#24 「魔法少女に、後悔はいらないから」

「と、いうわけで《魔法少女総選挙・決勝ラウンド》に向けた共同会議を行いたいと思います! わー、ぱちぱち」


まばらな拍手がこだまする。

遥、衿華、杏、紗。共同会議と称したイベントは閉店後のホールで大々的に執り行われていて。

その割には仕切る杏に拍手を送っていたのは一人だけ、紗だった。


隣の衿華は特に拍手も送らず、むしろジトッとした視線を杏へ送っている。

ともすれば、遥もどう反応すればいいのかわからず。どこか白けた空気が部屋中に広がっていた。


「……こほん。二人共、何か反応をくれてもいいんじゃない……?」

「そもそも、共同でやってしまったら手の内がお互いバレるでしょう? こういうのは普通、それぞれで行うものだと私は認識しているのですが」


普段よりも尚更凝り固まった仏頂面で正論を吐く衿華に、杏はうぐっとばかりに音を上げた。


「……まあ、僕もそう思います」


ハイテンションで取り仕切っていた杏へ、若干同情の念は湧いていたものの、とはいえども、衿華が口にしていることは正しい。”共同”とは称しているものの、この先待ち受けているのは協力して行うイベントではなく、むしろその逆、互いに競い合う決勝だ。


