第6話 シャル、意識を取り戻す
目を開けると、まばゆいほど白い、シミ一つない天蓋が見えた。それから
「姉上、気がついた?」
「シャル、気分はどう?」
「ひどく痛いとことか、無いか?」
両親と弟が心配そうに顔を覗き込んでいた。
ゆっくりと身体を起こしてみる。
あちこちが多少痛むが、気分自体はそう悪くはない。このところずっと感じていた倦怠感もなく、むしろ、すっきりした感じだ。
「あなたの眼鏡は見つからなかったの。とりあえず、予備を持ってきていてよかったわ」
シャルは、マリーナが手渡してくれた眼鏡をかけて、あたりを見回した。
作りは派手ではないが、えらく高級そうな一室だ。基本淡いクリーム色の壁にはところどころ守護を著す幾何学模様が施され、隅には大きめのマホガニーのテーブルとイスがなん客か配置してある。
どう見ても、宿泊予定の宿でないのは確か。
それに・・・今、何時だろう?
部屋に灯りがともされていることから考えると、もう夜のようだ。
両親と弟は、汚れた服を着替えて、すっかり身ぎれいになっている。
緑の粘液にまみれていたはずのシャル自身、柔らかなネル布の部屋着姿になっていた。
「いくつか裂傷と、打撲があるくらいですね」
聞き覚えのない男の声にビクっとする。
「応急処置も完璧でした。治癒魔法なしでも、すぐに跡形もなく完治されますよ。おそらく、緊張の糸が切れ、気が緩まれたせいで、意識を失われたのでしょう」
医師らしき男が両親の背後から現れ、シャルに微笑みかけながら、所見を述べた。
「控えの間に侍女とともに待機しておりますので、何かありましたら、お呼びください」
男は、そのまま、一礼すると、部屋から出て行った。
「えっと、あの、魔物はどうなったのかしら?」
確か、でっかい目玉の魔物と戦って、馬車から落ちて、それから?
抱きしめられたまま、不覚にも、気を失ったのは、なんとなく覚えている。
とてもきれいな男の人だった。そして、あの涙。
あれは全て現実?それとも途中からは夢だった?
「お前ひとりで、
クレインは、誇らしげだ。
「とにかく、本当によかった。大きなケガがなくて」
とマリーナ。
「大した奴だよ、お前は。さすが、俺たちの娘だ・・・けどなあ、もう絶対、あんな無茶をしてくれるなよ。お願いだから」
生きた心地がしなかったぜ、とクレインがつぶやいた。似つかわしくない小さな声で。
「本当に心配したんだから」
気丈な、いやいつも気丈すぎる母の瞳がかすかに濡れていた。
「ごめんなさい」
シャルは素直に謝った。
やってしまったことに対しては、後悔はしてなかったけれど。
彼女がやらなければ、馬車ごと魔物に飲み込まれていたに違いないから。
あ、でも、最新式のオリハルコン合金仕立ての魔術付加型馬車を壊してしまったことは、ちょっと申し訳なかったかも。
両親の話から判断すると、あの直後に父が、しばらくして母が、駆けつけてくれたらしい。
それにしても、私を助けてくれたあの人はどこだろう?
「あのお方は?私を助けてくれた方はどうされたの?」
シャルの質問に両親は顔を見合わせた。
「それが、私・は・直接はお会いできなかったの。ね、あなた」
マリーナがクレインに続きを促す。
「お前を俺に任すと、とんずらしやがった」
クレインが吐き捨てるように言った。
「ちょっと、あなた、ひがまないで。自分が娘の危機に間に合わなかったからって。娘の恩人にその言い方はないでしょ。応急手当までしてくださったのよ。お礼くらい言ったのでしょうね?」
とたんにそっぽを向く夫に顔をしかめると、マリーナは娘の方に向き直った。
「私がたどり着いたときには、姿かたちもなくて。この人ったら、どんな顔だったかも言えないのよ」
「若い男だ。それもかなりの手練れだ。顔がわからんのは、たぶん、認識阻害の術のせいだ」
と、クレインが不機嫌に言う。
「僕が馬車から這い出たときには、半泣きで姉上を抱きしめている父上だけだった」と、サミュエル。
「泣いてなんかいないぞ」
一同、疑わしそうにクレインを見つめた。
彼は見かけに反して、かなり涙もろいのだ。
「偶然助けてくれた騎士ってとこかしら。有力者に仕えている武人か、はたまた高位貴族か。あんな状況で、すぐに馬車を回してくれたわけだし。この場所を用意してくれた以上、ブーマ国王の知り合いってことよね。後で、陛下に確認すればわかると思うけど」
シャルが気を失ってすぐに、側近と名乗る男が、すぐに医師を連れて馬車で乗り付けてくれたらしい。
母によると、そのまま直ちに離宮の別棟に運ばれ、家族ともども綿密な検査と世話を受けて、今に至るとのことだ。
「姉上、本当に痛くない?」
真っ赤な目をしたサミュエルが、姉の、包帯でぐるぐる巻きにされた腕におずおずと触れた。
「大丈夫。忘れた?丈夫なのが私の取り柄。治りも人よりずっと早いし」
「ごめん。僕が強い攻撃魔法を使えたら」
「あら。あなたはよくやったわ」
手を伸ばして、父親によく似た赤毛を撫ぜてやる。
身びいきではなく客観的に見て、大したものだと思う。魔術学院入学前に、高度な術を二つ同時展開できるなんて。
「サミー、俺もお前を誇りに思うぞ」
クレインもその大きな手で息子の頭をゴシゴシと撫でた。
「ま、お前たち、二人ともよくやった」
「でも、無茶はしないで。ふたりともね。今後は、必ず、周囲の大人を頼るように」
と、マリーナが締めくくった。
幸いなことに、あれほどの魔物の襲撃を受けたにしては、重篤なけが人はほとんど出なかったらしい。
真っ先に魔物に気づいて応戦したのが、魔物と戦い慣れしたベルウエザーの一軍だったことが、被害を最小にとどめた大きな理由だったことは間違いない。
「シャル、あなたを助けてくれた方だけど、もしかすると、あの時、一緒に戦ってくれた人かも・・・」
マリーナが何か言いかけたその時、
ギュルル
切実な要望を訴えたお腹を、シャルが慌てて押さえた。
やだ。そういえば、お昼から何も食べてなかった。
「まず、お食事にしましょうか。シャル、ベッドから出られそうかしら?」
マリーナが笑いながら言った。
「腹が減っては戦はできぬ、だな」
クレインも同意する。
「何か頼んでくる」
サミュエルが部屋を飛び出した。
* * * * *
厨房で用意してもらった料理をあらかた食べつくした頃、ドアベルが鳴った。
「デザートをお持ちしました」
ドア越しにかけられた声に、マリーナがドアを開けると・・・
見知った、しかし、ここに決して居るべきではない人物が立っていた。
「やあ、マリーナ。シャルの、リーシャルーダの具合はどうかな?」
召使の扮装をしたブーマ国王チャスティス・ブーマは、色とりどりのデザートが目いっぱい盛られたデザートワゴンを前に、にこやかに言った。
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