#1 「魔法少女の教育係」
「真白くん。ここの部分、規則についての補足が足りていません。もう少し細かい取り決めがあったでしょう?」
「……あ、ホントだ。すぐに書き足します」
先輩と、狭い部屋に二人きり。
もっとご褒美的なシチュエーションだとか、そういったものを期待したかったけれど。
「ええ、今回は正確にお願いします」
それにしては、部屋中を包んでいる閉塞感はあまりにも強すぎた。
生徒会役員による週に一度の定例会。それが終わった後であるにもかかわらず、遥は書記として生徒会室に拘束されていた。
曰く、議事録に漏れがあったという。
ノートパソコンが二つ、隣り合わせ。飛んでくるのはおかたい敬語による叱責。
驚くほどいつも通りに、この部屋の長——衿華は遥の隣で同時並行的に別の作業を進めていた。
既にお互いの作業ペースにはかなりの差が開いている。
それはきっと、元々の能力の差もあったのだろうけれど、最たる理由は間違いなくもっと別のところにあった。
「私の作業を見ていてもさしてあなたとは関係ないでしょう。それよりも自分の作業に専念しなさい」
「……っ、すみません」
——今日はずっと、衿華の方に視線が向いてしまう。
どうやら普通に気づかれていたようだった。
慌てて謝罪をしつつ、遥はビッシリと詰められた文字へ視線を絞る。
しばらくの間、響いていたのは互いのタイプ音だけで。
それでも、時折ちらちらと視線は移ってしまっていたようだった。
「今度はどうしたのですか?」
「……いえ、タイピング、速いなって」
「今更ですね。むしろ、あなたは見慣れているはずでは?」
もうこれ以上は時間の無駄だと思われたのか、衿華は素っ気なく返答すると一瞥くれていた視線を画面に向けた。
おかたい生徒会長としての、遥の知る彼女そのものだった。
口調はいつも通り厳しくて、先程こちらを向いた視線は鋭い。
胸元のリボンも、ブレザーを留めるボタンも何一つとしてほつれている部分がない。
髪にしたって、その整った切り揃え方一つとっても、毎日寸分の狂いなくセットされている前髪も、相変わらず優等生然としている。
それでも、確かだったのだ。
昨日、遥のバイト先——魔法少女コンセプトカフェ『ヴィエルジュピリオド』に彼女が来店したという事実は。
◆ ◆ ◆
「ねえねえ、遥くん。今日、最後の方に来てたお客様のこと、覚えてる?」
「……ええ、制服で来店してた方……ですよね?」
学校指定のリュックサックを背負い直し、私服にも着替え終わって帰宅しようとしていた折、遥は声をかけられた。
片手にはモップ、服装はラフなジャージ姿、髪だけがピンクのままなのはウィッグ関係なしに染めているからなのだろう。
「そうそう、なんかさ、服装が珍しかったのもなんだけど、遥くん、あの人が来店した時、一瞬だけ固まってたじゃない? もしかして、知り合いだったりするのかなーって」
「別に、そういうわけじゃ……ただ、知り合いと似てたってだけで」
「そうかな? 古今東西、あらゆる魔法少女の立ち振る舞いを焼き付けてきたあたしの目を誤魔化そうとしたって無駄だぞ〜?」
慌てて首を振りつつ否定はしたものの、掃除の最中で話し相手に飢えているバイトの先輩というのは思いの外厄介だった。
詰められた距離、モップの柄でうりうりと頬をつつきながら、杏は不敵な笑みを浮かべる。
「こら、杏。あなたはシフト中でしょ? 給料削るわよ?」
「マキさんっ!? ……っ、今日のところは見逃しといてあげるけど、次があるからっ! あたしから逃げようとしたって……」
「あなたの笑顔、今マイナス点よ。それに悪役じゃあるまいし、バイト中はそういう台詞禁止。どうして自分がピンクやれてるかわかってるんでしょうね?」
「わ、わかってます……わかってますからっ! と、とにかく、また明日っ!」
あれよあれよという間に事態は収拾した。
カランカラン、と。
来た時よりも若干忙しないベルの音を奏でながらドアが閉まる。
厨房から飛んできた援護射撃は想像していたよりもずっと強力で、あっさりと厄介な生き物たる杏を追い払ってしまった。
前日に何かがあったって、大体はけろっとした表情で次の日にはバイトに出てくる。魔法少女データベースが記憶容量の大半を食ってしまっているせいか、多分覚えておけないのだろう。
杏がそういう人物であることを遥は十分に理解していた。
かと言って、チョロい訳でもない。自分の興味をとことん追求する姿勢。それはバイトを始めたばかりの時、遥がよく参考にしていたものだったけれど、これが悪い方向に行ってしまえば話は別だ。満足するまで逃してはくれなかっただろう。
バイトの先輩、第一回人気投票一位、魔法少女のピンクは流石に一味違う。
夜風が頬を撫ぜた。多少のタバコ臭さとコンクリ臭さを孕んでいて、それでもビルの隙間を通ってきたからか確かに冷たい。中途半端にしか空調の効いていない店内とは大違いだ。
ほんの少し安心感を覚える夜の匂いに、思わず遥は深く息を吐いた。
そうだ、確かに杏は追い払えたものの、もっと気になる事があったはずだ。
先程やってきたのは、本当に衿華だったのだろうか。
あくまでも遥は直接接客をした訳ではない。その上、おかたい彼女がここに来る、というのはどうにもイメージが浮かばなかった。
