第5話 シャルと皇子、邂逅する

 足元には、隙あれば絡みつこうとする緑の触手。

 頭上からはガーゴイルの強襲。

 弾力性がある触手は、たえず変形しながら剣による打撃を吸収し、その柄に絡みついてくる。

 その上、新たなガーゴイルの群れが上空に現れたのだ。

 魔物に不慣れな王立守護隊の騎士たちの統制が、たちまち乱れた。

 ガーゴイルの攻撃を避けようと、地に転がり、絡みつく触手に動きを封じられてしまう者。避けきれずにガーゴイルの爪に引き裂かれ、頭部や肩から血を流す者。

 ベルウエザーの騎士たちは、それでもなんとか、触手をかろうじて躱しながら、ガーゴイルの数を減らし続けている。

 戦況が不利に傾きつつあると危惧されたその時・・・


凍結パゴス!」


 声とともに、一面の緑の触手が白く凍り付いた。


「しっかりなさい。よく見て。これはちょっと育ち過ぎの魔土柳イブルウィロウよ」


 マリーナが騎士たちに檄を飛ばす。


「魔土柳は土属性の植物系魔物。冷気が弱点なのは、常識でしょ」


「魔土柳なら、確かに冷気に弱いな。まあ、こいつらは、ちょっとって言うには、でかすぎるが」


 部下たちを助けようと奮闘していたクレインが、大剣を振り回しながら言った。


「マリーナ、皆の剣に冷気の付加を。氷魔法が使える者は、直接、蔦を凍らせろ」


 即座に氷魔法が唱えられ、地面一面に白く霜が降りた。

 地表で氷漬けにされ、動けなくなった触手に、騎士たちが剣を振り下ろす。冷気をまとった刃は先ほどまでの苦戦がウソのように、楽々と触手を切り落とした。

 辛くも生き延びた触手は冷気に追いやられ、次々と地中深くに退散していく。

 すっかりペースを取り戻した剣士と術師たちは、順調にガーゴイルを屠っていく。

 魔の森の防人『ベルウエザー』か。

 うわさに聞いた通り、なかなかの猛者ぞろいのようだ。もう助太刀は必要ないか。

 アルフォンソは魔物の襲撃も終わりに近づきつつあるのを確信して、一先ず剣を納めた。

 周囲を一瞥して、治療が必要な者を探すと、できるだけ目立たぬよう、治療師に混じって治療を施していく。

 勝手に離宮を抜け出してきたのを知られるのは、いろいろとまずい。こんな状況だし、認識阻害の術もかけてあるから、よほど目立つ行動をしない限り、大丈夫だとは思うが。

 一通り治療を終え、そろそろ引き上げようかと立ち上がった時・・・

 ?

 どこからか、声が聞こえた気がした。

 はっと顔を上げ、声がしたと思った方向に目を凝らす。

 はるか前方に吹き上がる巨大な緑の噴水。

 いや、あれは、巨大な触手の塊だ。

 そしてあの触手の先、持ち上げられているあれは・・・まさか・・・

 馬車か?

 周囲の戦いはまだ終わっていない。

 誰も異変に気付いていない。

 馬車の扉が開き、朧気ながら、人影らしきものが見えた。

 アルフォンソは馬車へ向かって全力で走り出していた。

 

 

 魔物の気配が徐々に薄れていく。

 シャルは握りしめていた手から力を抜き、目を開けた。

 慎重に窓に近づき、おそるおそる、外を眺めてみる。

 上空を飛び回っていた巨大な翼はもう見えない。神経を逆なでする魔獣の雄叫びも聞こえない。

 もう大丈夫。

 必死に魔障壁を貼り続けている弟と恐怖のあまり床にしゃがみこんで震えている御者に、声をかけようとした。その時・・・

 馬車がぐらりと大きく傾き、床に叩きつけられそうになる。思わず座席の背にしがみついた彼女の耳に、怯え切った馬の嘶きが聞こえた。続いて何かがつぶれる形容しがたい音が続く。

 強風で撓った枝がガラス窓をひっかくような不快な音が幾度も繰り返され、馬車がぎちぎちと何度も軋んだ。

 何かが馬車を破壊しようとしている?

 魔障壁に包まれた馬車の壁は今のところびくともしないが。

 音が急に止んだかと思うと、今度は馬車そのものが、ゆらりと浮き上がっていくのを感じた。

 今度は馬車を持ち上げようとしているのか?

 シャルは、なんとか座席の背に掴まって立ち上がった。

 外を窺おうとしてぎょっとする。

 窓ガラスをぎっしりと覆っていくのは、緑のツタ?いや、これは触手の一種だろうか?

 毒々しい緑の隙間から垣間見えるのは、あれは・・・目?

 ひときわ太い触手から突き出ているものは、巨大な目のように見えた。瞳孔のない、まん丸い、鮮やかな緑に輝く虹彩だ。

 巨大な一つ目が、馬車の中を覗き込もうとしている?


「姉上・・・」


 サミュエルが不安げにシャルを見ていた。感心したことに、この状況下で、まだ魔障壁そのものは、張り続けている。


「大丈夫よ」


 安心させるように笑いかける。

 彼の位置からは、窓に張り付く緑のツタしか見えないはずだ。

 サミーが魔障壁を貼り続けられる間は、安全かもしれない。でも・・・

 サミーの顔色が真っ白だ。

 額に流れる汗がひどい。

 弟はまだ12歳。これが初の実戦だ。

 このままでは、遅かれ早かれ魔力か体力が尽きる。

 そうなる前に、何とかしなくては。

ちらりと腕に嵌った銀色の腕輪に目をやる。

 この腕輪を外せば、何とかなるかもしれない。

 でも・・・。ダメだ。ここは街中だ。賭けに出るには危険すぎる。

 シャルは覚悟を決めた。

 彼女には、今のところ、魔力と呼べるものがほとんどない。だが、彼女の特異体質を使えば、何とかできる可能性はある。

 この場で何か使えそうなものがあるだろうか?

