異端のエリザ

揺井かごめ

フォルモントより、愛を込めて。

 僕は走る。

 視界が爛れている。眼下の土地から火の手が上がる。


 僕は走る。

 彼女の声がリフレインする。


「約束だ」


 僕は走る。

 約束を背負って、約束の樹のもとへ。


   ◆ ◆ ◆


 薄曇り、という言葉がある。

 旧人類は、白っぽい灰色の雲が空を覆う、そんな状態を指してこの言葉を使ったらしい。

 見たことないから知らないけど、白い空というのは綺麗なんだろうな────斑に赤茶けた空を見上げて、僕はぼんやりとそう思った。

 背中の荷物を背負い直し、僕は歩を進める。

 僕が今向かっている先は、まさにその〈薄曇り〉を教えてくれた友人の家だ。彼女の数少ない友人として、僕は定期的にその住処へ足を運んでいる。

 今日の土産は、彼女の好物であるラングドシャだ。よくまあ、こんな食いでのない食べ物に執心できるなと思う。僕にはさっぱり分からない。

 よく分からないのが、彼女の良いところだ。

 エリザ。

 ひとりぼっちのエリザ。一回目のエリザ。

 僕以外の星樹人からは、異端のエリザなんて呼ばれている。旧人類の物語に出てくる〈魔女〉ってやつにそっくりなエリザにお似合いの、厳しい響きだ。癪なので僕は呼んでやらない。

 山の麓、街外れにある彼女の家には、あまり人が訪ねて来ない。星樹人はエリザと喋りたがらないし、旧人類が立ち寄るには場所が悪い。

 エリザの家の隣には、燐光を放つ巨木────末端枝がそびえているから。

 旧人類は、肉体が一度滅びたら死んでしまう。星樹人と違ってバックアップが取れない。だから、僕たち星樹人の文明に触れるのもおっかなびっくりだ。

 得体が知れないから近付かない。

 脆い生き物としては当然の道理である。

 僕と友好的に話してくれる旧人類たちも、こぞって末端枝を「怖い」と評価する。怖いことなんか何もないんだけれど、彼等は慎重だから仕方無い。

 γガンマ線バーストが旧人類の大半を焼却し、星系樹が地球を保護下に置いてから、彼らの時間単位でもう12年経つ。

 星系樹は、荒廃しきった地球を管理する、植物性の量子コンピュータだ。星系樹をマザーコンピュータとして、世界各地に生えた末端枝が子機の機能を果たしている。

 その更に子機が、僕たち星樹人だ。地球の維持、果ては人類の文明復興に尽力すべく、人の形を得て生み出された、自我を持つ植物性ロボット。

 それが、僕たち。

 僕は、星樹人にしては〈感情〉が豊かな方だ。僕の主たる仕事は生き残った旧人類の保護だから、旧人類と直接話す機会が多い。その分〈感情〉の学習が進んでいる。学習データは星系樹と定期的に同期しているので他の星樹人も同じデータを持っているけれど、普通の星樹人は〈感情〉をあまり重視していない。

 〈感情〉は、危険を回避したり、コミュニケーションを図る為にある。

 データを地球規模で同期できる星樹人にとっては、個体単位での危険回避もコミュニケーションも必要ないのだ。だから〈感情〉も要らない。

 旧人類と直接関わる、僕らみたいな役職を除いては。

「エーリザ! 遊びに来たよ〜!」

 エリザの住む質素な山小屋、その木製の扉をノックする。本当は、末端枝を通してこの辺一帯を管理している彼女にノックは不要だ。それでも僕はノックをする。

 無駄を愛する彼女に敬意を表して。

「……入れ」

 ぶっきらぼうな声が、末端枝の出力器官から降ってくる。

 エリザの仕事は末端枝の管理だ。その職権を良い事に、彼女は家の隣に立つ末端枝を好き勝手つくり替えている。エリザが三年掛けて改造したこの末端枝には、この玄関スピーカーみたいな余分――――もとい便利な機能が、おびただしい数くっついている。来るたび何かしら増やされているので、どんな機能が増えたか探すのが、密かな毎月の楽しみだ。

