第15話 舞踏会の惨劇

「シャル嬢、そちらのビュッフェはいかがでしたか?」


 ビュッフェコーナーの片隅。


 そこに現れた、場違いな姿。


 何とか気を取り直して、侍女のアドバイス通り、、お菓子に専念していたシャルは、びっくりして、フォークを落としそうになった。


 いつの間にか、アルフォンス皇子が眼前に立っていた。


 ぴったりと纏わり付いていたご令嬢たちは、一体どこへ?

 失礼がないように軽く会釈してから、そっとフロアを一瞥する。


 あれほどたくさんいた崇拝者の多くは、皇子のことはあきらめたのか、他の参列者と親交を深めているようだ。


 あれ?あの方は、さっきの金魚の糞、もとい公爵令嬢の取り巻き連の一人よね?護衛騎士の人と何やら、もめてる?


「何か気になることでも?」


「いえ、大したことではないんですけど」


 別に自分が首を突っ込むことではないだろうと判断し、シャルは騒ぎから目を離した。


 それにしても・・・見かけよりずっとタフな皇子様である。


 幾人もの令嬢と踊ってきたにもかかわらず、アルフォンソ皇子に疲労の影は全く見えなかった。美しい彫刻の面のような顔には、汗一つ浮かんでいない。


「ありがとう。ここでいい」


 皇子は、ワゴンを引いて背後に控えていた給仕に頷いてみせた。


 それから、ワゴンから彼が取り上げたのは、彼には全く似つかわしくないもの・・・


 シャルの視線をくぎ付けにしたのは、特大のデザートプレートだった。その上には、目いっぱい山盛りにお菓子類がのっけられている。どこから持ってきたのか、目の前のブッフェには、見当たらない類の焼き菓子がいくつもある。


 手を伸ばしたいのをグッと堪えて、一応、シャルは尋ねてみた。


「あの、ダンスの方は、もう、よろしいのですか?」


「一通り、ご令嬢たちとのダンスはこなした。義務は十分果たしたはずだ」


 アルフォンソは、デザートプレートをシャルの前のテーブルに置いて、一言。


「どうぞ」


 期待に満ちた目で見つめられて、シャルは困惑する。


 すでに、令嬢の常識として、食べ過ぎている自覚はあるのだが。いや、一般的常識としても、か。


「木の実は好きだろうか?この、こげ茶色の焼き菓子は南部地方の名物、クレモーシュという木の実を粉にして焼き上げたものだ。そして、この赤いゼリーは、マルシオーレという高山植物の実を潰して蜂蜜を加えて固めたもの。たぶん、あなたの好みだと思うんだが」


 相変わらずあまり表情は変わらないが、その口調から、皇子自らが一生懸命に選んできてくれたのだとわかる。


 やはり、ここはありがたくいただくべきだ。たぶん。


 慣れないイベントへの緊張のためか、昼食は一人分、つまりいつもの半分以下しか入らなかった。シャルの胃袋には十分すぎるほどの余地がある。


「いただきます」


 アルフォンソの口元が、ほんのわずかだが、確かに笑みを描いた。


 たまたま、すぐそばを通りかかったメイドが、それに気づいて硬直する。その手のトレイからグラスを一つ優雅な手つきで取ると、アルフォンソはシャルの向かいに腰を下ろした。


 自分が差し出したお菓子をシャルがぱくつくのを、目を細めて眺める。


 甘いものが大好きな点は全く変わらない。大食漢なのも、やっぱり変わらない。

 なんだか、うれしくなる。

 外見は変わっても、やっぱり好みは変わっていないことが。


 幸せな物思いに、周囲への警戒が薄れた一瞬、それは起こった。


 異変に気付いたのは、シャルの方が早かった。


 何かをひっかくような甲高い音が耳朶を打った。

 奇妙な音。天井の方から?


 フォークの動きを止めて、見上げた視線の先で・・・


「みな、伏せろ!」


 誰かの叫び声が響く。


 一斉にシャンデリアが震え砕け散ったのが見えた。


 


 




 奇妙な胸騒ぎに、休憩スペースへ向かおうとしていたクレインの足が止まった。


 ざっと広間を眺め渡すが、特に異常は見られない。


 マリーナとチャスティス・ブーマ国王は、まだ飽きることなく小難しい政治談議に花を咲かせている。おや、あのいけ好かないビーシャス公爵も、やってきたようだ。完璧な淑女の礼をしてほほ笑むマリーナ。まるで大歓迎しているような満面の笑みで応じるチャスティス。


 二人とも大した狸だ。自分にはとても無理だ。


 サミーが、父親に気づいて、駆け寄ってくる。笑顔で応じながらも、不安な感じがぬぐえない。


 小規模な舞踏会と言えども、王族が参加している以上、警備に抜かりがあるはずはないのだが。


 気のせいか?俺の感も当てにならないな。傭兵をやめて落ち着いてからずいぶん経つからな。


「父上、聞いてください!」


 息を弾ませてやってきた息子に、クレインは相好を崩した。


「どうした?何かいいことがあったのか?」


「特別に、『青の塔』を見学させてもらえそうなんです」


 奇妙な耳鳴りを感じて、クレインは天井を見上げた。


 シャンデリアが大きく揺らいだ。かと思うと、一斉に弾け飛んだ。






 


