#25 魔法少女が惜しむ”いま”。

──遥は、変わらないね。


古ぼけて、もう光ることすらできなくなったライト。

手のひらの半分ほどの大きさで、ハートがあしらわれたもの。


合宿に向けて荷造りをしている中、偶然にそれを見つけた時、不意に囁かれたような気がして、遥は慌てて引き出しを閉じた。


紛れもなく、キラピュアの映画を観に行ったときに貰ったものだ。

そして、透羽も同じものを貰っていて──映画が終わったときにはもう、彼女のものはもう、どこかへ行ってしまっていた。


幼少期の思い出と呼ぶには、あまりにも苦々しい。

だからこそ、引き出しの奥深くに閉まっておく。もう自分だけしか持ち得ぬものとして。


きっと、それに尽きるものだったのだろう。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……ブランは、その──就業意識が、高いのですね……?」


夏合宿当日。

がらんとしていて、蒸し暑い。

空調が効いてないヴィエルジュなら尚更、焼けたコンクリートが強く香る。


そんな気温に合わせてか、話しかけてきた衿華は薄着だった。

普段はきっちりと制服を着込んでいる印象が強い彼女だったけれど、今日は白のワンピース。

レースが入った上品な着こなし、汗もさほどかいておらず、どことなく涼しげだ。


けれど、遥ばかりはそうも行かず。


「ボクにとっての、矜持……みたいなもの、ですから」


いつも通りの、”魔法少女”としての衣装とウィッグ。汗だくで、その隣に座っていた。

つまるところ、衿華の前で取り繕うためだけに。

どれだけ暑かろうと、今日も今日とて遥は”魔法少女”していたわけである。


「──以上で、”魔法少女”夏の強化合宿・開会の辞を終わりますっ! それじゃあ、早速二日間の予定を発表するね!」


そして、そんな格好をしているのがもう一人、杏だった。

自慢のフリルも、多分この状況では尚更暑さを駆り立てるものだったのだろうけど、額に汗しながらも暑さにはめげず、はつらつ元気に。杏はホワイトボードに一枚の模造紙を広げてみせた。


「……杏、先輩。背丈が足りないのなら、言ってくだされば、手伝いますのに……」

「大、丈夫っ! あと、もう少しで……っ」

「はい。これで完成ですわね」


とはいえども、身長が足りていなかったようで、ホワイトボード上部に必死で手を伸ばす杏の手から磁石を取ると、紗はいとも簡単に貼り付けてしまった。仲睦まじい一幕である。


ただ、それはそれとして。

羅列された内容を前に、思わず遥はこめかみの辺りが痛くなるのを感じていた。


「……これ、本当に全部できるんですか?」

「できるかどうかじゃなくって、やるだけやる! それが、あたしのモットーだからっ!」


モットーだと胸を張られても、時間は有限だ。

普段なら諌めていたのだろうけど、とはいえども、杏がどれだけこの二日間のために頭を悩ませ、準備をしてきたか遥は知っている。

ロッカーには収まりきらなかった大荷物、気合が十分すぎることは彼女が今日、衣装を着ていることから察することができる。


「まあ、モットーなら仕方ないですね」


大体、自分だって先程矜持がどうとか言って誤魔化した身だ。

ここは先輩の頑張りに精一杯報いるのが、としてのあり方なのだろう。

それに──と、遥は自分のロッカールームの隣、ゴソゴソ言っているフィッティングルームへと視線を向けた。


「……なるほど。確かに暑いですが、俄然、高揚はします」

「でしょでしょ? わかってるね、衿華ちゃんっ!」


カーテンを開き、出てきたのは”ヴィエルジュノワール”。

要するに、変身しきった衿華だった。


「……わたくしだって、理解わかっている方の”魔法少女”です……っ!」


それに対抗心を燃やしたのか、紗もフィッティングルームにダイブ、次に出てきた時には、彼女もまた”シアン”に変身していた。


かくして、蒸し暑い部屋に四人、集結した”魔法少女”。


「……ええ。確かに高揚はしますが、暑いのは確かですわね……」


多少の不満はいくつかあれど、何だかんだ言いつつ、誰もがその場では”魔法少女”であることを望んでいた。


「それでも、構わないではありませんか」


衿華が漏らしたのは、彼女らしからぬわりと非合理的な意見。

だけれど、その弾んだ声音は、この場にいる皆の総意でもあった。


「──が、楽しいのなら」


そうだ、楽しければ良い。暑かろうが何だろうが構わない。

を、全力で過ごしたいのだ。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「ゼッタイ勝てーっ! キラピュアーっ!」


