#2 「魔法少女になるということ」
「——ねえ、手、取ってよ」
忘れもしないその言葉。
ほとんど押し付けがましく、差し伸ばされた手に触れた瞬間。
思えば、それが忘れられなかったのだと思う。
◇ ◇ ◇
「——教育係……? 僕が、ですか……?」
普段より幾分か下がったトーン、ただ疑問だけを孕んだ声音に危機感を覚えて。
それでも、声が上がりきらなかった時にするようにトンと自分の胸を叩く——余裕は、今の遥には無かった。
「そ、もちろん給料は弾むし、これはあなたの高い能力を鑑みて、でもあるの。どうかしら」
まさに混乱の最中にあった遥の思考回路なぞお構いなし、マキは普段と変わらないトーンでそう言い放つ。
多分、悪意はない。本当に何も知らないだけなのだろう。
学校の先輩が魔法少女をやろうとしてて、その先輩はおかたい生徒会長で、しかも僕は今その人の前で魔法少女コスをしていて——。
そうそうない——というか、そんな頻繁にあってたまるか。
胸中でツッコミを入れつつも、何か逃げ道を探ろうとして。それでも、最大の悩みの種——衿華はちっとも待ってはくれなかった。
「——それでは、よろしくお願いします……えーと」
制服のスカートを軽く持ち上げもう一度お辞儀し——それから、少し困ったように眉をひそめると、
「……なんて、お呼びすれば?」
これまたひどく丁寧な口調で彼女は聞いてきた。
「あー、まだ紹介が中途半端だったわよね。この子は——」
「——“ヴィエルジュブラン“です。こちらこそ、よろしくお願いします」
……言ってしまった。
無理矢理にでも割り込まなければ、次の瞬間にはマキの口から自分の名前が発されていた——その可能性に行き当たったからこそ、名乗ってしまった。
学校の先輩に、魔法少女としての自分の名前を。
「……ヴィエルジュ、ブラン——ですか。そうお呼びすれば良いのですね。承知しました」
外の人間だと思っていた衿華が魔法少女としての自分の名前を呼ぶことに多少の抵抗を覚えつつ。
とはいえども想像しうる最悪の事態は避けられたらしいことに、ほんの少しだけ安堵する。
ヴィエルジュブランが真白遥であるということ。
それに恐らくまだ衿華は気が付いていない。
少なくとも傍目から見れば、二人の間に何か関係がある、と。そういう風には見えないはずだ。
「おーっ! 乗り気のブランっ! あたしいわく、これはレアだよっ!」
「ん、やる気バッチリじゃない。少し意外だけど、それなら安心ね」
だが、そうは言っても。
おー、とばかりに拍手する杏に、逃してくれないマキ——あまりにも周囲は地雷原だらけだ。
今遥が一歩踏み出してしまったのは多分、そんな場所だった。
だからと言って、今更退くことができただろうか。
「それでは衿華さん。早速——エスコート、させてください」
始めてしまったらやり通すべき。一年と少しのバイト歴の中でそう学んでしまったから。
「オマケにブランお得意のエスコートっ! 大体の子はこれでイチコロだもんね。さすが——」
「杏先輩、今は大丈夫です。そういうの」
取り繕った声音、言葉、魔法少女としての精一杯だとはいえ、はっきり言って気恥ずかしいけれど。
こうしていれば、遥として相手に向き合わなくてもいい。相手を納得させ、自分でも無理矢理納得できるなら、一番効果的な方法に思えた。
「……ええ、是非」
けれど、多少は沸いたギャラリーとは対照的に衿華は表情ひとつ変えることなく。
ただじぃっと上目遣い、熱視線と言ってしまえば聞こえはいいが、正直品定めされているような——そんな居心地の悪さに思わず目を逸らしてしまう。
「改めて、よろしく、お願いします」
一応の握手のつもりで遥が思わず差し出してしまった手は無視されたまま、もう一度お辞儀。
瞳だけは遥を捉えたまま幾度か瞬かれる。
濡れたように艶めく虹彩、その奥に湛えられた真っ直ぐすぎる光。
仏頂面——全く変わらない表情ゆえか、いつにも増して鋭く思える視線を前に思わず遥は目を逸らしてしまった。
かくて、まともに目すら合わせず。
ともすれば、自己紹介すらちっとも進んでおらず。
そんな状況下で、魔法少女・ヴィエルジュブランは先輩兼教育係になってしまった。
「ブラン……先輩」
——自身の、先輩にとっての。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
魔法少女になるということは、ハードである。
魔法少女たちが開くお茶会の中で乱入してきた怪物の撃退——要するに給仕。
ヴィエルジュピリオドがコンセプトカフェである以上、その過程には複雑な段取りが多い。単なる給仕ではなくその中にパフォーマンスも組み込まれているからである。
