4.我が子返させ給へやと

 侑里ゆうりの父親が現れて、井場いば芳治よしじを連れて行った。用務員室には三笠みかさと、そして実鷹さねたかたちだけが残される。

 俺は親父と少し話があるからと、侑里は父親と共に用務員室を出て行った。

 これで月波見学園の評判は落ちるのだろうか。それとも結局、今までつちかってきたものによってその名声を保ち続けるのか。そもそも三十五年前の一部の集団が引き起こした事件によって、今この学園に在学している生徒の未来が閉ざされるなど、そんなことはあってはならないことなのだろう。

 もちろん、そこに関与していた人間を親に持っていれば、無事ではすまないかもしれないが。


「これで満足ですか、三笠さん」


 蒼雪そうせつの問いに、三笠が彼の方を見る。

 三笠はこれまで、成り行きを見守っているようではあった。竹村たけむらしゅんを殺したのが誰かという時に口を挟みはしたものの、ずっと静かに黙り込んでいた。


「今ハナニにか命の露を懸けてまし。りがもあらばこそとてものき身なるものを。き子と同じ道になしてばせ給と。人目ヒトメも知らず伏しマロび。我が子カエさせ給やと。ウツツなき有様を見るこそ哀れなりけれ」


 滔々と、蒼雪は謡う。

 それが何であるのかは分からない。けれど低く響いたその謡は、どこまでも静かで、けれど物悲しい。実鷹が聞き取れたその内容からして、子を失った親のものだろうか。


日比野ひびの一慶かずよしの父親は、存命ですか?」

「どうしてそれを、私に?」

「あの写真、日比野一慶ですよね。あなたの甥はかつてこの学園の生徒で、そしてその甥はあなたから一文字貰っている。あなたの名前は三笠次郎、そして日比野一。あなたは名前からして、次男でしょうし」


 蒼雪が指し示した先、写真立てがひとつある。色褪せた写真の中、まだ髪が白くない三笠と、月波見学園の生徒が並んで笑っている。

 この写真を撮ったのが、日比野一慶の父親なのだろうか。自分の子供に弟の一文字を付けたという人の姿は、その中のどこにも姿がない。


「この卒業アルバムの写真とそこの写真立ての写真と、並べてみれば明白です。もちろん成長はしていますが、そこまで劇的に顔が変わっているわけでもないでしょうし。苗字が違うのは何か理由はあるでしょうが、俺はそこまで踏み込むつもりはありません」


 写真立ての中の日比野一慶は、希望に溢れた笑顔をしている。卒業アルバムの笑顔とはまるで違うその笑顔は、この先に起きることなど何一つとして想像できていなかったのだろう。

 月波見学園は全寮制で、逃げる先もない。学園の中で何かあったとしても、逃げ帰る家すらもない。自由に家に帰ることはできず、長期休暇にならなければ学園から出ることすらもできないのだから。


「……あの子の父親は、あの子が失踪して数年経ってから、自殺したよ。もともと離婚して父一人子一人でね、父に楽をさせたいからと特奨生とくしょうせいになったような子だったんだ。兄さんが忙しい時はよく遊んでいてね、慶ちゃん慶ちゃんと懐いてきたものだった」


 他の学校でも特待生制度はある。けれどそれは、交通費や食費は当然かかる。けれど月波見学園の特奨生になれば、それすらも長期休暇以外では一切かからないのだ。

 確かに親に楽をさせてやりたいと思うのならば、一つの手なのだろう。十二歳の時にその決断をして特奨生入試を選び、そして合格を勝ち取った。これで父に負担をかけることはないと、この学園で学ぶのだと、写真の笑顔はきっとそういうものからだ。

 けれど、その希望は猿たちにすべて踏みにじられた。希望すべてを踏み潰し、結果として日比野一慶が楽をさせたいと思った父親の命までもを絶たせたことになる。


「あなたは三十五年前のことを知っていましたよね。知っていて、けれどそれを暴くことができないと分かっていて、だから一色いっしき栄永さかえと共に七不思議を作った。文芸部の部誌という形で学園内に広めて、入れ替えてしまうために」