この日何度目かもわからない、杏の叫びがこだまする。

朝早くに開かれた開会の辞から、五時間と少し。その間、鑑賞したのは四本の劇場版キラピュア。

例え一本であろうとも、普段はマキが止めに入ってくるから鑑賞会が不可能なものを、四本。


背徳感と相まって、というか、それ以前に普段から杏はそんなものだ。

だけれど、今日ばかりは勝手が違った。


「行きなさいっ! キラピュアーっ!」

「負けるなーっ! キラピュアーっ!」


ただでさえ蒸し暑いホールにも、やっとクーラーが効いてきたと思った矢先、それをはるかに超える熱気が垂れ込めている。何せ、杏一人だけではないのだ。


遥も紗も、この場においては、普段の体裁なんて気にせず、声援を送るのみだった。

そして、それは決してただ一人とて例外ではなく。


「……勝ってください、キラピュア」


ぽつり、と。

隣から聞こえてきた声、そちらに視線を向けた時、そこでは控えめに衿華が拳を突き上げていた。


「……え、あ……ち、違うんですっ」


普段の衿華はキラピュア鑑賞会をしていようとも、決して声援は送らない。

ただ、送るのは熱視線ぐらいだ。

そんな彼女が、はっきりと声援を送っていた。それも、ジェスチャー付きで。


顔を赤くし、どこか誤魔化すように首を振りながらも、それでも、開き直ったかのように衿華は再度拳を突き上げた。


「──今日は、全力で楽しむと決めましたから……っ!」


結局は、それに尽きる。


「そう、でしたね。じゃあ、一緒に声出しでもしますか? 衿華さん」


ステージに据え付けられた大スクリーンでは、ちょうど魔法少女が立ち上がろうとしている。クライマックスシーンだ。

前方で声援を送っている紗と杏は、もう待ち切れないといった様子なのか、とっくに立ち上がって応援を始めていた。


「……え、ええ。全力、ですからっ。望むところ、です」


何の気なしに軽い気持ちで言ったものだったけれど。

予想以上に気合の入った様子の衿華に恐々としながら、遥は立ち上がった。


「そ、それじゃあ、タイミングを……」


合わせるまでもなかった。


《b》「頑張れ──っ! キラピュア──っ!」《/b》


今日一番、特大の声援がホールに響き渡る。


「……っ!?」


その声量に驚いたのか、即座に紗と杏が振り向く。

有言実行、言った通り衿華は全力だ。


ともすれば、約束した通り、遥も負けるわけにはいかなかった。


「頑張れーっ! キラピュアーっ!」


枯れるのなんてお構いなし、もう今日何度目かもわからなかったけれど。

精一杯、遥は声を張り上げた。



◇ ◇ ◇



「──お怪我はございませんか? ブラン、


映画鑑賞が終わった頃には、夏の長い陽も、既に暮れかかっていた。

というわけで、少し早めの夕飯と相成ったわけだったけれど。


「……その、衿華さん?」


厨房担当は杏、給仕は衿華ということで。


「お相手は私──”ヴィエルジュノワール”が務めさせていただきます」


後片付け担当だからと先に座っていた遥たちの元にやってきたのは、”魔法少女”としての──お仕事モード全開の衿華だった。


コトリ、と。机上に置かれたのはオムライス。多少黄身が崩れているのは、作ったのが杏だから、なのだろうけど、それでも、ずっとマキを見てきたからか、まずまずの出来だった。

