をまばゆい銀の輝きで覆いつくした。


「まさか、そんな馬鹿なことが」


 司祭長が喘ぐように呟いた。


 犠牲者の身体に突き刺さっていたガラス片が、一斉に宙に浮かんだかと思うと、ポトポトと床に落ちた。ジャンヌ嬢に致命傷を与えていた巨大なガラス片さえも、抜け落ちていた。一滴の血も流すことなく。


 徐々に薄れていく銀光の下で無残な傷口がふさがっていくのが見えた。


 尚もけが人の空に広がり、優しく包む銀の光。


 完全にその光が消え失せたころには、傷そのものが跡形もなく消え去っていた。


 あれほど荒かった令嬢の呼吸も、すっかり穏やかなものになっている。


 アルフォンソが何度か大きく息を吐いた。ゆっくりと目を開けて命じる。


「けが人の状態の確認を」


 司祭長と聖女が、夢から覚めたような表情で、けが人たちの傷を診て、脈と鼓動を調べる。


「信じられません。皆、死にかけていたのに。あの傷が、傷が完治しています。まさに『銀の聖女』の御業としか思えません」


 聖女レダが驚愕もあらわに言った。


「殿下が、これほどの治療者であられたとは」


 司祭長も驚愕を隠すことなく、アルフォンソを見つめた。


「傷跡一つ残らないでしょう。しばらく療養して、体力を回復する必要はあるでしょうが」


「後はお頼みする」


 司祭長の言葉に安心したのか。


「アル!」


 力を使い果たして倒れこむアルフォンソの身体を、エクセルが危ういところで抱きとめた。

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