 僕は遠慮無く門扉をくぐって中に這入る。

「やあ、エリザ」

「ご機嫌よう、フォルモント。全く君は名前通りの星樹人だね。月に一度、満月フォルモントの日に、必ず顔を出す」

「その名前、君が付けたんだろう? 個体No.29-5にちなんで――――」

29.5日つきのめぐるしゅうきだからフォルモント。我ながらピッタリな名付けだったと思うよ」

 壁中に大量の映像やデータが投影された部屋で、エリザは僕に振り向いた。

 緑の長髪、二メートル弱ある長身。僕と同じ外見の彼女は、その身体に似合わず丸まるように座り込んでいる。

 星樹人の肉体は、ほぼ均質だ。かつてニホンに存在したソメイヨシノという木と同じで、クローンなのである。

 まあ、これもエリザの受け売りなのだけれど。

 星樹人にはクローン技術によって作られた大量のストック体が有り、使っている身体が破損したら新しいストック体を使う。星樹人の仕事は軒並み過酷なので、大抵の星樹人は身体を交換したことがある。僕の身体も三体目だ。ストック体は全てが全て、ひょろ長くて緑色をしている。生殖しないから性別も無い。必要ないので服も着ない。

 普通は。

「茶でも飲むかい」

 エリザはそう言って、ワンピースの裾をさばきながら立ち上がった。

「最近、ようやくダージリンティーに近い紅茶が作れたんだ。自力でここまで辿り着いたのは中々感慨深いよ」

「それは楽しみだ。しかし、不思議な話だね。旧人類の技術を、新人類の君が必死こいて再現してるっていうんだから」

「昨今の人類に紅茶なんか作る余裕は無いからね。望めないなら自力しかあるまいよ。なに、作るのも楽しいものさ」

 エリザは一つ奥まった部屋に移動して、手際よく紅茶を淹れ始めた。僕も勝手にリビングルームに入り、荷物を下ろしてソファにゆったり腰掛ける。

 本来、星樹人は家らしい家を持たない。適当な洞穴や末端枝のウロで十分だからだ。紅茶を飲んだりラングドシャを食べたりもしない。そもそも飲食が必要ないからだ。形骸化した口と舌を楽しませることに、意味を見出さないからだ。

 星樹人のなかでただ一人、エリザだけが自発的にそれらを行う。

 彼女には、前世の記憶があるから。

 エリザは、γ線バーストで死んだ人間の記憶を持って生まれたという。エリザという名前の聡明な女性。いち人間の記憶を情報として持って生まれた星樹人は、彼女だけだった。変異体のようなものだろう、というのが他の星樹人の見解である。そして、その特異性は保護すべきだとも。

 彼女の持つ学習データは、彼女の意志で同期されていない。

 彼女のことは、彼女しか知らない。

「今日は、何を持って来た? えらく大きな荷物だが」

 エリザは投げやりな口調で良いながら、裏腹に優雅な手つきで紅茶をテーブルに置いた。

「ラングドシャと――――前に約束したものを」

 僕の言葉に、エリザは束の間動きを止めた。

「……そう。それじゃあ、見せて貰おうか。紅茶とラングドシャが先だがね」

 僕はラングドシャの包みを差し出した。たちまち包みが奪われる。菓子のことになると彼女は少し意地汚い。もちろん、元々全て彼女にあげるつもりだったから良いのだけれど。

 エリザは紅茶を片手に、ラングドシャをちびちびと食べ始めた。満足げな表情に、僕まで嬉しくなる。

 僕は紅茶を一口含んで香りを楽しんだ後、彼女がティータイムを終えるのを待たずに、リュックの中身を開き始めた。

「おいおいフォルモント、それは無粋だろう」

「大丈夫、分かってるよ。お披露目は君のタイミングで、だろ。梱包が頑丈なんだ」

 一抱えある荷物をリュックから取り出し、帯状の紐を解いて、幾重にも包んだ半紙をはがしていく。中身の箱が露出したところで開封の手を止め、丁度ラングドシャを食べ終えたエリザを見遣る。

「ほら。最後は君に任せるよ、エリザ」

「いいや、分かっていないね、フォルモント。そわそわしながら食べる好物は美味しさが半減するんだ」

「そういうものかい?」

「そういうものなんだよ。覚えて帰ってくれ、後々の私のために」

「わかったよ」

 そうしてエリザは、おそるおそる箱に手を掛けた。そっと蓋が持ち上げられる。

 エリザが小さく息を吞む。

 最初に覗いたのは、ペールグリーンの小柄な手足。

 胎児のように丸められた四肢は、白いレースに覆われている。女性らしい丸みを帯びた身体を包んでいるのは、エリザが今着ているものと似た白いワンピースだ。頭部が露わになる。うすい肌色の頬と控えめな鼻先には赤みが差し、そばかすが散っている。花びらのような桃色の唇。長い睫毛は燃えるような赤だ。緑の長髪は一本一本が絹糸のように細く、内側の髪は睫毛と同じ赤色をしている。

