#30 「惜しむほどに、抱きしめたもの」
立ち止まっていたか。
"好き”を抱いて、居心地が良い場所で温もって──そうやっている中で、少しは進めたのだろうか。
そんな歩幅で良いのか。
──遥は、変わらないね。
──私、歩け出せそうです。
皆、進んでいく。
立ち尽くしているのは自分だけだ。
ふと、目を向けた先にあったのは二つのライト。
衿華と互いに素で接した日、ぶら下げた一対の”思い出”だ。
無造作に触れたそれはクーラーのせいか、それともしばらく人肌にふれていなかったせいか、ひどく冷めていた。
衿華だって、もう覚めてしまった。
だからこそ”魔法少女”をやめようとしているのか。
脳裏によぎったそんな思考を振り払うように、引っ掴んだライトをカバンに詰める。
そうだ、これは《総選挙・決勝》の応援用に。
カバンの奥で何かに触れたのか、一瞬チカリと点滅した。
彼女は踏み出した。自分もそんな風に歩きだしたい、というのに。
変わりたい、変わりたいのに、”好き”は抱きしめていたいから、このままで。
せめぎ合う感情が、進もうとする足を縛り付ける。
それなら──いつ、どうやって。
真白遥は、踏み出せるのだろうか。
◆ ◆ ◆
「……遥先輩、一歩目のステップは飛び跳ねるように、ですね」
「ええ。ステージ上だと大仰な動きの方が……いや」
《魔法少女総選挙・決勝》当日。
お盆休みを過ぎたばかりだというのに、《ヴィエルジュ》店内は人でごった返していた。
常に来てくれるわけではなくとも、大きなイベントの時だけ来てくれる客というのは少なくない。
その上、今日はマキのはからいでステージを観るだけなら注文が必要ない。
ともすれば、人が集まるのは必然で。外では歓声が湧き上がっていた。
今は紗の番だ。彼女のパフォーマンスがどこまで進んだのか、確認するのはご法度とされているけれど、ただ一つ観客を湧かせたのだけは事実だった。
そんな中で迎えた遥と衿華の最後の会議。
二人きりのロッカールームの中で、衿華の教育係としての最後の仕事が、遥には残っていた。
「……いや、それは紗さんが──”シアン”がやっているかもしれない……」
今はパフォーマンス確認の最中。
《総選挙・予選》が終わった日から、衿華がバイトを辞めると告白してからはより熱を入れて色々な”浄化パターン”を試していたけれど、結局絞り込めたのは二パターンまでだった。
「……確か、大仰な仕草、というのは杏先輩から教えていただいたもの、でしたね」
「ええ。前回の《総選挙》の時にその方がステージ上で映えるからって。……でも、それは必ずしも全員に当てはまるわけじゃない」
一つは杏に叩き込まれた、身振り大きめ。映えることを重視した大仰なステージアピール。
「……衿華さんはどう思いますか?」
結局のところ、決めるのは衿華だ。
そして、もう一つは──そんな彼女のための、誰かに教えてもらったものではなく、二人で編み上げたもの。
「……私は、もっと控えめな動作で自己を主張するべきだと思います」
動きを抑えた代わりに洗練された、細かい動き一つ一つに注力したものだった。
「──何よりも、それをするのがきっと”ヴィエルジュノワール”だ、表面上はクールに取り繕いたい彼女のすることだ、と。私はそう思うのです」
パフォーマンスに型はない。
あくまでも、大仰な動作は杏の提案に過ぎない。
それならば、こちらはこちらで個性を──衿華に合ったやり方で行くべきだ。
「僕も賛成です、衿華さん……じゃ、ありませんか」
ドアが開き、マキが顔を覗かせる。
僅かな隙間でも、漏れた歓声が部屋を満たすには十分だった。
「二人とも、出番よ」
もう、着替えは終わった。
”らしい”アピールのやり方も決まった。
メイクも完璧、既に”変身”は終えた。
「……そうだ、これを持っていってください。その、お守り代わりに」
カツンと床を打つヒール、彼女が出ていく間際に遥はカバンから取り出したものを衿華の手に握らせた。