ケチャップだけはかけすぎてしまったのか、刺々しい口元をしてはいたけれど。


「——黒夜よ、闇をもって、光と成せ」


そんな凶暴な怪物が相手でも、”魔法少女”は決して臆さない。

ステッキが掲げられると同時に、差し込んだ光が衿華を包む。


初めて教育係として、遥が手を差し伸べた日。

二人きりのロッカールームで、衿華が披露した”魔法少女”。


もう、その時の比じゃなかった。


この数ヶ月で洗練された所作は、最初より大振りに。

衣装の照り返し、揺れるフリル、衣装はずっと映える。


そして、何よりも──その表情。


艶めく髪の下、弧を描く瞳、キビキビとした動作とは対照的に綻んだ表情。


彼女は、自然に笑えていた。

もう、そこに緊張なんて無い。

ただ純粋な笑顔が、遥に向けられる。


それはきっと、遥がずっと胸に抱いていたものだった。

割り切ろうとしたって捨てられず、抱いたままで、ここまで歩いてきた。


そうだ、が”好き”だと──笑えている。


「──”ノワール・ノクターン”」


出会った時から、明確に変わったもの。

であろうと、肩ひじ張らずに、ただ、自分の”好き”に正直な姿勢。そんな、大っぴらな感情。

それが、今の衿華だった。


「……どうでしたか? ブラン。私の、給仕は……」


緊張した面持ちで、衿華が聞いてくる。

だけれど、そう言葉も必要ない。衿華は、ただ──。


「──最高、でした。最っ高に”魔法少女”してましたっ!」


遥が知る限り、とびっきり”魔法少女”を楽しんでいただけなのだから。

つまるところ、最高の”魔法少女”だったのだから。


「……それ、なら……よかった、ですっ」


途端に、ふにゃあと崩れるように、衿華は座り込んだ。

そんな様子はおくびにも出さなかったけれど、緊張はしていたらしい。

休む衿華にそっと会釈しながら、スプーンに手を出そうとした時だった。


「待って、ください」


衿華が、それにストップをかけた。

そして、いそいそと一口分、自分で掬い上げると。


「それでは──ブラン。その……あーん、してください」


そのオムライスを、彼女は遥の口元に差し出してきた。


「その、ですから……コンセプトカフェも、そこまではやらないって……」

「……違います。勘違いとかではなくて、恩返しのつもりです。私がただ、こうしたいだけなのです」


強情に、衿華は決して引こうとしない。

勘違いでないのなら、尚更だろう。何せ、今日の彼女は全力だ。やるといったらやるのだ。


それならば、逃げ場もなく、彼女の好意を無碍にもできず。

遥は、素直に口を開けることにした。


「……わかり、ました」


舌先に触れた瞬間、ほろりと卵黄が崩れる。

わずか一口分だ、すぐに無くなってしまう。

だからこそ、というべきか。


ただ、受け取った好意を──その一口分を、飲み込んでしまうその瞬間まで、遥は噛み締めた。



◇ ◇ ◇



「それじゃあ、そろそろ始めるよっ!」


外ももう真っ暗だ。

早めの夕食を終え、皆で寝袋を広げて何となくおやすみムードが広がってきた頃。

突然、杏は立ち上がると、持ってきた荷物の中から、特に大きかったものを取り出した。


「……花火、百発……?」


思わず、遥はそこに記されていた名前を読み上げてしまった。

線香花火に、ロケット花火、ネズミ玉にエトセトラ……。

ありとあらゆる花火が詰め込まれたセット商品、らしかった。


「……でも、それ……どこで、やるんですか?」


ただ一つ、問題はあったが。


「……あ、あー……」


すぐさまその問題点に気づいたのか、杏が笑みを引きつらせる。

やる場所がないのだ。

付近に公園や広場の類はない上に、ヴィエルジュに備えられた僅かなベランダでロケット花火なんてやろうものなら、もれなく皆で火ダルマだ。


「……そっか」


トボトボと、それをしまいに行こうとする杏の背中は寂しげだった。

無理もない、これだけの種類が入っているものなら、高かったであろうことは容易に想像がつくし。


「あの、杏先輩。線香花火ぐらいなら、できるのではないでしょうか?」

「確かにっ! 衿華ちゃん、天才っ!」


早速、杏が全員に線香花火を配り始める。

衿華がバケツに水を張り、どうやら準備は万端なようだった。


「……絶対に、負けませんわ」


何に対抗心を燃やしているのか。

ベランダに出る直前、ぽつりと紗が呟いた。



◇ ◇ ◇