「ん〜、本当はもう少し後にするつもりだったんだけど……後輩二人が辛辣だから、今、発表します……っ」


不服そうに頬を膨らませたまま、杏が口にした言葉。

悪寒が駆け巡る、大体こういう時の杏の提案というのは面倒臭い。彼女の後輩をしている以上、遥としては覚えておくべきことだった。


「……それじゃあ、気を取り直してっ!」


変わり身が早い。張り上げられた杏の声が、キーンと部屋中にノイズ混じりで響き渡る。


「来たる八月上旬っ! 総選挙決勝に備えて、今月末に”強化合宿”やりますっ!」


なるほど、いかにも杏が思いつきそうなことだった。

強化合宿とは銘打っているものの、要は皆でお泊り会がしたい、ということなのだろう。


「……けれど、実施するとして、場所はどうするんでしょう?」

「ん、いい質問だね、紗ちゃん。まさにここっ! 《ヴィエルジュ》だよっ!」

「……マキさんは、それで許可出ししてくれたんですか?」

「もちろんっ! 七月下旬から実家に帰るって行ってたから、そのタイミングに合わせて一週間ぐらい説得したの。もちろん、最後はオッケー出してくれたよっ!」


杏のことだ。多分、相当にしつこくゴネて、ゴネまくって、勝ち得た会場であることは容易に想像がつく。

きっと、ようやく衿華と紗が和解したところだから。親睦を深めたいという意図もあるのかもしれない。もちろん七割ぐらいは杏個人のやりたいこと、なのだろうけど。

少なくとも、遥にとっては悪くない提案に思えた。”杏先輩”の思いやり、だ。


「……まあ、場所がちゃんと決まってるなら、僕は良いと思います」

「わたくしも賛成いたしますわ、杏先輩っ!」

「ふふーんっ! 後輩二人が賛同するならあたしだってご満悦! 何したい? 今度はラブっとキラピュア全話上映会とか!?」

「もっとお泊り会らしいこともしてみたいですわ。例えばほら、パジャマパーティーに恋バナ、積もる話だってあるでしょう?」


次第に盛り上がっていく二人と共に、遥も段々とテンションが上がっていくのを感じていた。

何せ、お泊り会なんて修学旅行以来、それに加えて参加者は”好き”が一致した人間だ、否応なしに期待は膨らむ。


「……僕は、みんなでまたカラオケがしたいです。この間、すごい楽しかったですし」


やり直すために、と。

前回、衿華が途中で抜けてしまったから、今度こそは最後まで皆で楽しみたいという節はあった。


「ん、賛成だよっ! あたしの”魔法少女”レパートリーは膨大だからっ!」

「わたくしだって、歌唱なら負けていませんわ! 是非披露させてください」


杏と紗、二人揃った賛同を得たところで、ふと遥は気が付いた。

ずっと、隣から全く声が聞こえていないことに。


「……衿華、さん……?」


唇を噛んで伏し目がちに、衿華が黙りこくったままでいることに。


「……あ、すみません。私、もうすぐ門限で。皆さんのお話、また次回聞かせていただけると嬉しいです」

「そっか、残念。それじゃあね、衿華ちゃん。また今度」


愛想笑いを浮かべると、衿華は席を立つ。

前回のように急に泣き出したわけでもなければ、会話だって普通にした。少なくとも上辺だけなら、違和感は何も無い。

だけれど、ロッカールームへと消えていくその背中に、遥は見てしまった。

数日前、縮こまって嗚咽を漏らしていた衿華の姿を。


「……すみません、少しお手洗いに行ってきます」


適当な口実を付け、遥は席を立つ。

衿華を追うために、急ぎ気味にロッカールームへ向かう中でヒールの音が忙しなくこだました。



◇ ◇ ◇



ずっと、持ち上げることすらせず。

制服姿で、衿華はバッグのベルトをもてあそんでいた。

表情には未だ、愛想笑いの残滓が残ったまま。

視線こそ、目の前のロッカーに向けられていて、それでも、どこか焦点は合わず、何も捉えていないようで。門限が近づいていると言う割に、衿華はちっとも帰ろうとする素振りを見せなかった。


「……あの、衿華さん?」

「ブラン……っ!? どうして……?」


ピクリと跳ねる肩。

部屋に入ってきていた遥の存在にすら今まで気づいていなかったようで。

思わず遥が声をかけた時、普段以上に衿華は驚いた様子を見せた。


「……いえ。その……衿華さん、どこか落ち込んでいるように見えたので。少し、気になって……」


そうともなれば誤魔化しようがない。

ここに来た理由を正直に話さざるを得なかった。


「……別に、大したことではありません」


ぽつりと、まだ誤魔化そうとするような含みを持たせたまま衿華は呟く。

躊躇い混じり、途端に距離感が捉えられなくなる。

遥は、そういう時の衿華が苦手だった。ちっとも真意がわからないから。


「……でも、衿華さん。落ち込んでるように見えます。何かあったら、その……お手伝いできるかもしれません」


──だから、教えてくれませんか。


その一言を、遥はいつも口にできないままでいた。

いつも、衿華はあと一歩踏み込もうとするとはぐらかすから。

触れられたくないものなんて、いくらでもある。だからこそ、その気持ちは痛いほどわかるのだ。

それでも、そうでもしなきゃ、強引にでも押し入らなきゃ、いつまでもそのままだから。口にした。


「……だから、何があったか教えてくれませんか」


伏し目がちに、衿華が一瞥寄越してくる。

それは、どこか試しているようにも思えた。

本当に、口にしていい相手なのかどうか。


「……合宿、私自身は参加できないと思います」


けれど、結局は認めたらしい。

ため息を一つ、あっさりと彼女は理由を口にした。


「参加できない……っていうのは……?」

「……家の事情です。元々門限には厳しい家でしたので。今は予備校に行っていることにして誤魔化せていますが……流石に、泊まりとなると……」


失念していたことだった。

衿華は高校三年生、ちょうど受験生だ。

そもそもとして彼女の家が厳しいというのは、何度か話に出てきたことでもあった。だとすれば、受験生である彼女に泊まりの許可が出る、というのは──。


「……難しいこと、ですか」

「……ええ。ですから、仕方ないことなのです」


真っ当な理由と真っ当な答えであることには違いない。

だからといって、衿華の表情は晴々としているわけではない。むしろその逆、俯いたまま。

彼女自身、納得行っていないのは明らかだった。


「……ごめんなさい。私がこのような顔をしていては辛気臭いですね。先にお暇させていただきます。私にはお構いなく、後は残った皆さんで楽しんでください」


誤魔化すように笑うと、衿華はカバンを肩にかける。

実際、仕方ないことなのだと割り切ろうとしているのだろう。

だけれど、例えそういう風に頭では理解していても、感情まではついてこない。

それは──遥にも覚えがあることだった。


「……後悔、しませんか」


以前、衿華が口にしていた言葉。それが、遥の口を突いて出た。

なぜ、今なのか。ずっと、咀嚼しきれないまま喉元で引っかかっていたから?