「……私が差し上げたものとは違う……これは?」
「僕の思い出──宝物、です」
ストラップで結ばれた二つ、その片割れ。
電池を取り替えたばかりの古ぼけたライトが、握らせた反動でチカリと光る。
「……そう、ですか。それなら心強い、恐るるに足らずですね」
最後に一度遥の方へ微笑みかけて、そして、衿華はドアの外へと視線を向けた。
表情が捉えられなくとも十分だ。
その佇まい、背姿からでも、今の彼女が何者かは伝わってくるのだから。
彼女が言う通り、恐れるに足らず、後は行けば良い。
「行ってらっしゃい。──”ヴィエルジュノワール”」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「──私は、過ちを犯しました」
灯るバックライト、光に塗りつぶされて落とした影の中、スピーカーを通して声が響く。
その瞬間に止む歓声──始まる。
今回は《総選挙・予選》の時とは違う。
遥は観客側、そして衿華は一人でステージに。
だけれど、胸は張ったまま。通った声は音割れすることもなければ、震えすら孕んでいない。
「けれど、手を取り、私もまた、手を差し伸べられた。だからこそ──今、ここに立っているのです」
ステッキを右手に握ったまま、だけれど、衿華のシルエットは微動だにしない。
静、そして動へ。
一切の無駄すら無く、僅かな所作でステッキが構えられる。
以前、遥が杏から教わったのは真逆、多分、彼女ならばここでステッキを一回転させるなり、飛び跳ねるなりしていたはずだ。
それでも、ノワールは違う。
クールで、優雅で、冷静沈着に。それが彼女で、その憧れたる”フリューゲル”なのだから。
消えたバックライト。絞られた証明の中でスポットライトが灯され、展開されていく魔法陣。
キーン、とスピーカーが空気を震わす。
来る、と。そんな確信がよぎった瞬間だった。
全ての光が落ちた。
絞られていた観客席側の照明も、ステージ上の照明も、振り向いてみればロッカールームも然り。
《ヴィエルジュ》中の全ての照明が絶たれて、プツンとスピーカーの音も途切れた。
演出だと思ったのか、まだ観客側は多少ざわめく程度だ。
それでも──遥は知っていた。
こんなもの、プランにはなかったということを。
「マキさ──」
こんな時、彼女なら。頼れる大人なら。
──何とか、してくれる。
そんな確信は一瞬で打ち砕かれた。
隣を見た時、そこには見知らぬ観客の影が浮かんでいるのみだった。
そうだ、そもそもマキが機器周りを制御しているのだ。
この場にいるはずもない、むしろ彼女が必死でことに当たっているはず──。
ならば、機転に優れた頼れる先輩は……?
「……なっ」
いない。
杏と紗は控え室に戻った。その上、演出プランを知らない彼女はまだトラブルが起きていることに気がついていないだろう。というか、気づいたところで──。
「なあ、長くね?」
「それ、流石にそろそろキツくなってきたよな」
もう、間に合わない。
観客も気づき始めている、これが”魔法”を覚ましてしまうトラブルだということに。
それならば、解決すべきは先輩の役目だ。
今は遥しかいないのだ。
駆け出そうとした瞬間に、ヒールが足を締め付けてつんのめる。
「ごめんなさい、通してくださいっ」
一人で飛び込んでいく分には、あまりにも強大な人混みだ。
揉まれ、押され、前進しているのか、自分の足がしっかりと床を踏んでいるのかすらわからなくて。
それでも、手を伸ばした。
ポーチに触れたものを、人混みをかぎ分け前へ。
手を──差し伸べるために。
カチ、と僅かな手応えのみが伝わってきた。
ポーチに入れていたライトは、あまりにもか細い光しか灯さなくて、人混みの中からでは光っているのかもわからなかった。
そうしている内にも、痺れた指先からは感覚が次第に失われていく。
ボタンを押せているのか、そもそも握りしめているのか、落としていないか、人と人との中でもみくちゃにされて、思考までもが途切れかけた時だった。