店を間違えたということも、彼女に関してそれはないだろうけど——何らかの罰ゲームという可能性もあり得るのではないか。
それに、そもそも人違いということだってあり得る。
この件は一旦保留とすることにして、遥は肩にカバンをかけ直した——。
◆ ◆ ◆
——と。昨日の出来事を回想しながらも、気づけば作業は終わっていた。
「……ええ、こんなものでしょう。お疲れ様でした」
ノートパソコンを閉じて、遥は立ち上がった。
未だ、目を細めて衿華は作業を続けている。帰り支度に入った遥のことはもう視界に入っていないようだった。
おおよそ二時間ほど顔を突き合わせたけれど、やはり昨日来た相手が衿華だったという確証は得られなかった。
やっぱり、人違いだったのだろうか。
「それでは、お先に失礼します」
ドアに手をかける。
強い手応えののち、軋みながらそれは開いて。
その時、僅かに衿華の瞳は遥の方を向いた。
けれど、それもほんの少しの間だけだった。特に声をかけるでもなく、すぐに画面の方へ戻ってしまう。
——何だったんだろう。
そんな疑問が過ぎる。
それでも、気になることは他にもある。そんな一瞬の出来事なんてすぐにどこかへ行ってしまった。
今日はシフトが入っていなかったために、多少ゆっくりと。
カツン、カツン、と。革靴が床を打つ音がしばらく廊下にこだました。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「こんにちは、遥くん」
暫定衿華が来店してから三日ぶりのバイト。
遥が支度をしている時、真っ先に話しかけてきたのは杏だった。
ほつれた髪に、首筋に滲んだ汗。今日も早い時間からバイトをしていたのだろう。
それにしても、彼女がどのようなシフトの入れ方をしているのか——それは、遥にとって気になることではあったものの、彼女ははぐらかすばかりで中々答えてはくれなかった。
「そういえばね、この間の子、ここ最近毎日来てるんだ」
「この間のって……制服の子が毎日……ですか……?」
「うん、大体三回ぐらい……かな。一昨日は遅め、昨日は早めの時間だったよ」
杏の言う通り、三回と言えば確かに初来店から毎日来ていることになる。
ともすれば、店を間違えたという線は消えてしまった。
「それでね、少し変わった子なんだ。そもそも学校帰りの女子高校生——なんて、この店じゃ珍しいじゃない?」
「……確かに」
「で、三日間ともあたしが接客したんだけど——いっつも色々聞いてくるの。衣装は誰が作ったのか——とか、この店の細かいコンセプトとか、果てには魔法陣のモデルとか——答えちゃいけないやつは誤魔化したけど。しかもね、あたしが答えるたびにその子——ノートを取ってるの」
半ば恐ろしいものでも見たかのようにぎゅっと自分の身を抱きながら杏は説明する。
コンセプトカフェに来てまでノート——勉強熱心というか、あまりにも度が過ぎている。聞いたことがない。
しかも、彼女の説明から察するに吸収しようとしているのはこの店のノウハウだ。とはいえ、他店舗からのスパイでもそこまで露骨なことはしない。
「コンセプトカフェとか、慣れてそうでしたか?」
「ううん、それが全然なの。パフォーマンスもじっとこっちを見てるだけだし、最後まであまり会話もないし、あとはほとんどメニューとか周りのお客さんを見たりとか——ほんと、珍しいよね」
例えそれが普通の客だったとしても遥は首を傾げていただろう。随分と珍しいタイプだ。
けれど、それに加えて衿華なのでは、という疑惑まで付いている。
聞けば聞くほど妙な話だった。
「……その人、今日も来そうですか?」
「そうそう、本題はそのことなんだけどね——って、あ、マキさん」
杏がそこまで口にした時、ちょうどロッカールームにマキが入ってきた。
それも、僅かに口角を上げながら。こういった表情には見覚えがあった。
「——今日から新しいバイトの子が入るから二人にも顔を合わせてもらおうと思って。ここ、入っていいわよ」
普段通り、新しいバイトが来た時のマキそのものだったけれど、それに次いで入ってきた相手を見た時、遥は目を丸くした。
曰く、毎日来ているとか。
曰く、ノートを取っているとか。
三日前とは違って、至近距離で。制服は着たまま、肩掛けカバンを抑えたまま、彼女は——暫定衿華はそこにいた。
一瞬、他人の空似かと思った。
それでも、近くで見たからこそわかる。
「“黒咲衿華”です。今日からよろしくお願いします」
一切、そんなことはなかった。
三日前から遥の脳内で膨れ上がっていた仮説は、あっさりと打ち砕かれた。
彼女は遥の知る黒咲衿華その人だったのだ。
既にウィッグも装着してある。
メイクも済ませ、衣装に着替えた。
反応を見るに、自分が遥であることには気づいていないだろう。
辛うじて。
本当に辛うじて、見つけられた思考の逃げ道はそれだけだった。
けれど、たった一つ残されたものすらも次の瞬間には塞がれた。
「それで、あなたには衿華ちゃんの教育係をしてもらおうと思うの」
マキが指した相手。
「お手数をかけてしまいますが、よろしくお願いします」
衿華が頭を下げた相手。
それは、紛れもなく遥だった。
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