1.重なることば
六月も半ばを過ぎて、本格的に
共有スペースで雑談をすることもなく、
「あー……」
知希が声を上げて、べしゃりと机に突っ伏した。彼の手から離れて転がったシャーペンが、机の端の辺りで動きを止める。
実鷹もちょうど集中力が切れてきたところで、ちょうどいいとシャーペンを手放した。
「つっかれた……腕が痛い」
「考査で悪い点数取るわけにいかないだろ?」
「そりゃそうだけどな。家にテスト結果送られるし……赤点だとまずい」
深々と溜息を吐いて、知希が肩を落としている。
月波見学園の考査は、親に結果を隠すことができない。答案を隠そうが意味はなく、結果は自分の与り知らぬところで自宅へと郵送されるのだ。当然、赤点も家族に知られてしまう。
知希は嫌そうな顔をして、それでも机から頭を上げようとはしない。
「でもちょっと休憩しようぜ、頭がパンクする!」
「少し早いけど食堂は開いてる時間だし、晩ご飯行く?」
「えー……まだそこまでお腹空いてないんだよなあ」
時計を見れば、午後五時半を示している。食堂は午後五時から開いているので、食べに行こうと思えば夕食を食べに行くことはできる。この時間帯であればまだ人は少ないだろう。
ただ知希と同じように、実鷹もそこまで空腹というわけでもない。食べようと思えば食べられるが、かといって今すぐ食べに行きたいというわけでもない。
「あ、そうそう。七不思議の話でさ、面白いことが分かった」
がばりと身を起こして、知希が実鷹の顔を見た。気になるから調べるとは確かに言っていたが、彼は有言実行だったらしい。
今のところ、呪われたという様子はないだろうか。けれど実鷹は思わず
「本当に調べてたんだ」
「まあ、一応? 図書室に古いアルバムとか部活の記録とかあるだろ、奥の一画に」
特別教室棟の二階に、図書室はある。同じ地区の私学の中ではそれなりの蔵書量ではあるが、かといって地区内で最も蔵書量が多いというわけではない。
実鷹も時折図書室へ行くことはあるが、知希の言う奥の一画というのは思い浮かばなかった。あまり人が立ち入ることがない辺りにあるのだろうか、少なくとも実鷹は足を踏み入れたことがない場所だ。
「あの辺に古い学園新聞があったんだよ。十年前くらいまではあったらしいよ、新聞部」
「俺たちが入った時にはもうなかったもんな」
「
三十五年前にも七不思議があったのかという話は、前に体育館でした。学校に怪談はつきものなのだから、その当時にも七不思議があるのは何もおかしなことではない。
それと知希の言う面白いことがつながらなくて、実鷹は少し首を傾げる。
「それが面白いこと?」
「まさか。それだけだったら面白くないだろ」
話はそんな単純ではなかったらしい。知希は少し考えるような素振りを見せてから、机に手をついて立ち上がる。
ほんの少しだけ机が揺れて、シャーペンが揺らいだ。けれど、転がっていってしまうほどではない。
「内容が……ノート持ってくる、待ってろ」
知希が自分の部屋へ消えて行くのを、実鷹はぼんやりと見送った。
三十五年前、随分と昔のことのようにも思える。当然実鷹は生まれていないし、そもそも実鷹の両親は結婚もしていないだろう。
その頃に、月波見学園は既にここにあった。女子部ができたのは二十年ほど前であるので、女子部はないけれど。
しばらく待っていると知希が戻ってきたが、その手の中は空っぽだった。
「あれ、ノートは?」
「どうも教室に置いてきたらしい。なかった」
申し訳なさそうに、知希は眉を下げている。その表情に、
七不思議には呪われる。七不思議には殺される。
「考査終わってからでもいいか?」
「いいよ」
いっそのこと、そのまま忘れてしまってくれればいい。
「部活もないし息抜きにもう少し調べてみるかな、図書室。人皮の本とかいうのはどこにあるんだ?」
「いや、そんなの俺も知らないけど……ただ図書室で目の前に落ちてくるって話だし。人皮の本には目があって、ぎょろりと見てくるんだってさ」
未だ調べるらしい知希が、どう言えば止まるのかは分からない。彼に兄のことを話すべきではなかっただろうかと思うけれども、今更後悔しても意味はない。聞かれたから答えた、別に隠すようなことでもない、そう思って答えただけなのに。
「うっわ、こわ! 出会いたくない!」
「じゃあ図書室で探すの止めろ……あ……」
怖いから、止める。
呪われるから、止める。
不都合を覆い隠すために、近寄らせないために、怪異はそこにある。
ぐるりと頭の中を巡った言葉に、蒼雪の言葉が重なる。まさに今実鷹が知希に向けた言葉は、その通りのものではなかったか。蒼雪の言葉を肯定するものではなかったか。
「どうかしたか?」
「いや、なんでも、ない」
人皮の本が怖い。落ちてきてぎょろりと見られるのは怖い。
それならいっそ図書室に近寄らなければ良い。
まさに蒼雪の言う通りになっていないだろうか。七不思議はあるのに、呪いはあるのに、それなのに蒼雪の言葉がこびりつく。
呪われるからだ。死んでしまうからだ。だから止めている――そのはずなのに。
「……なんでもないって顔か?」
「顔だよ」
「そういうことにしといてやろうか?」
ふいと知希から視線を逸らせば、子供かと笑われた。けれど彼の顔を見る気にはなれず、実鷹はそのまま窓の外を見る。
相変わらず雨が降っていて、窓ガラスは濡れている。いく筋もの水が落ちていって、それはいつか土の中へと消えていく。
知希の笑い声が聞こえて、彼は「分かったよ」と告げた。その言葉でようやく知希の顔を見れば、ぐいと伸びをするようにしていた。
「
「探したのか?」
「旧校舎裏は行ってみた。雨降ってたせいで、めっちゃぬかるんでたけど、卒業生が植えた木が多いんだよな、旧校舎の裏」
図書室の話題から、首括りの木へ。話題は移り変わったけれども、七不思議の内容であることに変わりはない。
思い描いた旧校舎裏は、じめっとしていて何本もの木が植えられている。等間隔に植えられた木々は薄暗さもあってか、どこか不気味に思えた記憶があった。
「明確にどの木ってなってるわけでもないし、調べても分からないと思うけど」
「そんな変な顔で言うなよな、サネ」
「どんな顔だよ」
知希の言う変な顔が分からなかった。実鷹としては至って普通の顔をしているつもりであったし、何かを思ったというわけでもない。
顔を覗き込むようにした知希から、今度は視線を逸らさなかった。
「んー、言いたいこととか全部我慢してそうな顔」
「気のせいじゃないのか」
「さあ?」
机の端に、シャーペンが転がっている。あと少しでも転がれば落ちてしまいそうなその場所で、けれど落ちることなく机の上にしがみついている。
崖っぷちだなあ、などと思うのはおかしなことか。
「さぁて! あと一時間がんばりますか!」
落ちそうになっていたシャーペンを手に取って、知希が大きな声を出す。少しだけ肩を揺らして、実鷹はこれみよがしに溜息を吐いた。
「急にやる気出すなよ」
「良いだろ別に。あと一時間もすれば晩ご飯に
その言葉に従うようにして、数学の問題集を開く。並んだ数字と記号の羅列は整然としていて、いっそ何もかもこうして解けてしまえば良いのにとも思う。
解を得たい。
また、蒼雪の言葉を思い出してしまった。明確に一つの答えになるものなど、現実にはほとんどないというのに。学校で勉強するものだけが、答えが存在するだけだ。
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