燻った火が次第に光を増し、パチパチと弾ける。

その様子を、衿華は物珍しそうに眺めていた。


「……衿華さん、花火は初めて、なんですか?」

「ええ。家では危険だからとやらせてもらえなかったので。本当に、今日は初めてやることだらけです」


そう口にした瞬間に、ぽとりと衿華が手にしていた線香花火の先が落ちた。


「……あと四つだから、次が最後みたい。はい、二人とも。大事に使ってね?」

「ありがとうございます、杏先輩」


杏から受け取った線香花火。

先に、自分が持っていたものへ火を。そうして灯ったものを、衿華のものへと移す。


「ひと目惚れ、でした」


そうして灯った僅かな光を前に、衿華はぽつりと溢した。


「ブランの姿は、私にとっての憧れ。その堂々たる姿に焦がれて、ここで”魔法少女”をしようと思ったのです」

「……そう、でしたね」


改めて聞くと、やっぱり気恥ずかしい。

それでも、他ならぬ衿華が自分に憧れてくれたというのなら、それ以上”魔法少女”冥利に尽きることはない。


「楽しい、日々でした。”魔法少女”として見る景色は、すべてが新鮮で──《総選挙》にが協力してくれると言ってくれた時、私は堪らなく嬉しかった」


パチパチと、火花。

増した光が、遥と衿華──囲む二人を、僅かに照らす。


「始まった《総選挙》は、とにかく目まぐるしい日々でした。試行錯誤を重ね、同期と揉めながらも、念願だったティータイムは無事に開けましたし。最後には、ブランと歌えたこと。忘れません」


二つ、三つ、と。

飛び出す火花は数しれず。くっきりと、その横顔が浮かび上がった。


「……だから、ずっと、楽しくて。だから、が続けばいい」


ただ、惜しむ。


「続いて、欲しい──」


その瞳は、線香花火ではなく、どこか遠くを見ているようだった。

きっと、消えゆく火を、それが落ちる瞬間を。見ていたくなかったのだろう。


物憂げな、表情だった。


「続き、ますよ」


遥が吐いた言葉に、根拠なんて無い。

ただ、その場で傷口をそっと撫ぜるように。蓋をするように、上辺だけで口にしたものだった。


「────」


パチリ、と。

最後に散った火花、衿華の声は、その一音に遮られた。


ぽとり、と燃え尽きた花火が落ちる。

その瞬間に、周囲が暗く染まった。


だからこそ、たった一瞬だけしか捉えられなかった。


線香花火が落ちる直前、衿華が今にも泣きそうな表情を浮かべていたこと。



──それなら、良いのに。



遮られた彼女の声が、嗚咽混じりだったこと。



◇ ◇ ◇



どこか、目が冴えてしまっていた。

寝袋の中遠くで聞こえるのは、ドン、ドン、と痛々しい音とうっとばかりに漏れた僅かな悲鳴。

恐らくは、杏が何度も紗の寝袋にアタックしようとしているのだろう。案の定というべきか、彼女は寝癖が悪かった。


夏場なのも相まって、多少は喉が乾いていたから。

遥は一度寝袋から出ることにした。

水と、ついでにトイレ。もぞもぞと、半身ほどが外に出た時だった。


「……ブラン、


思わず、悲鳴が漏れそうになるのをすんでのところで遥は堪えた。

囁かれた耳元。それは紛れもなく衿華の声だった。


「……どう、したんですか?」

「一つだけ、やりたいことがあって。今、よろしいですか?」

「……別に。大丈夫、ですけど」


衿華が腕を取る。

今から何をするのか全く検討もつかない中、引っ張られるようにして進んだ先。

ロッカールームの手前──ギシリ、と。軋みながらドアが開く。


その部屋の奥では、僅かな光が漏れていた。

機器管理室の奥、いつぞやのテレビの電源が付いていた。


「──付き合って、いただけますか?」


衿華が差し出してきたものは、遥にとっては何よりも見覚えがあるものだった。

ハートではなく、あしらわれていたのは星だったけれど。

その、今となっては簡単に包めてしまえそうなサイズ、押せば光るであろうボタン。


──『劇場版 キラピュア』


渡されたライトと、画面に浮かぶ文字から、彼女が何を望んでいるのかは明白だった。


「──わかりました。どうせ、眠れなかったところですし」


その手から、ライトを取ろうとした時だった。

次に、衿華が口にした言葉を聞いて。

コトン、と反響する。遥は、ライトを取り落としてしまった。



「ありがとうございます。……、先輩」

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