「──黒夜よ、闇をもって光と為せ」
凛と澄んだ声が響き渡った。その瞬間に、ざわめきが止んだ。
光が灯った。ステージ上で──衿華の手の中で。
それは、灯火だった。
暗闇に塗りつぶされた世界を照らす一筋の光、一滴の魔法。
遥が差し伸べたサインが届いたのか、先ほど手渡したライトを衿華は光らせていた。
例え、僅かな光でも問題外だ。
小さな灯だろうとかすれないほどに、衿華の所作は繊細で、優雅。
そして、最後に照らすべくは一つだった。
「──”ノワール・ノクターン”」
その、笑顔を。
ライトが照らす──華やぐような、笑顔を。
最初に見たときからずっと、遥にとってそれは”魔法”だった。
屈託のない”好き”が宿った表情は、どんなにか細くなった熱にだって火を灯す。
どんなにか細い光だろうと関係がない、彼女にかかれば膨れ上がるのだ。
残響が鼓膜を揺らす中、不意に灯った。
トラブルが解決できたのか、戻ったスポットライトの中で、彼女は胸を張って笑っていた。
もう、仏頂面を浮かべていた時とは違う。
初めての給仕に失敗して俯いていた時とは違う。
《総選挙・予選》を前にして、遠慮がちにしていた時とは違う。
歌を外して落ち込んでいた時とは違う。
衿華は身をかがめ、取り落としたものを拾い上げた。
変わったのだ、”変身”したのだ。
一人だろうと自信に満ちた”ヴィエルジュノワール”がそこに立っていた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「《魔法少女総選挙・夏の陣》優勝、おめでとうっ!」
カン、カン、と。澄んだ音を立てる乾杯と共に、ティーカップに注がれたジュースが波打つ。
ロッカールームで打ち上げをするのも二度目だ。
だけれど、今日称賛されるべくは以前と違って、一人に──。
「おめでとう──”ヴィエルジュノワール”っ!」
優勝した衿華に、全てが向けられていた。
「……悔しいのは確か……ですけど、それでも、私のライバルとして、そうあっていただかなくては張り合いがありませんから……だから、その、つまり……」
杏の乾杯の音頭に続いて、しどろもどろになりながら紗が口にする。
「……おめでとう、ございます。衿華さん。称賛させて、いただきますわ」
散々回り道した上で、結局は素直に。
だけれど、それはそれで紗が変わった証でもあるのだ。以前よりも素直な彼女へと前進したのだ。
「……ありがとうございます、紗さん。それでも、結局は僅差でしたから。あなたもまた、健闘したのでしょう?」
「……そ、それほどでも……あります……けど……」
一悶着あった二人だったけれど、それももう過去の話だ。
互いを讃え、握手を交わす。それは美しい友情だった。二人とも、耳まで顔が真っ赤になっていたことも含めて。
「へぇ……じゃあ、今日のモデルはフリューゲルだったんだ……」
「ええ。私の一番好きな”魔法少女”ですから。それに、その……遥先輩が、直前に見せてくれたので……ラブっと39話を……」
「……へぇ。やるじゃん、遥くん! 本っ当に、今日頑張った紗ちゃんも、優勝した衿華ちゃんも……みんな自慢の後輩だよ──っ!」
カラオケでも、上映会でも、馬鹿騒ぎしているのはそれはそれで楽しい。
だけれど、今日に限ってはむしろただただ話していたかった。
お茶を囲んで言葉を交わし、”好き”を分かち合う。
「わかりますか? 紗さん。つまるところ、”フリューゲル”の良さはその優雅さに──」
「ですから、優雅さでは”ヴィクトリア”だって負けてはいません。無論、クール系とはまた違いますが……」
ちょっとした口論じみたところで、その裏にあるのは互いの”好き”であることが、ここの共通理解なのだから。
”好き”を抱きしめていること──それが、必須要項なのだから。