「一色栄永というのはペンネームだから、本当の名前は違うけれど。そうだよ、彼が七不思議を題材に小説を書きたいと言っていた。だから私から持ち掛けた。ただ彼は、実際に一慶の事件があったと知っているわけではないよ。こういう事件を隠しているとしたらどうだろうと、そう言っただけだから」


 一色栄永は『七不思議事件録』の中で、明白に何があったかは綴っていない。けれど、彼の作った七不思議の裏には事件の真相がある。

 ひとつめとふたつめ、それからむっつめは、きっと何も関係がなかった。七不思議のすべてをその事件のことにすることはできず、まさに真実の中に嘘を混ぜるという形で、七不思議のみっつめからいつつめに過去のことを埋め込んだ。


「いずれ日比野一慶の遺体は掘り返されることでしょう。警察もさすがにそれを放置してはおけない。学園側も知らぬとは言えない。日比野一慶の遺体を探し出して弔ってやる、これこそがあなたの目的だった。けれどあなたは六十五で、今年度で定年です」


 三笠は次の三月いっぱいで、月波見学園を去らなければならなかった。日比野一慶の遺体が見付かろうと見付からなかろうと、彼が去らなければならないことに変わりはない。


「つまりあなたにはもう、


 そもそも彼は、まだらの池の場所も知らないかもしれない。どこかに埋められていることは知っていても、三十五年前に埋め立てられた池の場所を、二十年前に雇用された三笠が知るはずはないのだ。

 実鷹が知ることができたのは、血縁者がこの学園を設計していたからに他ならない。兄が三笠に伝えていない限り、三笠は池の位置を知ることはできない。

 ならば、あてもなく地面を掘り返すわけにもいかなかったのだろう。ただ旧校舎の近くということだけは、もしかすると知っていたのかもしれないけれど。


「ところで三笠さん、芳治さんとは協力関係だったのではありませんか」

「どうしてそう思うんだい?」

「青色で胸に13と書かれたウサギのキーホルダー、これに対する反応がおかしかったんですよ。青色は雨、13は当然ながら十三階段、俺はあなたのことも犯人かと疑っていたので、それで確認をさせて貰ったんです。ただあなたの顔を見ていても、犯人らしき反応はなかった。けれど、何も知らない反応でもなかった。何かを知っていて、それでいてどう隠そうかと考えている顔でしたから」


 あるはずのない鍵の落とし物。蒼雪はそれを問いかけて、じっと三笠の顔を見ていた。


「竹村竣を殺したのが誰なのか知りながら、あなたは口を閉ざしたのでしょう。すべては時間のない自分のため、この状況を利用して猿をあぶり出すために。誰かが真相に辿り着いてくれるように。そしてあなたの思惑の通り、俺は猿の罪を暴いたわけですが」


 三笠と井場が旧校舎の前で会話をしていたのは見た覚えがある。特に井場を疑っていたとか、そういうことはないのだろう。けれど三笠はこの学園内に猿がいることは知っていたのかもしれない。

 もしかするとその確証を得たのは、実鷹の兄が殺された時だろうか。七不思議を調べていた兄が、日比野一慶と同様に失踪した。たとえそこまでは猿の存在が半信半疑でも、それは確証を与えた可能性はある。

 一色栄永すらも、三笠は利用したのだろうか。一色栄永が殺されていれば、それはそれで確証としたのだろうか。


「まんまと俺もあなたに使われたわけです。さらにあなたは猿が渡瀬を殺したことを伝えたかったのと、かつての事件を猿に想起させるがために、渡瀬の遺体を利用した」

「私が? 渡瀬君を? 渡瀬君は井場先生が首を絞めて殺したんだろう?」

「そうですね。けれどその場所は、旧校舎の裏庭ではありません。そもそも七不思議に殺されたことにしたいのなら、ひとつめの次はふたつめでなければならないんですよ。急によっつめに飛んでしまうのは、おかしなことだと思いませんか? 通常怪異というのは、そのルールに従って現れるものですよ? 七不思議ならば順序というルールがあるでしょう?」