 瞬時にして灯りが消え、頭上から降り注ぐガラス片。


 いくつもの悲鳴が上がり、助けを求める声が飛び交った。けが人がいるのか、うめき声も聞こえる。


「だめだ、扉が開かない」


 狂乱の中、誰かの声が妙に大きく響いた。


「動かないで!」


 鋭い、澄んだ女性の一声がパニックを鎮めた。


「皆さん、落ち着いて。危険なので、その場から動かないで。術師の方々は灯りを」


 声に応じて、あちこちから呪文ライトニングを詠唱する声がし、灯りがパラパラと灯る。


 フロア中に、ガラスの破片が散らばっていた。


 血を流し、うずくまっている人。意識を失って倒れている人。会場は大変なことになっていた。








「怪我はないか?」


 耳元で心配そうに問われて、シャルは固く瞑っていた目を開いた。


 あまりにも近くに、アルフォンソ皇子の顔がある。その額や頬からは、幾筋も血が流れていた。


「シャル嬢、怪我は?」


 重ねて聞かれて、シャルは首を振った。


「殿下の方こそ、お怪我を」


 アルフォンソはホッとした様子で、シャルの身体から手を離した。


 ガラスが散った瞬間、アルフォンソはシャルを自分の身体ですっぽりと抱き込んで庇ったのだ。


「気にしなくていい。これくらいの傷、どうってことはない。・・・失礼を許してくれ」


 !


 強く抱き寄せられたかと思うと、身体がすっと持ち上がった。アルフォンソはシャルを軽々と横抱きにすると、奇跡的にガラスの洗礼を逃れた奥のソファーに、そっと下ろした。


「しばらくここにいてほしい。危ないので絶対動かないように」


 シャルが頷くのを見届けると、彼は立ち上がった。


「第二騎士団、ただちに状況を報告せよ」


 黒騎士団の冷静沈着な指揮官として、彼はホール中に響きそうなよく通る声で命じた。








 誰かが、予備の照明魔具あかりに切り替えたのだろう。ホール全体が明るくなってくる。


 異変を察した騎士達が、必死の形相で王の定位置、貴賓席に駆けつけた。


「陛下、お怪我は?」


 身を挺して主君を守った護衛の一人が、油断なく身構えつつ、王から身を離した。


「私の方は、大事ない」


 チャスティス王は、ゆっくりと身を起こして、周囲に大きなけが人はいないのを確かめる。


 シャンデリアが割れ落ちた瞬間、マリーナが、咄嗟に、風魔法で魔障壁を張り巡らせたのだ。


 さらに、ホール全体に目を凝らし、顔をゆがめる。


 あたりに広がるのは、阿鼻叫喚の有様。


 ガラスの破片がフロア中に散っている。そこあちこちに、血を流して助けを求めている人々。一瞬前までは、豪奢そのものだったドレスや礼服は、ガラスの破片だらけになり、見るも無残な状態だ。中には、大きな破片の直撃を食らったのか、腕や足から血を流し、横たわったままピクリとも動かない者もいる。


「申し訳ありません。私の力が、至らぬばかりに」


 マリーナが悔しそうに唇を噛んだ。


 彼女の魔術の技を持ってしても、完全に守ることができたのは、国王とその周りにいた数人の貴族だけだった。


「いや、マリーナ、ありがとう」


 チャスティス王は、厳しい目で惨状を見据えた。


「護衛騎士と警備関係者は安全の確保を。他の者は術者とともに、けが人の救護に当たれ」


 凡庸な王の仮面を脱ぎ捨てた彼は、的確に部下に指示を出し始める。


「陛下、私も怪我の治療に向かいましょう」


 銀色の法衣をまとった初老の男が御前に罷り出た。


「癒しの術は、職業柄、身に着けておりますゆえ」


 『大いなる教会』ブーマ支部のホルツ司祭長だ。


 治癒の力は稀有な力で、術師の中でもごくわずかな者にしか発現しない。治癒師として十分な治療に当たれる術師は、この大陸中で100人にも満たないのではないか。その大半が、『大いなる教会』に属する聖職者だ。


 中でも協会が認め、育てる『癒しの聖女』あるいは『癒しの御子』と呼ばれる光魔法の使い手は治癒の術に秀でている。


「ここにおりますレダも、多少はお役に立てるでしょう。皇都から赴任したばかりの新米の『聖女』ではありますが、かなりの治癒術の使い手と聞いております」


 分厚い眼鏡をかけた、灰色がかった銀髪の修道女は、司祭長の後ろでおぼつかなげに顔を伏せ、明らかにおびえていたが。


「レダ、お前の力が今こそ必要です」


 司祭長の励ましに、喉をごくりと鳴らすと、修道女はおずおずと頷いた。









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