#28 「魔法使いに望んでも」

「……でさ、遥は何書いたの?」


昼前の生徒会室は、既に陽が天高く昇っていても冷房のおかげか程よく冷えていた。

そんな中で、二人きり。

机の向こう側から身を乗り出すと、透羽はそんなことを聞いてきた。


「……そもそも僕は透羽の進路調査表を書くのに協力しに来たわけじゃないんだけど」


口を尖らせて、遥は返事をする。

というのも、演劇のリハーサルで透羽に呼びつけられていたというのに、肝心の協力者は誰もいないかと思えば、彼女から持ちかけられたのは数日前に配られた進路調査票について。

何だかんだで透羽と一緒に演劇の担当に任ぜられていただけに、気合を入れて早くに来たのが仇となってしまった。


「……ごめんね? でも、まだ時間じゃないから──その、参考程度に聞きたくて」

「普通に大学進学だよ。……別に、ほとんどそんなものなんじゃないかな」


返答は至ってシンプルに。当たり障りのないものを遥は口にした。

実際、それが無難だし、遥自身もそうした。


「……そう、かもしれないんだけどさ」


けれど、透羽は納得していないようにおずおずと口にした。


「もっと、こう……将来のこととか、自分の好きなこと、とか……ちゃんと決めておかなきゃダメなのかなって思って……遥は、好きなものとかないの?」


それができればどんなに良かったか。

実際にそんなところまで書けるわけがなかった。

将来の事以前に、遥にとっては”好き”を口にすることすらままならないのだから。

それに、何になりたいか、とか。そんな像は未だ曖昧で。だから、今は大学の四年間に委ねてしまうことにしていたのだ。


「……別に。今は無いよ。それに、色々決めるのはもっと後でも良いんじゃないかな」


上辺だけ、取り繕うように口にする。


「……そっか、そうなんだ。相変わらず、遥は変わらないね」


ふと、そんな言葉が耳を突いた。

今日、この時だって透羽は真剣に将来に向き合い、また何か変えようとしている。

それなのに、遥自身は立ち上がることすらしていない。

まだ、そちらを向いてすらいない。


「……どうしたんだよ、急に」


辛うじて発せた言葉は、誤魔化すように放ったそれだけだった。


「……単に遥がちょっとずぼらだってこと。昔からそうだったじゃない、宿題とか出るといっつもやるの遅くて、たまーに提出期限逃しちゃったりとかしてたし」

「……そんなこともあったっけ」


全く、幼馴染というのは本当に厄介だ。

長い事一緒にいるからこそ、相手は昔の自分を知っているのだから。

それだけに、変わらないかって、逐一確かめられる立場にあるのだから。


深く知り、変わるほどに。

むしろ、で塗り固められた表面をなぞることしかできなくなっていた。

そうやって互いを比べられる唯一の立場にあることに、恐れを抱いてしまったから。


だんまりになって、静寂が部屋を包んで。

クーラーが風を送り込む音しかしない中、不意にドアが開いた。



「……おや、二人とも仕事、ですか?」



資料の束を抱えた衿華が、ちょうど部屋に入ってくるところだった。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……衿華さん。お仕事、大丈夫だったんですか?」