「……しない、と。そう断定できれば良かったのですが……」


困惑混じりなのか、震えたような声音で衿華は答える。

そこに、どちらなのかはっきりと判別できる要素はない。


思い返しても見れば、ここに来たばかりの時の衿華は常に躊躇いがちだった。

総選挙予選だって、”魔法少女”になることだって、私なんか、と常に否定から入っていた。

それだけきっと、”魔法少女”をすることは彼女自身、何かと天秤にかけなければならないことだったのかもしれない。


──それは、初めから衿華が自身に向けた言葉だったのだ。


その一端が、親との関係のせいだったとすれば。

どこか、遥の中で腑に落ちる答えだった。


「……すると、思います」


たっぷりと時間をかけて。

その割には呆気なく、驚くほど正直に衿華は答えた。

誤魔化そうとか、見え隠れしていた打算が滲んだまま頷いた。


「……それ、なら」


そんな答え、否定してしまいたかった。

後悔するのならやるだけやってからにすればいい、と。

ただ肯定だけで塗りつぶしてしまいたい。

だとしても、そんな遥の望みとは対局にあたる一に、現実はある。


簡単なのは口にすることだけだ。

根拠もなければ、人の問題に首を突っ込む覚悟だって中途半端。結局は足がすくむ。

あと一言、紡ぎ出せる立場に遥はいない。


まだ可能だと少しでも信じていられるのならいい。

それでも、そんな言葉吐いたところで不可能に近いと言うのは知っているから。

遥自身にそこまでの力が無いことは、自分が一番知っているから。


だから、そこで口をつぐんでしまった。


「……それなら……?」


衿華が反芻するように呟く。

どこか躊躇うような響き、疑問形だ。


その先にどんな言葉が続くのか、なんて。遥にすらわかっていない。

ともすれば、誤魔化してしまうことだってできて。


誤魔化してしまったらどうなるだろう。

きっと、遥は無責任な言葉を口にしなくていい。話はそこで有耶無耶になる。

……それで、いいのか。


そうなってしまったら、衿華は後悔してしまうんじゃないのか。


両方の道筋をかけて、ようやくわかった。

遥にとって嫌なのは、衿華が後悔する方を受け入れることだ。

何も、彼女のためだとか、そんな感情だけじゃない。

ただ、否定されたくなかったから。


”好き”をいつまでも抱きしめていたくて、だから、何一つとして割り切れないまま生きてきた。

諦めたくない、なんて子供らしい理由だ。周りの変化に合わせて身を捩って生きていかなきゃいけないこの世界においては剥き出しで、真っ直ぐすぎる感情だ。

そんなものを口にしたところで、気休め程度にしかならないのはわかっている。


だとしても、それを否定したら、遥自身の──自分の生き方すらも否定してしまう気がした。

変化だろうが成長だろうが、飲み込まなきゃいけないことを知っていた上で全部拒んだのだから。


気休めに過ぎずとも、根拠が持てなくても、せめて胸だけは張っていたい。

そうすることを認めてくれた先輩ひとがいたはずだ。


足がすくむのなら、蹴り飛ばしてでも進ませてやれ。

大逸れた方向性だろうと、自己中心的だとしても、自信だけは掲げて。

進んでいる方向が正しいのだと、自分だけは信じてやりたい。信じてやらなきゃいけないから。


「……それなら、何とかします。では──後悔してほしくない」


そうしなければ、先輩としての必須要項すら、自信すら持てないから。


「好きなように、衿華さんにいて欲しいんです──っ!」


遥は言葉を絞り出した。


「……そう、ですか? どうして、私にそこまで……?」


衿華は少し動揺しているようだった。

初めて、真正面から言葉をぶつけたから。


「……言ったでしょう。”魔法少女”は絶対に手を差し伸べなきゃいけないって。それに、何より僕が諦めきれないから。ここで引き止めなきゃ後悔するから、なんですっ」


全部、言い切った。

これで頷いてくれないのならば諦めるしかない、と。

表情を見るのすら怖くて、視線を外したまま俯いていて。


「……ブランがそこまでおっしゃってくれるのなら、私も精一杯奮闘してみるとしましょう」


それでも、顔を上げた時、衿華は頷いていた。

苦笑混じりで、それでも、どこか憑き物が落ちたかのような表情で。


「……ですから、力を貸してくれますか?」

「はい、もちろんです」


迷う間もなく頷く。

遥にとっては最初から決まっていた答えで、口にしたい言葉だった。

衿華が手を差し出してくる。


