〝魔法少女〟のバイト事情、ワケアリにつき。
恒南茜(流星の民)
プロローグ 「魔法少女のバイト事情」
カラオケに行けば同性の友人よりもキーの高い曲が歌えた。
高い戸棚にあるものには手が届かず、まだ家族頼りだった。
休日の朝、家族の誰よりも早く七時前に起きる習慣もずっと残っていた。
生まれつき高かった声は、声変わりを経てもなお高いままで。
それに加えて、丸まった肩、あまり伸びなかった背丈、そして——好きなもの。
高校二年生になるまでの間に変わらなかったものは、いくつもあった。
例えそれらが些細なものだったとしても。
それはきっと——少年を〝魔法少女〟にするための魔法だった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「——お怪我はございませんか?」
コツリ、と。
ヒールの踵が床を打つ。
夜の帳が下りた街、裏通りに建つ寂れたビル。
一階はテナント募集中、二階も然り、ともすれば両方とも掃除の一切が行き届いておらず、煤けた窓ガラスに覆われている——その三階。
夜の街、その上で寂れた建物に巣食っているものといえば何か。
——怪物である。
「大丈夫ですか、それなら良かった。あとは——お任せ下さい」
泡立った真っ黄色な体表。
その中心に埋まった紅い瞳は爛々と輝き。
口も牙も然り、両者にべったりとこびりついたものは周囲の暗さも相まって赤黒い。
「お相手は、ボク——『ヴィエルジュブラン』が務めさせていただきます」
けれど、そんな怪物と対峙してもなお〝魔法少女〟——ヴィエルジュブランは一切怯むことなく悠然と佇んでいた。
肩まで伸びた純白の髪、一房に編まれたそれを止める半月型のバレッタ。
それとは対照的に漆黒、身を包むワンピースはゴシック調。
フリルを僅かに揺らしながら掲げられた手には、一杖のステッキが握られていた。
「——輝く月よ、小夜に光の雨を」
天上より光が差す。
煌めくレースとフリル、ヒールの下、広がる魔法陣。光の中で一転、黒は白へと染まる。
「——〝ブラン・セレナーデ〟」
刹那、ブランの全身を光が包み——怪物に向けられたステッキの先にも光が灯る。
強まる光の中、ステッキの先から放たれたもの。
その輝きは異形ごと白く塗りつぶす。
数瞬して、光が収まると同時に傾けていたステッキを天に向け、ブランは息を吐いた。
決して怪物は物言わず。もう、そこに危険はない。
「これで浄化は完了いたしました。それでは、ボクはこれで失礼します」
——と、いうよりも。
元々それは打倒すべき敵でもなんでもなかったのだ。
結果から言ってしまうと、その場に残されたのは化け物を模したソトヅラ……を、ホワイトソースで上書きされたオムライスだった。
トマトでできた瞳も、ケチャップで描かれた牙や口も、ホワイトソースによって上塗りされた。
魔法少女コンセプトカフェ——『ヴィエルジュピリオド』
〝魔法少女たちのお茶会〟をコンセプトにした内装、照明やプロジェクターを用いて再現された魔法少女らしい演出。
演出のために絞られた照明と立地のせいか、あまり目立つことはなかったけれど。
三階。物々しいビルの中、知る人ぞ知るといった形で『ヴィエルジュ』は今日も営業していた。
そして、たった今仕上げの済んだオムライス。
次の魔法少女の出番まで絞られている照明、時間も相まって客もまばらな中、軽い会釈と共にブランがその場を離れようとした時だった。
「あの——もしかして、男の子の方……ですか……?」
ボクという一人称のせいか、それとも他の魔法少女よりは多少低い声のせいか、きっと好奇心ゆえだったのだろう。一つ投げかけられた質問。
「——さあ、どちらでしょう?」
けれど、それははぐらかされた。
口元に当てられた指先と、軽いウィンク。
少し大袈裟なターンでフリルを揺らしながら、ブランが背を向けて去っていったからである。
そして、好奇心を上塗りする分にはそれは十分すぎた。
呆けたような客と仕上げを終えたオムライスを置いて、ヒールの音が響く。