 ひとつめの十三階段。よっつめの首括りの木。

 確かに七不思議には順番があるのだから、その順番の通りでないというのはおかしなことかもしれない。


「井場先生は当初、ふたつめにしようとしたんだと思いますよ。旧校舎ならば時間も稼げますし。音楽室のピアノに首を挟んでおくか何かのつもりで、首を絞めたのでしょうね」


 ふたつめは、旧校舎音楽室の人喰いピアノ。首をピアノに挟んでおけば、ピアノに喰われたように見える。

 竹村竣は十三階段に殺された。七不思議に殺された。その噂を利用しようと思うのならば、単純に考えればふたつめを使う方が納得がいく。


「幸いなことに、旧校舎の扉は開いていた。警察が調査した後に誰も閉めなかったのは単純に忘れられたからかもしれませんが、あなたはそれを知っていましたよね。学園内の隅々まで、とくに旧校舎を見て回ることの多いあなたなら」


 閉まっていると思っていたのに、開いていた。扉は閉まっていて、けれど鍵がかかっていなかった。

 いつも鍵がかかっているから、あれはきっと鍵がかかっている。それをくつがえそうと思うのならば、実際に扉を開いてみるしかない。


「そして井場先生が渡瀬を殺したあと、あなたは旧校舎で渡瀬の遺体を見付けた。そして――あなたは旧校舎の裏庭に渡瀬を吊るした。先に、木々にトイレットペーパーを巻いてから。あのトイレットペーパーは、ですね?」


 ひらひらと、トイレットペーパーが風に舞う。

 ひらりはらりと、夏の雪。


「日比野一慶は雪の降りしきる日に首を括った。本当ならあなたはその木に渡瀬の遺体を吊るすつもりだった。知っているぞと猿を煽るために。けれど、できなかった。その木は日比野一慶が首を括った木で、どうしてもあなたはそこに遺体を吊るせなかったのでしょう。だから本来吊るすはずの首括りの木だけは


 人の重みで雪はどさりと落ちて、その木にだけは雪がない。

 思えば知希ともきが吊られていた木の隣だけ、枝葉がそのままだった。それ以外の木にはトイレットペーパーが巻かれていたのに、唯一その木だけが。


「渡瀬が吊られていた木は、何の因果か三十五年前の卒業生が植えた記念樹でしたよ。その隣にあったのが、四十五年ほど前のもの。日比野一慶が首を括った時点では三十五年前の記念樹は存在しませんから、当然それは。本来の首括りの木は、渡瀬が吊られた木の隣にあったものです」


 日比野一慶が首を括った木こそが、本物の首括りの木。

 三十五年前の卒業生が植えた記念樹は、当然三十五年前の一月には存在していない。記念樹は、卒業式の日に植えるものだからだ。


「トイレットペーパーの出所が不明なのも当然ですよね。あなたならば、校舎のトイレから集めてくる必要がない。この用務員室にトイレットペーパーの予備があるのですから、簡単です」


 トイレットペーパーがある、トイレ以外の場所。校舎の電球が切れた、トイレットペーパーがなくなった、それらはすぐに三笠が対応して、補充したり交換したりしてくれる。

 つまりあのトイレットペーパーは、この用務員室にあったものだ。


「あなたはどこまでも冷静でした。井場先生の罪を暴いても、芳治さんの罪を暴いても。会社員が用務員へと姿を変えて仇討ちをしようと……あなたが、もう一人の放下僧ほうかそうだった。もっとも弟を止められず、竹村竣殺しが発生したわけですが。けれどその竹村竣殺しが、あなたにとって契機となった」


