2.心は闇にあらねども
兄は殺され、隠された。
これまで
ここが全寮制の学校であるからこそ、
ただ実鷹という存在があったから、少しばかり外へ漏れ出てしまっただけだ。
「見張りの猿は、ずっとずっと見張り続けた。誰も真実に近付かないように、気付かないように。ただボス猿に言われたことを愚直に守り続けた。そもそも知られれば自分だって今のままではいられなくなる。二十年前に
みっつめとよっつめといつつめは、明確に猿の罪を示唆している。いつかそれに誰かが気付くかもしれないと、きっと井場は恐れ続けた。
そして、何の因果か。その真相に辿り着いてしまったのが、実鷹の兄だった。
「八年前、一人の生徒が七不思議の真相に辿り着いた。嘘には少しの真実を……いや、今回の場合は真実に少しの嘘を混ぜて、怪異として隠したんだ。かつての日本人がまつろわぬ民に対しての行為を異形に
真実の中に、嘘を。まるで嘘のような真実を。
卒業アルバムの中で
「けれどもこの七不思議の裏には、
自分は悪くないと書くのはきっと、罪の自覚があるからだ。自分たちが日比野一慶にしてしまったことの罪深さを、安東はきっと分かっていた。
そうでなければ、言い訳などするものか。あいつが悪いのだと、罪の
「この七不思議の裏にある恨みは、せめて謝罪が欲しいというものなのかもしれない。せめて弔ってくれと藤戸の母が語ったように。苦しみの海に沈んで、沈んで、自分もまた浮かび上がれない。そんな息苦しさなんですよ、恨みって。ねえ、考えたことはありますか?」
うっすらと笑みを浮かべ続ける蒼雪は、けれど暗い目をしているように見えた。
恨みたくない。誰のことも恨みたくなかった。七不思議のせいにしてしまえば、誰のことも恨まずにいられた。ただ自分だけを責めていられた。
実鷹は井場を恨めばいいのだろうか。それとも猿たちを恨めばいいのだろうか。それとも――七不思議を作った一色栄永と、そして
「せめて謝ってくれれば、せめて手を合わせてくれれば、それだけで晴れる恨みもあるものを。けれどそれすらもなく隠すということは、どこまでも残酷なものなんですよ。忘れようと思っても忘れられず、むしろその忘れようと思う心の方が、忘れてしまうよりもずっとずっと辛い」
忘れられるものか。
いっそ忘れてしまえたのなら、もっとずっと楽だったのかもしれない。
忘れたいと願っても忘れられないほどに、うだるように暑い夏の記憶がこびりついている。鳴き騒ぐ蝉、落ちていくプールバッグ、その音の記憶だけを何度も何度も繰り返す。
「
芳治は言葉を探すように、何度かはくはくと口を動かしていた。開いては閉じて、けれど言葉が見付からないのか声にはならない。まるで、酸欠になった魚のようだ。
そうしてしばらく待っていれば、ようやく観念するかのように芳治は声を絞り出す。
「シュウは……そうだよ、ななつめが分かったと、青い顔をしていた。俺が最初に持ち掛けたんだ、あいつは七不思議を面白がったから、一緒に調べてみようって。俺は先に辿り着いたけど、お前は知らない方が良いって、言ってたんだ」
「そして、彼は帰ってこなかった」
「そうだよ。確認したいことがあるって放課後に教室で別れて、それきり寮の部屋にも戻って来なかった。いや、一回戻っては来たのか、鞄は寮にあったから。でも、本人は夜になっても戻らない。寮監に伝えて探してもらって、それでも見つからなくて」
あの日の知希と同じだ。帰ってこなくて、それを待って、まんじりともせず眠れない。
「そして、失踪者となった」
兄も、知希も、帰ってこなかった。
芳治にとっては高校三年生の夏、きっと蝉がうるさかったことだろう。みんみんと鳴き喚く蝉の声を、芳治はどんな気持ちで聞いただろう。
「あなたは真実が知りたくて、月波見学園に戻ってきたんですね、芳治さん。
「そうだ……だって、俺のせいだ」
僕のせいだ。
いつかの、幼い実鷹の声が重なる。
「俺がシュウに持ち掛けた。俺がシュウに七不思議を調べさせた。あいつが真実に辿り着いてしまったのなら、あいつが七不思議に呪われて殺されてしまったのなら、それは全部俺のせいだ!」