かくしてまた一つ、浄化こと——給仕が終わった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……あっつ」
「……ちょっと真白さん、折角セットした髪が崩れちゃうでしょ?」
今しがたウィッグを外そうとしていた手はその場で止まった。
そのまま所在なさげに手を彷徨わせる——までもなく。
「……あ、ごめんなさいマキさん。つい……」
『ヴィエルジュブラン』という魔法少女としての名前はさておき。
副店長兼厨房担当——マキに名指しで注意され、遥は申し訳なさそうに頬を掻く。
「暑いのは確かにわかるわよ。でも、またすぐに出てもらわないといけないんだから。しっかりしておきなさい」
一度露わになりかけた汗ばんだうなじ、それは頭上で回っていた扇風機がどれだけ頼りないものであったかをはっきりと表していた。
空調の効きが悪い建物、それも厨房ともなればまだ初夏とはいえかなりの熱気である。
長い間やってきたバイトとはいえ、普段の髪形のせいか慣れづらい感覚だ。ウィッグの長時間着用は遥にとってかなり堪えるものだった。
大人しくウィッグを手で整え、ついでにレースに絡まった埃も軽く払うと、遥はマキに向き直った。
「それじゃ、ソースの温めも終わったし。次の給仕、よろしくね。あと一応、外ではボロを出さないように」
「……わかりました」
補充が終わったボトルをステッキに取り付け、背筋をピンと伸ばす。
意識的に歩幅は短く、されどヒールの音を響かせるために素早く刻む。
〝魔法少女〟たるもの、堂々とした姿勢は大切である。
幼少期から何度も魅せられてきた姿を今一度反芻しながら、遥は厨房から一歩、踏み出した。
——“魔法少女・ヴィエルジュブラン“こと
一年経てば背が伸びると言われて少し大きめにした学ランは結局二年生になっても袖丈が余ったまま。
髪は男子用の校則に合わせてしっかりと首にかからないよう切り揃えられている。
生徒会書記を務めているだけあって、普段は規範に従った服装だ。
中学校で着用していたブレザーは学ランに変わった。
髪は、厳しくなった校則のせいで以前よりも短くなった。
それでも、規則に合わせて容姿を変えていったところで変わらないものはあったのだ。
ずっと——〝魔法少女〟が好きだった。
幼少期の頃から姉にテレビを占領されて、魔法少女ものばかり見せられてきたから。
気づけばオープニングを歌えるようになっていて。姉がクリスマスや誕生日に貰った変身アイテムを拝借して、誰も居ない間によく一人で遊んでいたものだった。
そんな中でもようやくわきまえるために。距離を置くようにしようとした、中学三年生の三月。
春から通う高校の最寄り駅近くを探索していた時、迷い込んでしまった裏通りで遥は“魔法少女コンセプトカフェ“——と、看板を掲げている物々しいビルを見つけた。
バイトとして入ってから、もう一年が経とうとしている。
昼は男子高校生、夜は魔法少女。
不慣れなことはたくさんあったけれど、遥は自分なりにこの生活を謳歌していた。
あくまでも、今、この瞬間までは。
カランカラン、と来客を示すベルが鳴る。
思わず、そちらに目を向けて。
そこに、いた。
一瞬止んだ、ヒールの音。
傍目から見ても動揺していることは明らかだっただろう。
それでも、遥はそこから視線を剥がすことができなかった。
腰あたりまで伸びた艶やかな髪はもちろんウィッグではなく地毛、校則通りヘアピンできっちりと分けられた前髪から覗く、切れ長な——鋭い印象を与えさせる瞳。服装は——遥が通っている学校の女子用制服、ブレザーのままだった。
よく言えば清楚、悪く言えば本人の性格を体現するようなおかたい容姿。
そして、週に一度生徒会室で顔を突き合わせてはよく文句をこぼす女子生徒。
——
一学年上、三年生の先輩。
そして、彼女は遥が所属している生徒会のトップで——本来なら「ここ」とは縁がなさそうな相手。
学校で一番おかたい立場——生徒会長。
そんな彼女が、遥を見つめていた。
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