「ええ。持ち帰ってからでも処理できるものですし。それに、出し物の確認も”立派な生徒会長の仕事”、ですから」


そう口にして、若干の茶目っ気とともに衿華は微笑んでみせた。

遥くん、と呼んでくる彼女はやはりヴィエルジュと使い分けているらしい。

実際、お互いに正体を明かしてから学校で会うのはこれが初めてだったけれど。

思いの外──というより、割と近頃はそうだったが──衿華の物腰は随分と柔らかくなっていた。


「これを、あなたと透羽さんがやったのですか?」


衿華が舞台を前にして歓声を漏らす。

まだ制作途中のものもあるけれど、早い段階で素材を集めたおかげで、セットは随分と出来上がってきていた。


「手伝ってくれた人、たくさんいましたから。それに──」


遥が見やった舞台上では、リハーサルを前にして、透羽が協力者や演者たちに指示を飛ばしている。


「透羽……彩芽さんが頑張ってくれてますから」


以前のダンボール集めの一件から、目に見えて彼女は精力的になった。

そのおかげで進捗は悪くない。


「各自スタンバイお願いします──っ!」


スピーカーからそんな声が漏れ、一度幕が閉じられる。

直後、しゅたっとばかりに舞台脇の階段から降りてきた透羽が駆け寄ってきた。


「……遥、セットとか変なところなかった?」

「うん、その辺りは大丈夫そう」

「……了解、ありがとう。……衿華先輩、いかがですか?」


わざわざ透羽がこちらに来たのは、遥に確認を取りたかったからではないのだろう。

衿華に──つまるところ、生徒会のトップに、これで生徒会の看板を背負って大丈夫か、とお伺いを立てに来たのだ。


「私はさほど舞台には詳しくないので素人目ではありますが、セットについては特に問題はない──むしろ、良い出来だと思いますよ」

「そう言ってもらえて心強い、ですっ」


優しげな口調の衿華とは対照的に、透羽は緊張しているのか噛み気味だ。



「それじゃあ、始めてください──っ!」



そのまま、リハーサル開始の合図へ。

キーン、と。僅かに漏れたハウリング音が体育館に響き、そして、幕が開かれる。



◇ ◇ ◇



──演目は『シンデレラ』。


変化球を投げるわけでもなく、正面から勝負する。

ありきたりで、それでも有名だからこそ手抜きができない題材だ。


『私だって、舞踏会に行きたいのに』


そんな風に舞台上で泣いてみせた少女を救うのは、動物たちと魔法使い。

みるみる内に彼女の姿は変わっていき、待ってくれるのはカボチャの馬車。


一瞬の変化のために必要な小道具やらセットやらは多かったけれど、透羽はここに拘りたいと、数多の素材と時間を捧げた。苦心の末にできあがったワンシーンだ。

それを前に、ほう、と衿華が息を漏らす。素直に感心してくれたらしい。



「終わりでーす──っ!」



透羽の号令によって、するすると幕が降りてくる。

一筋の光も漏れないぐらい、ピタリとそれが閉じた瞬間に。


「良い演し物でした」


パチパチと、衿華は拍手をした。


「……ありがとうございます。頑張った甲斐がありました」

「ええ、よく頑張りました。あとは……そうですね。本番では、これ以上のクオリティーを期待していると言っておきましょう」


衿華が一切の指摘を口にしなかった。

それは、彼女にとってすれば最大の褒め言葉だ。

それだけ出来が良かったのか、それとも、衿華自身が変わったのか──。

両方かもしれない、なんて。遥の口元に笑みが滲んだ。


「……それにしても、透羽さん自身は演技をしないのですか? 自分で選んだ題材なら、思い入れの強いキャラクターもいるのでしょう?」


そんな、衿華にとっては褒め言葉のついでに世間話でもするつもりだったのだろう。

だけれど、途端に透羽は黙り込んでしまった。


「……あ、いえ。わたしに演技はできないっていうか……そういうの、苦手ですし。むしろ、見ている方が好きというか……」


静寂ののち、返ってきたのはなんとも歯切れの悪い解答だった。


「……あとは、軽い演者との確認だけなので。衿華先輩に見ていただくものは、もうありません」


話を強引に逸らすように透羽は口にする。


「それに、遥も。今日はもう大丈夫だから」


確かに統括は彼女だ。

それに遥も自分の持ち分に関しては仕事を終えている。


帰って、と。暗に透羽はそう口にしていた。

だからこそ、ここにいる意味もない。


「……それなら、お暇させていただきましょうか」


一緒に来て欲しい、とでも言うように衿華はちょいちょいと学ランの袖を引く。

彼女に連れられるようにして、遥はその場をあとにした。



◇ ◇ ◇



「一緒にいかがですか? 遥くん」

「……それは、どういう意味ですか」


ぽつりと、衿華が溢した言葉。

それに対して遥が真っ先に口にしたのは疑問だった。


「……つまるところ、その……一緒に帰りたい、ということです。……今日はバイトだってありますし……っ」


未だ袖は掴んだまま、視線は泳いでいる。

明らかに彼女が緊張しているのは明らかだった。

とはいえども、まだ夏休み、部活動の生徒も大半が帰宅しており、あまり誰かに見つかる可能性もない。彼女が何に対してそこまで反応しているのかはわからないけれど、多分、案ずるべきことではないだろう。