僕のせいだ。
僕が七不思議のことをもっと聞かせて欲しいとせがんだから、お兄ちゃんは七不思議に呪われてしまったんだ。だから帰って来ないんだ。
うだるような暑い夏の日に、十八歳の芳治はきっと八歳の実鷹と同じことを思ったのだ。鳴き騒ぐ蝉の声を聞きながら。
「でも、あなたは七不思議の呪いが
「あなたは、最初は藤戸と同じだったはずだ。ただ真実が知りたいのだと、隠した場所を……沈めた場所を教えて欲しいのだと、そのはずだった。けれど、あなたは放下僧になってしまった。あなたには資格がないにも関わらず」
仇討ちとは、尊属が殺された場合に限られる。
それは蒼雪が以前も口にしていたことだ。芳治にとって実鷹の兄はルームメイトであり、友人だったのだとしても、決して仇討ちをするような間柄ではない。
「ところで井場先生、だんまりですけど。佐々木鷲也の件は何も反論はないのですね?」
「……ない」
「そうですか。じゃあ、どうやって殺したのかは後でゆっくりと話していただきましょうか……ただし、場所はここではないでしょうけれど。ああ、別に隠した場所は教えてくださらなくて結構です。俺はもう、その場所が分かっていますから。だからあなたはあんなへたくそな文章で、むっつめを入れ替えることになったんです。もちろん、図書室に近付けたくなかったというのもあるのでしょうが」
井場は俯いたまま、短く返事をして再び黙り込んでいた。井場の頭のてっぺんを蒼雪はじっと見て、けれどまた視線を逸らす。
むっつめ、図書室に眠る人皮の本。
近付けたくなかったのは、実鷹と蒼雪が行ったあの場所だ。井場が慌てたように声をかけてきて、司書の先生にはうるさいと怒られた。
「
「いいえ、三笠さん。半分違っています。そもそも竹村
首を横に振った蒼雪が、問いかけた三笠の顔を見る。彼は「今は乗ってあげますよ」と三笠に告げたが、三笠が表情を変えることはない。
困惑しているかのような、けれど何かを待っているかのような、そんな顔と言うべきか。
「渡瀬は確かに、井場先生が殺しました。大事な大事な睡眠薬を無駄遣いして。ですが、竹村竣は違う」
知希の死は自殺とされた。抵抗した様子も何もなく、ただ静かに木にぶら下がっていたからだ。けれど抵抗しなかったのではなく、できなかったのだとしたら。
「俺は言いませんでしたか。一を隠すために二人を殺した、と。井場先生が殺したのは、佐々木鷲也と渡瀬知希の二人です」
「では、竹村君は……」
「そもそも、渡瀬の遺体を井場先生は佐々木鷲也と同じところには隠さなかった。理由は簡単です、竹村竣が十三階段で死んだから。ならば渡瀬も同じように、七不思議の呪いにしてしまえばいい。失踪者とするのも、最近だと容易ではないでしょうからね」
八年前もきっと容易ではなかっただろうが、あの時はきっとそれしかなかった。だからどうにかして遺体を隠して、失踪者という形にした。
けれど、知希の遺体は吊り下げられた。トイレットペーパーを巻き付けられた木に、だらり、ぶらりと。
「竹村竣を殺したのは、井場先生ではありません。そもそも逆らえるはずのないボス猿の息子ですよ? 愚直な見張りの猿に殺せるわけがないでしょう?」
竹村竣は、上位様だ。当然ながら、その親も。
かつて井場と同じクラスにいた竹村
「竹村殺しは、まったく別です。最初それが分からなくて、でも猿に殺せるはずがないと思っていて、おかげで解を得るのが遅くなった気がします。殺そうと思って殺したにせよ、事故にせよ……殺す資格もない上に、殺す相手を間違えましたね、放下僧。
竹村竣は階段のところで死んでいた。雨の降る中、仰向けで。
その階段が綺麗すぎると、蒼雪は言った。雨の日に外から来たのなら、あの階段には黒い足跡が残るはずなのに、と。
芳治の顔が、にわかに歪む。ただ薄く笑う蒼雪は、じっと歪んだ彼の顔を見る。
「そうでしょう――ねえ、芳治さん」
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