海辺の町にて
転がっていった骨壺は、線路と道を隔てるために設けられたフェンスの影の上で止まった。そこに石でもあったのだろう。誰に盗られる心配もないし、電話が終わるまでそこに転がしておけばいいかと判断した。電話が終わったから、取りに行かなければならない。
通話を終えたスマートフォンをスラックスのポケットに入れて、立ち上がる。黒いスラックスの膝が、白く、土で汚れている。こけてしまったから。払っても払っても消えない白色。焼き場で見た骨の色。フェンスの向こうを続いていく線路は鉄錆の色。踏み出す足は痛くない。ただ少し、歩き方がぎこちない気がする。はじめて来る街だからだろうか。私が何か大事なことを忘れているだけだろうか。
右手と右脚を前に出す。
右足の踵が地面につく。小石を踏む。左手と左足を前に出す。右足の爪先で地面を蹴り出す。左足の踵が地面につく。
骨壺は思ったよりも小さくて、思ったよりも重たかった。骨はほとんど残らなかった。父と一緒に住んでいたという人は何も言わなかったが、不摂生のせいだろうと想像する。父が、そうした嗜好品を嗜んでいる姿を一度も見たことがないのに、そう確信できた。だって、父は、私と妹の父なのだ。
フェンスの影の中に立ち止まって、しゃがんで、骨壺を拾い上げる。正確には、骨壺を淡いグレーの大きめのハンカチーフで包んだもの。風呂敷代わりだ。電車に乗るときにはどうしよう。これが骨壷だと傍目には分からないだろうか、一応カバンには入れた方が良いだろうか。もっと大きいカバンにするんだった。骨壺を、体の前に両手で抱え直して、もう一度歩き出す。
フェンスの向こうの線路は、二本が平行に走っている。どこかで交わるだろうか。それとも、一本に統合されるだろうか。そうなるなら、どちらが親でどちらが子の関係になるのだろう。先ほど上りの電車が行ってしまったから、次は十五分後。
父の部屋を片付けながら、海の音を聞いた。何もない部屋だった。窓を開ければ、無彩色に近い青色の海が見えるだけの、何もない部屋だった。一緒に住んでいる人の部屋や、リビングダイニングなんかはそんなでもなかったのに、父の個室だという部屋は、からっぽと言って差し支えなかった。
本当にお骨を持って行っていいのかと、確認してしまった。父と一緒に住んでいたという人は、いいんだよ、と言った。それはあなたが持って帰りなさい、そうすべきものだから、と諭された。その通りだろうと思う。私は、父のこどもで、母の娘で、妹の姉だ。
妹は今日は家に居るだろうか。また、新しい彼氏ができて、家を出て行っているだろうか。できれば家に居てほしいなと思った。この黒い服を脱いで、黒いストッキングも、下着も脱いで、土埃をシャワーで洗い流したい。骨壷をダイニングテーブルの真ん中に置いて。お風呂の湯船に、ヒノキの香りのバスソルトを溶かしたお湯に、妹と一緒に浸かりたいと思った。
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