#29 「魔法少女は歩み出す」

立ち止まった。


立ち止まって、一度呼吸を整えた。

取り込んだ変化が胸を満たす。強張っていた足は、いつの間にやら動くようになっていた。


……いや、いつの間にやらとは形容しまい。

間違いなくの──皆のおかげだ。

皆に取り囲まれて過ごした時間が、満たしてくれているおかげだ。


それなら──きっと、もう。


黒咲衿華は、歩き出さなければならないのだろう。



◆ ◆ ◆



「……あのっ」


後ろから呼び止められて、遥は立ち止まった。

リハーサルの帰り、二人連れ立った帰り道。

ほんの僅かに後ろを歩いていた衿華は、再び遥の袖を掴んで、何事かを口にしようとしていた。


「──私、どうしても遥くん……いえ。ブランに、伝えなければならないことがあるのです」


その表情は、捉えきれない。

というよりも、捉えたくなかった。声音からおおよそ衿華がどんな顔をしているのか検討はついたから、遥は振り向かなかった。


ただ、俯くようにして頷くのみ。

急に腕が自由になる、衿華が手を話したのだ。


「……わかりました。ただ、立ち話もなんですし……場所を変えませんか?」

「そ、そうですね。……ごめんなさい。少々、気が急いてしまっていました」


ただ、先延ばしにしたかっただけだ。


──だから、ずっと、楽しくて。だから、が続けばいい。


《総選挙・予選》の時も、夏合宿の時も、線香花火の時も。

そんな、どこか寂しげな声音で衿華はいつも一歩引いたまま呟いていた。


だからこそ、その理由わけを知るのが怖かった。

居心地の良い場所から──今の”分かち合う場所”から。一歩、外に出てしまうような気がしたから。



「……《総選挙・決勝》。確か、一週間後でしたよね」



夕暮れの公園にはすっかり人がおらず、ベンチを二人占めできた。

そんな中で、やっと口を開いたかと思えば、衿華の口から漏れたのは、全く関係のない話題。

しかも、自分から確かめるような言葉選びをしたというのに、衿華の口からは正しい日付が漏れた。

衿華自身もただ先延ばしにしようとしているだけなのだろう。


「……ええ。その日程で合ってます」


そのために、上辺をなぞっているだけだ。


夏とは言えども、もう七時を過ぎようとしている。

地平線近く、すぐ近くの一軒家の屋根辺りまで沈んでいた日は、視界から消える寸前に一際強い光を放った。


振りまかれた橙色が視界を染め上げ、強すぎる光が互いの表情に影を落とす。

だけれど、そんな夕暮れは僅かにしか保たない。


「先に言っておきます、先輩。あなたと──皆さんと《ヴィエルジュ》で過ごした時間は、私の今までの中で、最良の時間でした」


完全に日が暮れた。

街灯が光を灯し、薄暗いながらもようやく互いの表情が捉えられるようになった中で、衿華は言葉を紡ぐ。

遥を捉える瞳は揺れたまま、その唇はわななく。

何か、それ以上の意味合いを含ませながら。


「もう、後悔しないぐらいに思い出が作れました。……だからこそ、受験のために──もう母に迷惑をかけないために。《総選挙・決勝》当日を持って──」


ちかちかと、灯が瞬いた。

衿華の言葉が僅かに途切れた。

ひゅっと呼気が抜ける。触れた肩が小刻みに震えている。胸に手を当てている。

そんな様子だけでも、衿華の緊張は伝わってくる。


だけれど、彼女は言い切った。



「私は、一身上の都合で《ヴィエルジュ》を辞めさせていただきます」



なぜ、衿華があそこまで”いま”を惜しんでいたのか、《総選挙》や夏合宿の時に寂しげな表情をしていたのか──。

彼女がいなくなってしまうのでは、という予感は遥自身にもあったものだった。

考えてもみれば、全く予想外の言葉ではない。


──好きなように、やって欲しい。


それは、何も”魔法少女”でい続けろと衿華を縛る言葉ではなかった。

夏合宿の数日間じゃない。これはもっと長くて、彼女の人生設計に根本から響く問題だ。


それでも、衿華と一緒に”魔法少女”をしていたい、と。

離れていく彼女を引き止めたい。引き止めたい、けれど。


「……マキさんたちには……?」

「……もう、伝えてあります。ただ、一番お世話になったあなたには、どうしても伝えるのに気が引けてしまって……ごめんなさい」


それならば、もっと前から進んでいた話で。

一朝一夕じゃない、ずっと前から衿華自身が考えて、考えて決めたことなのだろう。


そして、きっとそこに深い後悔はない。

そうならないように、やってきたのだから。

もう、後悔しないぐらいの思い出、と。それが彼女を進ませたのだろう。


引き止められるわけがない。

誰かがこうありたいと決めて。それを否定することに近しいことが遥にできるわけがない。

なぜなら、そうやって無理を通して生きてきたからだ。


「……いえ、謝ることじゃないです。……そうですね」


伝えることにか、辞めることにか、どちらにせよ、衿華は込み上げてくるものを抑えるように、唇はきゅっと結ばれていた。

僅かに張った目元には、湛えられていたものがあった。


なら、遥だってここで今感情を表に出すわけにはいかない。

そうやって、表面上取り繕うことは仕事柄得意だった。


「……じゃあ、最後に、これまでを総括しても一番だった! って。そう言えるぐらいの思い出を作らなきゃ」


僅か一週間。

タイムリミットは、はっきりと。遥の前に立ち塞がる。

それならば、やれるだけやるしかない。


せめて、遥自身にも後悔のないように。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「もう少し、手を伸ばした方が良いと思います。ステージ上ですし、身振りは大きくなきゃ。それから、声のトーンはもう少し低めでいいかもしれません」