ある程度は個々に任されているものの、床に魔法陣を投影するタイミングの調整のために必殺技の詠唱、決めポーズには何秒要する必要がある、とか。果てには他の魔法少女のパフォーマンスを遮らないためにあまりヒールで音を鳴らしすぎるな、とか、むしろマニュアルによって厳密に定められているからこそ、こなすのが難しいこともあるのだ。
「——輝く月よ、小夜に光の雨を」
ただ、それだけにあっさりと。
衿華は“マニュアル通り“を体現してみせた。
「“ブラン・セレナーデ”」
遥と同じセリフ、衣装は取り敢えず制服のままでいいから今日は練習を——と相成ったわけだったが、二回目の給仕にしてタイミングは完璧、もちろん手際も問題なし。注文も取り違えず、ステッキにセットするケチャップとホワイトソースを取り違える——なんて典型的なミスもしない。
遥と全く同じキャラクターで給仕をやるというわけには行かないにせよ、これなら勝手が変わってもすぐに合わせてしまうだろう。
「……これ、僕、要りますか?」
あまりに理想的すぎる“魔法少女”像に思わず出てしまった素を隠すこともせず、遥はそう漏らしてしまった。
「——確かに、あなたが教えることはほとんどないかも。所作も手際も衿華さんは優秀だし」
「じゃあ、教育係として僕がずっと付いている必要も無さそうですね」
「……案外、そういうワケにも行かないのよ」
教育係という一番リスクの高い役割は思いの外一過的なものなのかもしれない。
否応なしに期待がこもった遥の呟きにマキは苦笑した。
「むしろ、ああいうちゃんとした子ほど、逆に必要なのよ。教育係がね」
なぜかと聞き返そうとして。
けれど、その時にはもうマキは衿華の方に行ってしまっていた。
「いかが、でしょうか?」
「ん、完璧よ。それじゃあ、今日は最後に衣装合わせといきましょうか。ついでに衿華さん。あなたの名前も決めないといけないしね」
「了解しました。それと、ブラン先輩も——私の給仕、いかがでしたか?」
不意打ちで自分に振られた質問に、思わず身が縮こまりそうになるのを堪えながら。
「ええ、とても——理想的だったと思います」
そんな言葉で遥は濁した。
相変わらずの衿華の仏頂面に、どこか不安を覚えながら。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「新品の衣装なのだけど、サイズは合ってるかしら?」
「……ええ。それは問題ありません」
胸元に留まった漆黒のリボン、それとは対照的に純白のロリータ。
襟や袖を装飾するフリルまで白一色なせいか一見すると清楚にも思えたけれど、スカートは随分と短い。制服がよく似合う衿華が着ていると考えるとかなり大胆だ。
そのスカート丈に慣れないからか、それとも、スカートを膨らませるパニエにあまり慣れていなかったからか。その表情からは恥ずかしがっている——だとか、そういった感情は読み取れなかったけれど、手で裾のあたりを抑えながら衿華は頷いた。
「うん。なら、あとは名前だけね。えーっと、あなたは黒担当になってもらうつもりだから——」
「……黒、ですか?」
「そう。決め手はあなたの髪、そこまで伸ばしてるのも見事なものよ。だから、武器にしていくべきね」
そう返答しつつも名前の由来にできそうなものでも探していたのだろうか、マキは眉間にしわを寄せながらスマホをスワイプしていたが、不意に割り切ったかのように顔を上げると、
「うん、もうド直球でいいわね。“ヴィエルジュノワール“。それで行きましょう」
そう宣言した。遥の時もそうだったが、案外こういうところに関してマキは適当なのだ。
「ええ。誠心誠意努めさせていただきます」
しかし、衿華は特に気にも留めていないのか、自分の“魔法少女としての名前“が決まったことにテンションが上がるわけでもなく、かと言ってマキの適当なネーミングにツッコむわけでもなく、相変わらず淡々としていた。
「——大体こんなものかしら。あとは……そうね。バイト中すぐ聞きたいことがあったら、教育係に。そういう形でいい?」
一瞬、マキの口から教育係という単語が漏れてドキリとしたものの、自分が教えることなんてほとんどないだろう。
彼女が言う通り、大体は終わったのだ。案外、衿華について明日から危惧するべきことはそこまで多くはないのかもしれない——そう思うと多少は気が軽くなってくる気もしたけれど。
「承知しました。それでは……ブラン先輩、苦労をおかけするかもしれませんが、明日からまた、よろしくお願いいたします」
もしくは、そうやって納得することで不安を押し殺したかっただけなのかもしれない。
次の日、遥が教育係に任命されてから二日目のバイト明け。
衣装にこびりついたケチャップのくすみと、コップの破片で切ってしまった自身の指先を見つめながら、衿華は俯いていた。
魔法少女になるということ。
気楽な想定からたった一日で、遥はその難しさを思い知った。
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