#35 「遥か、羽ばたいた先に」
「お疲れ様、遥」
「ひゃっ!?」
頬に当たる冷たい感触。悲鳴を上げつつ、遥は振り向いた。
「飲み物、買ってきてあげただけだよ。はい、オレンジとグレープどっちがいい?」
そこには二本の缶を手に、遥の反応ゆえか唇をとがらせた透羽がいた。
「……じゃあ、オレンジで」
「はい、文化祭特別料金で三百円ね」
「ん、ありがと。財布今、カバンの中で……ちょっと待ってて」
「冗談、わたしの奢りだよ。演劇、いっぱい手伝って貰ったから。むしろ、これじゃ足りないぐらいだし」
軽く礼をして、栓を開ける。
とはいえども、最後の方はほとんど演劇に携わっていない。
ほんの少し罪悪感を感じつつ、遥は缶に口を付けた。
文化祭一日目。ゲリラライブは予想外な盛況でもって受け入れられ、”魔法少女・真白遥”は最早陰で噂されるものではなくなった。大々的にやったのが功を奏したのだ。
感想も全て真正面から。それに皆が文化祭のイベントとしてコスプレを認識している──そう考えると、随分と気は楽だ。
そして、今日は文化祭二日目、最後のイベント・後夜祭の真っ只中だった。
保護者主導の出店が立ち並び、薄暗くなった周囲を照らす。体育館からは絶え間なく歓声が聞こえてくる。今頃は軽音部なりがライブをしているのだろうか。
そんな中で人気が薄くなった校舎裏のベンチに腰掛けて休んでいた遥のもとに透羽が来た、というわけである。
「……それにしても、さ。その……ごめん。写真のこと。遥とか、他の人にもいっぱい迷惑かけて……謝るだけじゃ、足りないかもしれないけど……」
殊勝な態度で透羽が謝罪の言葉を口にする。
もしかしたら、これが目的でわざわざ後夜祭から抜け出してこんなところまで来たのかもしれない。
だとしても、遥の答えは決まっていた。
「……もう大丈夫だって、昨日も言ったじゃん。今回は何とかなったんだから、謝るのはこれが最後でいいよ」
実際、演劇の尺を縮めてまでゲリラライブをねじ込んでくれたのだ。
その辺りの調整をしたのは透羽だ。当日も音響調整の指示をしていたらしい。だから、観客席にいたのだという。それなら一応は帳消しというものだ。
結果的には写真の件も有耶無耶になったのだから。
もちろん、協力してくれた杏や衿華、紗にマキ。皆には感謝してもしきれないが。
「……そっか、わかった。……あ、それとね、遥。わたしがここに来たのはもう一つ、伝えたいことがあったから、なんだ」
弾みをつけてベンチから降りると、透羽は真っ直ぐに遥を見据えた。
「色々と手伝ってもらって悪いんだけどさ……わたし、生徒会長は目指さないことにする」
その言葉は、意外なものだった。
何せ、透羽が今回演劇をやったのは、生徒会長を目指すための活動の一貫なのだから。
それに、演劇の評判は相当に良かったと聞く。それなら、十分に目指せる立場にあるというのに。
「……どうして? ずっと目指してたんでしょ?」
「なんか、ちょっと違うかもって。わたし、気付かされたんだよ? 昨日の遥に、さ」
突き立てられた人差し指が遥を指す。
微笑んで見せると、透羽は口にした。
「”魔法少女が大好きだ”って。昨日、ステージの上で頑張る遥を見てさ、応援したくなった。”好き”を──肯定したくなった。つい、叫んじゃうぐらいにね?」
ほんの少し、透羽が頬を赤らめる。
昨日、思わず俯いた遥に向けられた
「それでね、思ったんだ。わたしも、こうやって叫べるぐらい、そうまでして守りたくなるぐらいの”好き”が欲しいって──そう考えたら、時間がいくらあっても足りないなって思って」
その横顔は、どこか晴々としていた。
定例会で演劇をやりたいと、衿華の前で演説をしてみせた日。
その時のような強い口調でなければ、言葉も間延びしていて、表情だって緩んだものだ。
そんな妙にマイペースそうなところ。思い返してもみれば、透羽がそんな少女だったことを遥はまだ覚えている。
これからきっと”好き”を辿っていって、そんな自分を見つけていくのだろう。
それなら、時間はあるに越したことはない。
「……変わらなきゃって焦り、もうわたしにはいらない。まずは”変わらないわたし”を好きになるところから始めようと思う。”魔法少女”が好きだって言ったのも、間違いなくわたしだしね」
昔の透羽が、初めて”好き”になったのだという”魔法少女”。
たとえ幼かったころの話でも、その頃の遥と透羽が”好き”を分かち合っていたことには違いないのだ。
「そっか。幼馴染として、透羽のこと、応援してるから」
それなら、応援し返そう。
差し出した手、握手をする。こうやって透羽の手に触れるのもきっと、数年ぶりだ。
互いに変わっていっても、この関係性はきっと、変わらないのだろうから。
「ありがとね、遥。これでわたしもやっと、進める気がする」