 井場が捕まった以上、知希の遺体については隠しておけないだろう。井場は旧校舎の音楽室に知希の遺体を置いたのだろうし、それがどうして旧校舎の裏庭に吊り下がったのか分からないはずだ。

 となれば確実に、他の誰かの存在は疑われる。


「……あの子を、見付けてあげたかったんだよ」

「そうでしょうね」

「父親のことを思って特奨生となって、折れることなく頑張ろうとして、それがあんな風に殺されてしまった。挙句の果てに遺体すらもなく失踪者となり、兄さんは憔悴して最後には命を絶ってしまった。だというのにその犯人たちはのうのうと生きている。その地獄が、絶望が、君に分かるのかね」


 蒼雪はただじっと、静かに語る三笠を見ていた。

 地獄が、絶望が。三笠はそれを自分一人だけが抱えているような顔をしている。この世でたった一人、自分だけが。


「さあ、どうでしょう」


 実鷹も蒼雪も、何も言わなかった。

 実鷹だって、兄を殺された。蒼雪だって、家族を壊された。それが地獄でなかったと、絶望ではなかったと、誰が決めるのだろう。


「知りたかったんだ、見付けてやりたかったんだ、せめて」

「だからといって、渡瀬を誘導して、犠牲にすることはなかったと思いますよ。そして、その遺体を利用することも。あなたは結局、日比野一慶のことを自分の免罪符めんざいふにして、罪を犯した。時間がなくて焦っていたのでしょうけれど。猿の罪が明るみにでない限り、旧校舎の裏庭を掘り返すことはできないですから。そもそも池の底に沈み、さらに埋め立てられている。遺体がある場所は、深いでしょう」


 三笠は黙って座り込み、自分の両手を見ているようだった。

 写真立ての中、三笠は笑って甥の肩に手を置いている。かつてそうして甥の肩に置かれた手は、三十五年の月日で罪深いものに変じてしまったか。


「あのさ、姫烏頭ひめうず。三笠さんはどうやって猿のしたことを知ったんだ? だって猿は隠したわけだし、いくら甥の失踪が殺人だと思ったとしても、その詳細までは分からないだろ? それなのに七不思議には詳しくその内容が入ってたじゃないか」


 ふと疑問に思って、今言うべきかどうか分からないままに実鷹は疑問を口にする。

 そもそも蒼雪は三笠が三十五年前のことを知っている前提で話をしているが、そもそもどうやって彼は知ったのか。死んでしまった日比野一慶が語るはずもなく、その父親とて真相は知らない。まさか幽霊が出てきて話をしたなど、荒唐無稽こうとうむけいなこともないだろう。


「それはね、佐々木ささき君。手紙を貰ったんだよ、随分と前に。三十年ほど前だったかな」


 実鷹の疑問には、三笠が答えた。

 彼はするりと立ち上がり、引き出したのところから一通の封書を取り出す。彼は「どうぞ」とそれを実鷹の手の上に乗せた。


「この手紙、俺たちが用務員室に来た時に見ていた手紙ですね?」

「良心の呵責かしゃくでもあったのかな。えらく豪快で汚い文字だけれど、懺悔ざんげの言葉と共に真実が書いてあるんだよ。こんなものを貰ったところで、赦せるはずもないというのにね」


 宛名はあった。その宛名は日比野裕一郎ゆういちろうとなっており、日比野一慶の父親に宛てたものだったのだろう。

 消印の日付は三十一年前。果たして日比野裕一郎は、この手紙を読んだのだろうか。


「外に三砂みさごの父親が待っていますよ、三笠さん」

「そうか」


 三笠はそのまま、用務員室を出て行った。ばたんと扉は閉ざされて、どこか細く見える背中が見えなくなる。


「……これで、終わりか?」

「いいや、まだだ」


 蒼雪がゆるく首を横に振る。

 彼は「行くぞ」と顎をしゃくって用務員室の扉を示した。


「最後だ。佐々木、君の兄に、会いに行こう……もう、骨になっているだろうけれど」

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