 考えながら、馬車の内部を見回す。

 尖った棒とか、大きな石とかあれば最高なんだけど。

 枠組みをいくつも使って形作られた本体に鉄以上の強度を誇る魔法布をまとわせた最新式の馬車は、完全防水、ある程度は内部の温度管理もできるという優れものだ。この手の馬車としては広めの内部には、向かい合わせに柔らかなソファ仕立ての座席が設置されている。

 そういえば、この馬車の枠組みや梁。これって金属よね?確か、特別発注のオリハルコン合金を何本も使っているって父上が自慢してたっけ。

 そして、オリハルコンは滅魔の力を持つ希少金属。

 一つか二つ拝借しても大丈夫。たぶん。緊急事態だもの。

「サミー、何が起こっても魔障壁を張り続けるのよ。わかった?」

 言うや否や、シャルは天井部を支えている梁の一つを掴み、思いっきり引っ張った。ビリビリと音を発てて、強化布が裂け、金属棒が現れる。

 弟と御者がぎょっと目をむいたのが見えた。


「サミー、魔障壁を。絶対、術を解いてはだめ」


 そう、その華奢な身体にはあり得ないほどの怪力。これが彼女の特性の一つ。

 シャルはオリハルコン合金の梁を右手でしっかりと握った。左手で、カギを外し、なんとか馬車の扉を開ける。

 魔障壁は外からの直接的な物理攻撃を遮断する。その代わり、内部の者も術が続く限り、外に出ることはできない。

 ふつうなら。

 眼鏡を外し、ふだん人並みに抑えている視力を開放する。

 精いっぱい身を乗り出して、槍のように梁を握りしめたまま、右手を伸ばしてみる。

 思った通りだ。

 右手は何の抵抗もなく魔障壁をすり抜けた。

 異常なほど高い魔法耐性。つまり魔法を完全に無効化する体質。良くも悪くも。これがもう一つの彼女の特性。 

 シャルは宙に浮かぶ巨眼めがけて、思いっきり『槍』を射た。

 すさまじい『悲鳴』が大気を震わせた。

 『槍』は緑の虹彩のど真ん中、瞳のあるべき場所を正確に貫いていた。

 どろりとした緑の血流が、飛び散り、流れ落ちた。

 傷口は見る間に大きな裂けめと化して、虹彩を引き裂いた。

 蠢く何万もの触手が、次々と力を失って地に落ちていく。


「サミー!」


 落下する馬車の扉にしがみついて、シャルが叫んだ。

 馬車の落下速度が徐々に遅くなる。

 サミュエルの抗重力魔法デ・グラビテが間に合ったのだ。

 助かった。そう思った瞬間、触手の残骸に引っかかったのか、馬車がいきなり大きくはねた。

 予期せぬ衝撃に手が離れた。

 落ちる!

 必死に伸ばした手は何もない空をさまよった。

 鼓膜を打つ風の音。恐怖に見開かれた瞳に映る青い空。

 襲い掛かるであろう衝撃に目をぎゅっと瞑る。

 が、予想した痛みは一向にやってこなかった。

 その代わりに次の瞬間、背中に感じたのは、弾力性のある暖かさだ。


「大丈夫か?」


 やや高めだが、決して中性的ではない男の声が耳元でした。

 何度か瞬きしながら、目を開ける。かすんだ視界に映ったのは、見たこともないほど秀麗な顔。

 落ちてきたシャルの体を、その男が両手で受け止めてくれたらしい。


「怪我はないか?」


 男が気づかわし気にシャルの顔を覗き込んでくる。

 うわぁ、すごい美形!絶世の美女、じゃなくて美男?

 艶めく黒髪にくっきりとした切れ長の漆黒の瞳。なんだか少し悲し気な。

 なぜだろう?この瞳、なんだかどこかで見たような気がする。


「怪我は?痛むところはないか?」


 問われて、反射的にシャルは首を振った。

 男は抱き上げていたシャルの身体を、そっと下ろした。

 改めて礼を言おうと、シャルが口を開けたその時

 !

 いきなり、男の胸元からまばゆい光が広がった。


「まさか・・・」


 男の両手が頬に、そっと触れたかと思うと、突然、頤を軽く上げられ、もろに見つめあう形になる。

 男の不躾なほどの視線の強さに、シャルは顔が熱くなるのを感じた。


「あの、手を放して」


 戸惑いがちにかけた言葉が途切れる。

 ?

 男の手はかすかに震えていた。

 その黒い瞳から一筋の涙が零れ落ちた。涙は次々とあふれ出し、男の頬を濡らし続ける。

 美形の涙って、たとえ男でも麗しいものね。

 驚きのあまり、呆けたシャルの頭にそんな言葉がよぎった。


「やっと見つけた」


 何を?

 尋ねようとしたとたんに、いきなり全身の力が抜けた。

 あれ?

 目の前がすっと暗くなる。

 見知らぬ美形の腕を背に感じながら、シャルは生まれて初めて失神した。

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