「──それじゃあ、名残惜しいけど……衿華ちゃんを一旦見送るために、あたしたちから用意してきたプレゼントがあるの。一人一人、手渡そっか」
夜も更けてきて、紗が一つ欠伸をした。
それを合図にして、杏が口にした。
事前に衿華はバイトを辞めることを皆に伝えていたらしい。
杏は巨大な紙袋を、それとは正反対に紗が小さな包みを取り出す。
「……その、お手数をおかけして申し訳ありませんが……。でも、それでも……嬉しい、です」
遠慮がちな口調は衿華の癖だ。
だけれど、受け取ったプレゼントを前に、彼女が溢した笑みは、何よりもその気持ちを物語っていた。
「杏先輩が”DASH!”ブルーレイ全巻、私がアクセサリー、遥さんに至っては、フリューゲルの変身アイテムを……こうしてみると、皆違いますわね」
紗が漏らした感想はもっともだ。
皆が贈ったものは、サイズも値段も、ジャンルもまちまち。
それでも──。
「ブレてる、ブレてるけどさ。あたしはピンクで紗ちゃんは青、遥くんが白で衿華ちゃんが黒。きっと、それぞれに”色”があるんだよ」
杏が口にしたこと、それが全てだった。
今までだって意見は食い違ってきた。
どんな”魔法少女”か、方向性だって違えば、好きな”魔法少女”だってバラバラだ。
「だから、楽しい。それが──”魔法少女”なのっ!」
だけれど、それが”魔法少女”だ。
だからこそ、はぐれた先でも皆一様にここへたどり着いたのだ。
「……っ」
その時、僅かな吐息が漏れた。
ぽつり、と。包み紙に雫が滲んだ。
「……すみません、私、涙もろくて」
決壊したようにではなく、ただ自然に。
衿華の頬を涙が伝っていた。
「でも、それを無理に抑える必要もないと思います」
取り出されたハンカチ。
すぐにそれを拭おうとした彼女を止めたのは、遥だった。
「ここでは取り繕わなくたって良いんですから」
それは、後悔から来るものではない。
そこにあったのは泣き顔じゃない。
ならばきっと、それで良い。
「……確かに、遥先輩の言う通りかもしれません。これは、ここで過ごした証で。ここでしか、晒せないものですから」
もう、全て拾い上げた。
目尻を満たす涙とは対象的なその表情が、全てを物語っていた。
「──いま、堪らなく惜しいんですもの」
散々惜しんで、泣き出したくなるほど大切なもの。
それを抱いて、また歩き出せること。
惜しむ気持ちと、寂しさと。
それから、もう一つ。
彼女の喜びが──笑顔が、そこには湛えられていたのだから。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……遥先輩、最後までフォローしてくださって、ありがとうございました」
ガタン、と電車が揺れる。
帰り道、衿華は制服で。遥もまた制服だったから。
”魔法少女”として晒される心配なく、二人して帰路についていた。
「……いえ。僕も最後に先輩らしいことができて嬉しかったので、大丈夫です」
「……最後に、だなんて。一度きりではなくて、ずっとでした」
ぎゅっと、隣り合った手を衿華が握りしめた。
「ずっと、ずっと、ありがとうございました。叶うならば、いつか恩返しをさせてください」
混ざり合う互いの熱。
「──あなたがいたから、私の日々は彩られたのです」
これ以上無いぐらい間近で、衿華は微笑んでみせた。
だけれど、それは一瞬で。
停まった電車、立ち上がった衿華、熱は一瞬で離れていく。
開いたドアの前に、衿華は立つ。
「さようなら。──”ヴィエルジュノワール”」
きっと、次に会う時は先輩ではなく、衿華の後輩として生徒会室で顔を突き合わせることになるのだろう。そして、彼女は生徒会長。
だからこそ、その名前で呼ぶのはきっと、今日が最後だ。
それでも、最後ではありつつ。それは一つの証でもあった。
衿華が一歩踏み出した、と。
「……ええ。行ってきます。──ブラン先輩」
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