 旧人類の女性――――生前のエリザを模した、オーダーメイドのストック体。

「……どう、かな」

 あまりにもエリザが静かなので、僕は身を屈めてエリザの顔を覗き込んだ。そしてぎょっとする。

 エリザの頬が濡れていた。

 僕は旧人類と関わりがあるから知っている。これは〈悲しみ〉に伴う〈涙〉だ。星樹人にもこの機能があるとは思ってもみなかった。

「えっ、あれっ、気に入らなかった!?」

「逆だ馬鹿。出来が良すぎて驚いたんだよ」

 エリザは僕を濡れた目で睨んだ。

「こんなにそっくりに作ってくるとは思わなかった」

「滅多にしない同期までしてくれたからね」

「あの時はそういう気分だったんだ。私の記憶を見せたからって、ここまでそっくりな身体が簡単にできるわけ無いだろう」

「まあ、簡単では無かったね」

 僕は、たまたま器用な個体だった。でも、当然ながら、人間のディテールを再現する技術なんか搭載されていなかった。ストック体の管理や調整の機能も持っていなかった。ここ数年かけて少しずつ身に付けてきた集大成が、目の前のストック体になる。

「おかげで変な技術が身に付いた。エリザにつられて変人の仲間入りだよ」

「君は元々変人だったと思うよ、フォルモント。私のような人間のなり損ないに執心するなんて」

「そうかな。僕にとっては凄く自然な事だったんだけれど」

「そうかい」

 エリザは、くつくつと肩を揺らして笑う。彼女を見ていると、胸の部分が熱いような、苦しいような感覚になる。いつからこの現象があらわれたのか、メモリを見返しても分からない。

「ああ、しかし、これで死ぬのが少し怖くなくなったよ」

「君の身体が壊れても、君は死なないと思うけれどね」

「それはどうかな、フォルモント。私は魂を信じているんだ。次の私の身体が同じ記録を持っていても、私の魂を引き当ててくれるかは分からないだろう? その点、この身体には君の思いが込められている。私の魂も、この身体に惹かれるんじゃないかな」

「面白い考え方だね」

「それはどうも」

 エリザはストック体を愛おしげに撫でた。

「それじゃあ、この身体は君に預けよう」

「せっかく良い出来に仕上がったのに、手元に置いて眺めたりしないのかい?」

「しないよ。自分がもう一人いるようで気味が悪い。使いたくて頼んだのであって、眺めたくて頼んだものじゃないからね」

「そうかい」

 エリザが箱の蓋を閉める。

「もしも私の身体が壊れたら、君が、この身体に私の記録を入れ直してくれ。そして、出来たら祈ってくれ。私が私として、この身体に再び宿れるように」

 エリザは緩く手を挙げ、小指を僕に差し出した。僕もそれに応えて小指を差し出す。

「ああ、分かったよ。約束しよう」

「ありがとう」

 僕とエリザの、緑色の小指が絡む。

 エリザは、確かめるように、言い含めるように、一言呟いた。


「約束だ」


   ◆ ◆ ◆


 僕は走る。


 エリザの拠点が噛蟲イーターに襲撃された。

 撃退の為に身体をひとつ駄目にして、新しいストック体に入り直した僕は、エリザの身体を背負って末端枝へと向かっていた。

 彼女の家の跡地は、瓦礫の山になっていた。エリザの揃えたソファも、茶器も、洋服も、なにもかも焼け焦げて燻っている。僕はそれを尻目に、末端枝の根元にある扉を開いた。

 末端枝は、管理のために中が空洞になっている。螺旋階段を上り、中腹にある小部屋に這入る。

 そこには、色あせた金属の小箱が置かれていた。

 僕はリュックを下ろし、エリザのストック体を取り出して横たえた。木目調の床に赤と緑の髪が散らばる。

 小箱を開けると、オルゴールの音色がささやかに零れる。中には透き通った薄水色の八面体が入っていた。エリザの自我がバックアップされた結晶。僕はひんやりとしたそれをつまみ上げる。

 オルゴールの音色は、拙く曲を編む。

「……エリーゼの為に、か」

 エリザが鼻歌で歌っているのを聴いたことがある。

「確かに、相応しい。君らしいと思うよ、エリザ――――エリザベート」

 僕は、エリザの自我を、ストック体の胸骨に押し込んだ。

「最初は、興味があっただけなんだ。君にとって死とは何なのか、それが純粋に、気になって」

 薄緑の肌が結晶を飲み込む。同期を告げる鈍い機械音がする。

「今はもう、どうでもいい――――何でも良い、君とまた話せるなら、何でも良い」

 彼女の手を握り、僕は祈る。

 彼女が彼女であることを、ひたすらに祈る。


 彼女の瞳が、開く。

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異端のエリザ 揺井かごめ @ushirono_syomen

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