#27 「”魔法少女”と”魔法少女”」
「……”DASH!”の映画出演はこの作品で一区切りなんでしたっけ」
「ええ。だからこそ──どうしても、観たかったのです」
孕んだ熱気、暗闇に包まれた機器管理室。その中でぼうっと光るブラウン管テレビ。
短く、それだけ答えると、衿華はすぐに視線をモニターに戻す。
手の中で、衿華に握らされたライトが転がる。
『ゆっくり、話をしましょう。まだ夜は長いですし』
そんな遥の提案によって、まずは衿華が見たがっていた劇場版キラピュアを見ることに相成った。
自分のことを話す。そのために必要な決心は、きっとすぐにつくものじゃない。
だからこそ、そのタイミングを待つしか無いのだ。
そんな隙間を埋めるための映画だった。
「杏先輩から借りたもの、ですか?」
「……いえ。私が、私自身の給料で買ったもの、です」
私自身の、と。
そこに強い含みを持たせて衿華は言い切った。
「そういえば、給料のことなんてあまり考えたことがなかったかもしれません」
「私もです。”魔法少女”、できているだけで十分でしたから」
遥と衿華。二人でアルバイトしてきた理由は、終始”魔法少女”であることにあった気がする。
それでも、給料は努力が結実したものだ。如何に人に好かれる魔法少女になるか──理想を追い求めた先のご褒美のようなものなのだから。
「それでも、この映画を観られることだって、それはそれで嬉しいものです」
だからこそ、積み重ねた時間に。
それが生み出した成果に、浸っていたかった。
「そう、ですね」
夜は更けていく。
序盤での敵との交戦の後、映画は中盤──日常パートへと移った。
画面の中では、キラピュアたちとゲストキャラクターが楽しげに動き回っている。
どこか弛緩した空気が、二人の間で広がっていた。
それゆえ、だったのだろう。
「……あの、遥先輩」
ぽつりと、衿華が名前を口にしたこと。
それが何を意味するのか、遥には伝わっていた。
「……わかりました」
もう、聞く準備はできていたから。後は頷くだけだった。
「私──ずっと、知りたかったのです、青春を。二度と無い”いま”を、もう取り落としたくなかったのです」
”いま”、と。
ずっと彼女が口にし続けていた言葉を、既に一度取り落としたことがあったかのような口調で衿華は紡いだ。
「両親は、私が幼い頃に離婚して──ずっと、私は母と暮らしていました。帰りはいつも遅くて、一人手で。それでも塾に通わせてくれたり、精一杯、育ててくれていたのだと思います」
衿華の所作は、いつも整っている。
学力だって高ければ、気丈で、ちょっと冗談が通用しないのは玉に瑕だったけれど……そんな欠点を差し置いてもなお、彼女は立派な人。それが、生徒会で働いていた時に衿華に抱いていた印象だった。
衿華の母親は、確かに彼女を精一杯育てていて。
「そして、私はちゃんとした子であろうと──母に迷惑をかけないために、必死でした」
衿華もまた、母親の期待に答えるために精一杯、努力していたのだ。
「……素敵なお母様なんですね」
「ええ。母には感謝してもしきれません──が」
そこで、僅かに彼女の表情は曇った。
「どこか、がんじがらめだったのも事実です。あまり、娯楽も許してもらえませんでしたし」
おんぶに抱っこ。
主人公の家で過保護とも言える扱いを受けていたマスコットキャラクターが画面の向こうで泣き出した。
きっと、衿華は母親の気持ちを理解していて。
「それでも、晩ごとにキラピュアを見ていて、挙句の果てにはここに来た──それも、受験期に。母からすれば私がしたことは……裏切りも同然ですね」
しかし、全てに応えられるほど彼女は完璧じゃなかった。
「……別に、裏切りとかじゃなくて。もしもお母様が衿華さんのことを大切にしているのなら、今、あなたがこうして楽しく過ごしているのは嬉しいことだと思うんです」
──続いて、欲しい。
線香花火をしていた時に、衿華が口にしていた言葉。
それが本心ならば、彼女にとってここで過ごした時間が楽しかったこと。それは、違いなかったのだろう。
「……遥先輩は、いつもお優しい。お話を聞いてくれて──肯定してくれて。私は、あなたにとっては手のかかる後輩、だったでしょう?」
そう口にして、衿華はくしゃりと笑ってみせた。
その表情に張り付いていたものを、無理やり押し込めるように。
「そんな、こと」
彼女は手がかかる後輩だったか。
確かに最初は接しづらかった。お互いの立場もあれば、真の意味では彼女の方が先輩だ。身バレのリスクだってある中、遥の肩には自然と力が入った。
衿華は、中々笑わなかった。
恥ずかしがって、最初の給仕は失敗した。
遠慮して、やりたいことはいつも押し込めたままだった。
──それでも。
「そんなこと、ないです。衿華さんと過ごしたこの数ヶ月は確かに慣れないことばかりでした。そもそも教育係なんて初めてだったし、《総選挙》だって中々アイデアが浮かばずに、夜遅くまで話し込んだ。紗さんと衿華さんが喧嘩した時だって困ったけど、最後には仲良くなれた──」
時間が、絆してくれた。
「一瞬で、立ち止まれなくて、目まぐるしくて──あなたと過ごしたその時間が、僕にとっては楽しかった──っ!」
見開かれた瞳、溜まった雫が頬を伝う。