「……わかりました」


衿華と並んで学校から出る。

そんな経験は一度もなかった。

どこかこそばゆくて、手のひらをぎゅっと握ってしまう。


「……そういえば《総選挙・決勝》、もうすぐですね」


初めて一緒に下校しているというのに、勝るのは気まずさだ。

だからこそ、遥にとっては誤魔化すために口にした話題で。


「……衿華、さん?」


だというのに、衿華は立ち止まった。

それに気づくまでの間で、数歩分の距離ができる。


「……あ、すみません。少し考え事をしていて……そう、でしたね。今日あたり対策を講じねば。せっかく、ここまで遥くんが連れてきてくれたのですから」


三歩、二歩。

駆け足気味に寄ってくる衿華はそんな差をすぐに詰めてしまう。


だけれど、今度は僅かに彼女が前に出た。

一度互いに歩調が乱れたら、中々並ばない。


行く手には、長く長く。カーブミラーが影を落としていた。


慌てて遥が踏み出した一歩も、どこか乱れていて。

互いに数歩の間、歩調は合わないままだった。



◆ ◆ ◆



──ヴィエルジュブラン。


純白の髪に、漆黒のロリータ。

透羽が見つめる先、画面の中では、ガラス越しにが給仕をしている。

つい撮ってしまった一枚の写真。

《魔法少女・コンセプトカフェ》でバイトする幼馴染。つい先程までそこにいた遥の、全く違う姿がそこにはあった。


「……はぁ」


──そういえば、遥は魔法少女とか、好きなの?


──遥は、好きなものとかないの?


何度も彼に聞いてみた。

発破をかけてみるわけではないけれど、この姿は何なのかって。

答えてくれるわけもないのにしてしまった軽い確認みたいなものだ。


──透羽さん自身は演技をしないのですか?


誤魔化して、忘れようとしていた質問が透羽の脳裏をよぎる。

苦手だとか、そんな言葉で誤魔化したけれど。

結局は、怖いだけだ。


自分が、自分以外の何かを演じるなんて、上書きされるみたいで。気味が悪かっただけだ。

だというのに、透羽自身は演劇を望んだ。


それは、憧れに近いものだったのかもしれない。

自分には出来ない、ことを肯定できる人々が、そこに集まっていたからかも知れない。


そういった意味で『シンデレラ』は最たるものだ。

あんな一瞬の内に目まぐるしく物事が移り変わったというのに、気丈に、自分の夢に対して貪欲なのだから。


多分、魔法使いの提案には首を振る。

それ以前に、変化を受け入れられる強い心でも縫い上げて胸に収めてくれたらいい。

透羽ならそう思ってしまう。


進路希望調査票はまだ白紙。

どう自分が変わっていくのか検討もつかない中で。


きっと、この写真の遥はそういったものを見つけている。

さらけ出すことはできなくとも、自分が変わることを受け入れている。


「……ほんと、全然違うなあ」


歩調は乱れたままでも、多分、彼は先に進んでいる。

だから、頑張らなきゃと。必要以上にかもしれないけれど、俄然力は入った。


まずは演劇のクオリティーを上げる。衿華のお眼鏡に叶って、そして、自分でもやりきった、と。

そんな成果を挙げられれば、胸中で燻るものにだって何かしら変化はあるだろう。


「彩芽さん、ここ確認いい?」

「あ、うん! 今行くっ」


期待が僅かに芽を出したからか。

それとも、考え事をしている時に急に呼ばれて慌ててしまったからか。


とにかくこの時の透羽は、不注意だった。



──スマホの画面をにして、置いていってしまうぐらいには。

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