それは《総選挙・予選》で共に奮闘すると決めた時の再現だった。

手を取った、その時だった。


「あたしたちも力を貸すよっ!」

「ひゃっ!?」


突然の大声に、衿華が腰を抜かす。

というか、流石に遥とて動揺せざるを得なかった。


「……杏先輩、声をかけるのが急すぎますわ」

「……ごめんごめん、後輩の熱い叫びを聞いたら、我慢できなくなっちゃって……」


杏と紗だった。

ドアの端から出てきたのを見るに、ずっとこちらの様子を伺っていたらしい。


「……遥くんも言うようになったよね。だから、もひと肌脱いであげようかなと思ってさ」

「杏先輩が協力するのなら、わたくしも。これでもアリバイ作りは上手い身ですから」


胸をトンと叩き、まさに頼りにしてくれと言わんばかりに杏は言う。

それに、紗の言葉も自信たっぷりだ。それが、何よりも心強かった。


その時、一雫。衿華の頬を伝った。

潤んだ瞳、涙だ。一瞬、慌てかけて──それでも、表情はこの間とは真逆なもの。


「……いえ、ただ、嬉しいだけです……っ」


流れた涙で全てが剥がれ落ちて、剥き出しになったもの。

くしゃくしゃな、笑顔だった。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……皆さん、お疲れ様でした。そして、私のために……ありがとうございましたっ」


完成した一枚のチラシを前に頭を下げる衿華。

それを囲む三人は、全員目元にこそくっきりとクマが刻まれていて。

それでも、満足げだった。


『コースについての詳細、これでどうでしょうか? 一応、僕が通ってた塾を参考にしたんですけど……』

『ええ、夏期講習日程として違和感はありませんわ。連絡先はどういたしましょう?』

『紗ちゃんの電話番号にでも繋いでおけば、そこそこ上手くできるでしょ? 声、大人びてるし。衿華ちゃん、編集できる?』

『ええ、パソコンは使い慣れていますから』


四人で作り上げた、存在しない泊まり込みの夏期講習。

ちょうど合宿の日に合わせた、衿華のためのアリバイだ。


「構いませんわ。それだけ、皆、あなたとお泊り会がしたかったのですから」


疲れたような口調で紗が溢したもの、それが総意だ。

だから、あまり気に負うことはない、と。紗は暗にそう示してでもいたのだろう。


「……もう、大分遅いですから。衿華さん、僕が送っていきますよ」

「……ん、りょーかい。頑張って」


ひらひらと手を振りながら、遥の言葉に力なく杏は頷く。司令塔だったのだから、それだけ疲れているのも無理はないだろう。


「それじゃあ、行きましょうか」


荷物を持った衿華を前に、遥はいつもの”魔法少女”衣装に、コートを一枚羽織ると外に出た。

感情は剥き出しだろうと、それでも、まだ一つ。


「……ええ、ブラン


自分の正体だけは──伝えられず仕舞いだった。



◇ ◇ ◇



二人で帰路につくのは久しぶりで。その上、互いに疲れ切っていたから。

どちらも、無言で歩き続けていた。

《ヴィエルジュ》はそう駅から遠くない、あっという間に分かれ道につく。


「……それじゃあ、僕はこれで」


この先は眩しい、照らされた道だ。

あまりそんなところに自分の姿を晒したくなかったから。別れようとした時。


「……あのっ、今日は本当にありがとうございましたっ」


衿華が腕を掴んで、そちら側へ──街灯が作った光の中へ、遥を引き寄せた。


「……別に、結構自分のためでしたし。それに、みんなのおかげ、ですし……」

「それでも、ブランのおかげで、私、割り切らずにいられました。好きなように過ごせるお泊り会──それはきっと、形容しがたいほどに楽しいのでしょうね」


手を離さないまま、顔を間近に、彼女にしては珍しく、衿華は声を張り上げる。


「私、絶対に──何がなんでも、楽しんでみせます。これで終わりにしても良いってぐらい、一生残せるぐらいの思い出、作ります──っ!」


腕を掴む力は、思いの外強い。

それこそ、遥を逃すまいとするように。

光に晒されている、ウィッグも、衣装も、”魔法少女”としての遥が照らされてしまっている。

それでも、衿華と一緒だから。あまり怖くはなかった。後輩の前では、《先輩》は常に自信を持っていなければならないのだから。


「……ですから、は──いえ。ブラン《先輩》も、絶対に楽しみましょうっ」


弾んだ声音を前に、否応なしに期待は高まっていく。



「──はい、絶対ですっ!」

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