もう取り繕うこと無く、衿華はくしゃりとその顔を歪ませて、泣いていた。
「……では、私だけではなかったのですね……っ」
嗚咽混じりにそう溢す。
涙は止めどなく、それでも、衿華は渡されたハンカチで目元を拭うと、言葉を継いだ。
「小学校でも、中学校でも──そして、高校でも。必死過ぎるあまり、気づけば肩書き以外は何も残らなくなっていました。友人も、思い出も……私は、空っぽだったのです」
再び彼女の目元に涙が溜まっていく。
満たされた目尻から、また一雫伝った。
「高校三年生。残された最後の一年で、今度こそは何かを変えたくて。ここに来たは良いものの不安は尽きませんでした。生徒会の仕事はどうか、受験に支障は出ないか、《ヴィエルジュ》の皆さんに迷惑をかけてはいないか──変化に耐えきれず立ち止まった先での変化も、私にとっては劇薬でしたから」
募る不安は、中々吐き出せるものではない。
”魔法少女”という外面を身に着けて立ち回らなければいけないここでは、特に。
コンセプトカフェという非日常だからこそ、周囲の変化からは浮いていて。しかし、それ相応の変化を受け入れなければならない。
「そんな中、遥先輩は今しがた私を肯定してくれました。楽しかった、と。それは、私だけの独りよがりなものではない──それを知ることができた」
それでも、一緒に過ごしていた。不安を抱えたままでも寄り添いあった。
衿華が楽しい時間を過ごしていた中で、遥にとってもそれは楽しかった。共に時間を分かち合っていたのだ。
その時間が、独りよがりだった──そんなことは、あり得ない。
「ずっと後悔しないか、自問自答してました。でも……っ」
唐突に衿華が手を取った。
先程まで悴んでいたそれは、今となっては熱を持っていた。
僅かな震えの残滓は、遥の手を強く握らせた。
衿華の目線ほどまで握られた手が掲げられる。
その中に一つ、握られていたライト。
今まで意識外だった画面の中で、キラピュアは追い詰められていた。
それを打開するためにライトを点けて応援しろと、テロップが表示されている。
衿華の言わんとしていることは反射的に遥にはわかった。
──遥は、変わらないね。
苦々しくなってしまった思い出も、引き出しの奥に閉じ込めていた”好き”も。
その全てを肯定する、
強く押したボタン、ライトから放たれた光。
二つの手、その繋ぎ目が照らされる。
”魔法少女”は、立ち上がる。
「でも、好転しました……っ! ここに来て、あなたと出会えたから──悔いることなく、いられました──っ!」
今度は、衿華から遥へ。
それは、翻って向けられた精一杯の肯定だった。
苦々しい思い出は今だって胸を蝕むし、周囲の変化に置いていかれてないか──遥にとっても不安は尽きないものだ。
それでも、たった一つの肯定が全てを塗り替える。
憂いを、不安を、孤独を、遥の胸に燻っていたものを。
徹底的に、圧倒的に、完膚なきまでに、衿華は打ち払い、再び火を焚べた。
「私、満足しています。好きなように生きている私を”好き”でいられています」
《ヴィエルジュ》で、僅かに発散していただけに過ぎない遥の”好き”を、思いっきり照らしてみせた。
「……そう、ですか」
なら、そうあれたことが嬉しい。
胸に抱いた”好き”。例え歩きづらくても、幼くても、捨てずにいた自分がいたからこそ。
「ええ。きっと、あなたが思っているよりも……ずっと、ずっと。だからこそ、心より──」
そうやって時間を積み重ねてこられて良かった。
「遥、先輩──あなたと一緒にいられて、良かった。そう思えるのです」
◇ ◇ ◇
まだ真新しくて、十分に光るライト。
数日前の夏合宿、衿華から貰ったそれをしまおうとした時、引き出しの奥からもう一つ、古ぼけたライトが転がり出てきた。
「……楽しかったなぁ」
もう、それは奥深くに閉まっておくものじゃない。
はたと思い立って、遥はライトに付いていたストラップを手に取った。
二つ、手の中で。二つ、結わえる。
更新された、思い出。
変わらなかった”好き”だ。
「これでよし、と」
引き出しの外へ、棚にぶら下げられて。
コツリ、と音を立てた。
二つのライトが、触れ合った。
◆ ◆ ◆
2023年7月30日(日)
近頃、忙しくて書けなかったこの日記だけれど、久しぶりに残したい出来事が起きた。
というよりも、ここ最近はずっと。そんな出来事ばかりだ。
私が憧れた”魔法少女”がいた。
彼の髪は純白、立ち姿は堂々としている。だけれど、そんなことよりも──何よりも、優しい。
彼だけじゃない。楽しげな先輩に、仲良くなれた同期、子供っぽくて、喧嘩の仲裁に料理と頼りになる大人。みんなに、囲まれている。
時間は目まぐるしく経つ。それも確かな意味を持って流れていく。
むしろ、全然足りないぐらいだ。退屈じゃなければ、楽しい出来事も一回きりじゃない。
ここにいる時はちゃんとした子のままではいられないけれど、そんな私を、案外私は好きになれている。
自分がなりたいようにって、踏み出したから。
彼が、手を差し伸べてくれたから。
だから、もう悔いることはないだろう。
私は”いま”が、大好きだ。
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