そろそろ代わらなきゃいけないから、と。
最後に笑いかけると、透羽は走ってその場を離れていった。
やがて、その背中が人混みに吸い込まれていくまで見送って、遥は軽く伸びをした。
そろそろ戻るべきか、立ち上がろうとした時だった。
「こんばんは、遥くん」
それを引き止めるように、声がした。
透羽が代わると言ったのは仕事のことかと思っていたけれど、違うらしい。
ついさっきまで透羽が立っていた場所。今度はそこに、衿華がいた。
◇ ◇ ◇
「少し、お願いがあって。この衣装、返しておいていただけませんか?」
隣に腰掛けた衿華から渡された紙袋。
それを開くと、ウィッグと”魔法少女”衣装が入っていた。
これを返す、ということは”ノワール”との別れを意味する。文字通り、昨日が最後になってしまったということだ。
「お手数をおかけしますが、これから忙しくなってしまうもので。《ヴィエルジュ》に行くタイミングが掴めないのです」
そんな風に少しばかりの仏頂面で、衿華は言う。
口調もどこかおかたい。そういう時はかえって衿華が強がっている時だ。
その声音、芯が震えていることに遥は気が付いた。
「……これで正真正銘”魔法少女・ヴィエルジュノワール”とはお別れ、ということですか」
衿華の視線が一瞬、遥の方を向いた。
案の定というべきか、どうやらかなり気にしていたようだ。
「……みなまで言わないでください。私もまだ、諦めきれてないのですから」
《ヴィエルジュ》から発った時の衿華は、もう満足したのだと言っていた。
だからこそ、今度は受験に──母に向き合わなければならないのだ、と。
それは間違いなく、彼女にとっての決意で……それでも、楽しかった時間を完全に手放せるのかというのは、また別の話だ。
頬を膨らませて、すねたように衿華はそっぽを向く。
そんな彼女に残った少しばかり幼いところ。知っていくたびにどこか頬が緩んでいく。
衿華のことを知るのも、衿華に知ってもらえるのも、どちらも遥にとっては嬉しいことだ。
だからこそ、そんな衿華ともっと時間を重ねていたかった。
「それなら、また戻ってきてください。受験が終わって、お母さんとも折り合いを付けて──そうしたら、また”魔法少女”として、一緒に──”好き”を分かち合いましょう」
一瞬、驚いたかのように衿華の瞳が見開かれた。
もう一度。たとえ高校を卒業したとしても、それからまた青春を始め直せばいい。
取り落としたものだってまた拾えること。紛れもなくそれを教えてくれたのは衿華なのだから。
「……わかりました。どれぐらい掛かるかは保証できませんが、必ずまた戻ると誓いましょう」
「……約束、ですから」
結ばれた小指と小指。
それを揺らしながら、衿華は微笑んでみせた。
その華やぐような笑顔を湛えてみせた。
「──知ってますか? ”魔法少女”は、子供との約束を絶対に破らないものなのです」
「……子供って……僕、そんな小さくないんですけど……」
背丈に自信は無くても、流石にそこまでとは思いたくない。
そういうことじゃなくて、と。衿華はくすくすと笑いながら、首を振った。
「まだ遥くんは十七、私は十八ですから。わたしは一足先に大人なのです」
《ヴィエルジュ》では先輩呼ばわりされているから忘れそうになるけれど、本来なら衿華が先輩なのだ。
楽しげに先輩風を吹かしながらも、衿華は小指を離そうとしない。
「それに──遥くんが信じてくれるのなら、わたしは先輩として。その信頼を絶対に裏切れませんから」
昨日とはまた逆だ。今度は遥が信じて待ち続ける番。
待つ方、というのはどうにも心細くて不安だけれど、それでも、衿華なら信じられる。
「もちろん……必ず戻ってくるって、信じてます」
返事を。遥が頷いたのを確認すると、衿華は最後にもう一度小指を固く結んで。解くと、今度は手を握った。
「ええ。約束は守ります。ただ、今は遥くんとこの時間を過ごしたい」
初めて《ヴィエルジュ》で出会った時、触れた手。それに手を引かれて、ベンチから立ち上がる。
過ごしてきた日々はワケアリで。正体を隠したり、トラブルに巻き込まれたり、《総選挙》で戦ったり──思い返せば、楽しい時間だった。
そして、それは一度途切れたとしても、決して終わるわけじゃない。
「──だから、付き合ってくださいっ」
先のことを考えるのは後でいい。
だからこそ──今は、目の前のこの楽しい時間を目一杯楽しむのだ。
「──はい」
"いま”の過ごし方。
それこそが、衿華と出会って知ることができたことだから。
まだ後夜祭は終わらない。
軒を連ね明かりを灯す出店、その喧騒に向かって。
遥と衿華。
二人して、駆け出した。
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