衿華の告白から二日、衿華と遥。

示し合わせるでもなくシフトが噛み合っていたからこそ、とにかくその時間を二人は練習に当てることにした。


「……こ、こうでしょうか……!?」

「はい、そういう感じです。それじゃあ、次は──」


次に何をするべきか。

そんなことを考えながら掻いたうなじにはじっとりと汗がこびりついていた。

実演もしながら進めていたから、当然といえば当然だ。

というか、これでは衿華も相当に疲れてしまっているだろう。


「……いえ。一度休憩にしましょうか」


時間に限りがあると言われて、きっと互いに焦りすぎてしまっていた。

そういうときこそ、一服するべき。杏にもマキにもしょっちゅう注意されてきたことだ。


テーブルには、いつの間にやらまかないが置かれていた。

今日は苺パフェ。それも、普段より大きい。

マキなりに衿華へ気を使ってくれているのだろうか。


「美味しい……!」


サイズは変われども、味は変わらず。

相変わらずのマキクオリティーは健在。思わず頬が緩む。

だけれど、未だに衿華は手を付けていなかった。


「……衿華さん?」

「あ、いえ……! ただ、これを食べられるのもあと残り僅かなのかと思うと……」


そこで首を振ると、衿華はようやくスプーンを取った。


「……ごめんなさい、辛気臭かったですね」


そして、パフェを掬うと大げさに笑ってみせる。

むしろ、不自然なぐらいに。


こうやって距離感を測り合うのは、どこか虚しい。

もうすぐで最後だというのなら、むしろ、互いに気遣いなく今まで通り素でいたい。

だからこそ、口を突いて出た提案だったのだろう。


「……衿華さん。キラピュアを、見ませんか?」



◇ ◇ ◇



機器管理室にて、杏から借りたディスクを遥は差し込んだ。

ぱっと画面が明滅した直後、ロゴが大きく映し出される。


──”ラブっとプリキュア”。


「……これは、”フリューゲル”の……」


はっと思い当たったかのように、衿華が呟く。


「ええ。僕らが一番大好きな”魔法少女”です」


39話。

それは、”ピュアフリューゲル”が──お互いに憧れた”魔法少女”がようやく羽ばたいた回だった。


『フリューゲル! 地を這うことしかできぬお前では、私に手を出すこともできまい!』


フリューゲルは一対一の状態で、敵の幹部と対峙していた。

全員で戦ってもようやく互角、その上、敵は空を飛ぶ術を手に入れている。


「卑怯な……! 自分は安全圏から……!」


衿華が声を漏らしたのと同時に、フリューゲルは跳躍した。

打撃、拳を使った重い一撃。その速度は、敵からすれば些末なものだった。


『届くわけがなかろう!』


避け、むしろ一撃くれてやる。

どさりと、地に伏せるフリューゲル。アップになった彼女の瞳は──。


『……届かない、結構です』


決して、下を向いてはいなかった。


『……ただ、だからといって……』


口数少なく、クールに、優雅に。

それがフリューゲルの魅力だ。ただ、それ以上に彼女は不屈。

何度も攻撃を受け、顔に泥が付こうが、衣装が擦り切れようが、決して下は向かない。

ただ、上を向く。だからこそ──。


『私は、諦めませんっ!』


その身に、奇跡は起こる。

背にあしらわれた羽が輝き、膨れ上がって翼となる。


キラピュアが象る形は少女の理想、羽ばたくことこそが彼女の願い。

焦がれていた空へ、そして、フリューゲルは拳を振りかざす。


「……そう、でした」


ぽつりと溢した言葉。

思い出した何か、それを辿るように衿華は口にした。


「……変わるのは怖い。その過程で打ちのめされるかもしれない。それこそ、地に伏せることになるかもしれない」


けれど、そこにピュアフリューゲルがいる。

立ち止まる勇気を、落としたものを拾うためにしゃがみ込む勇気をくれた”魔法少女”がいた。


「でも──そうやって変わるのを望んだのは、憧れていたからでした」


そうだ、そもそもとして変わったのは──自分がそう望んだからで。


「変わることへの恐怖、なんて──望みが叶わないことに比べればよっぽど安い後悔で。だから、私は何も諦めたくない。青春も、受験──母との関係も」


どちらかを手放すのではなく、自分がほしいと思ったもの全てを手に入れる。

そのためなら、踏み出すのも──変化を受け入れるのだって、衿華はもう厭わない。


「……ありがとうございました、先輩。私、歩き出せそうです」

「……なら、良かったです」


遥がしたことは引き止めるのではなく、むしろキラピュアを通して衿華の背を押したことにほかならない。


「ええ。先輩が言う通り、《総選挙・決勝》まで、全力で行きますので、ご指導お願いします」

「……もちろんです。僕も……全力ですよ」


それは、お互いにとって一番後悔のないやり方だ。

そう、互いに認識している。


……だとしても。

《総選挙・決勝》が終わって、衿華がいなくなってしまって……その後は?


透羽は演劇を成功させて、衿華は踏み出して──それでも。



まだ、遥は──変わらないのだろうか。

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