13.流しそうめん

 壁に掛けられた時計がかちこちと音を立てて時を刻んでいる。応接室として使われ、その機会も使う人も限られている部屋なので、元々は時計はなかったらしい。ほとんど誰も見ない時計を買う予算はない、という理由で。なので、今ある時計は、私物だった。それもゼンマイ式である。丁寧に手入れすれば電池いらずで長持ちするので、資源の限られている地下都市ではゼンマイのような動力をもっと活用すべきだ、という意見もあることはある。少数派だが。

 それはともかく、鹿屋がこの時計の音を聞くのは、ずいぶんと久しぶりだった。久しぶりというか、二度目である。支局長と話をするのも。

「忙しいところ悪いね」

 向かいのソファにどっしりと座るのが、支局長である。ここへ配属されて半年ほどは、鹿屋の肩書きは目の前の支局長付きだったが、今はその肩書きはなくなり、現在の働いている部署になっている。

「地上には今も出てるのかい」

「はい。整備士として仕事をしていますので」

 支局長は、ほう、と感心したような声を漏らす。

「幹部候補がここへ配属になることはあるが、実際に地上に出る者はなかなかいないよ。たいがい嫌がるからね。視察として一度出て、それきりだ」

「……」

 今の部署でしばらく頑張れ、と言ったのは目の前の上司であった、と鹿屋は記憶しているのだが。すぐに音を上げて異動を願い出ると思っていたのだろう。

「ここになじんでいるようだね。藤原さんからも、よくやっていると聞いているよ」

 一人で何かを納得したのか、満足げに何度も頷く。

 その様子からすると、異動の話ではなさそうだ。もうそろそろ、異動の話が来てもおかしくはないのだが、まだらしい。がっかりしたような、ほっとしたような気持ちが湧いてきて、持て余してしまう。

「最下層の拡張工事が決定したのは、もちろん知っているね」

「はい」

「これからいよいよ本格化するにあたり、空調局はますます忙しくなることが予想される。関係部署との連携も密に取らなければならない。中心となる国土建設省との連絡も欠かせないから、その窓口が必要になる。それを、鹿屋さん、君が担当してくれ」

「私が、ですか?」

「君は国土建設省からの出向だし、うってつけだろう。向こうには、君が窓口になると連絡してあるから」

 拒否する権限はないし、その理由もないのだが、事後承諾というところが少々おもしろくなかった。が、もちろん口にはしない。〈春時〉の拡張工事という、何十年に一度の事業に末端とはいえ関われるのだから、素直に嬉しかった。

「藤原さんにもこの件は伝えてあるから、心配せず今まで通り働いてくれ」

「……窓口業務と並行して、ですか?」

「もちろんだよ。当面はさほど忙しくもならないだろう」

「……はあ、了解です」

 つまり、鹿屋の担当業務が増えただけである。いや、やる気はもちろんあるが、出向だから、といいように扱われている気もする。


 拡張工事は何年も前から計画されていただろうから、鹿屋が空調局に出向となった理由は、窓口業務を任せるためだったのだろうか。

 いや、それなら辞令が出た時に説明があったはずだし、支局長も何か言っただろう、と支局長室を辞した鹿屋は、自分の事務所に戻りながら考えていた。

 空調局にちょうど出向になっている職員がいるから、ちょうどいい、窓口になってもらおう、と上の人達が思い付いただけのようにも思える。

 ともかく、支局長の言う通り、当面はまだ大した仕事もないだろうし、中央と直接繋がった仕事ではあるし、頑張ろうではないか。

 自席に戻った鹿屋は、支局長に呼び出される前に取りかかっていた仕事を再開ししようとして、懐かしい名前からメールが来ていることに気付いた。


   ●


〈春時〉の昼間を演出していた照明の光量はぐっと絞られ、中層の大きな天井には月が昇っていた。駅前は多くの人々が行き交い、これからますますにぎやかさをます店に、めいめい吸い込まれていく。

 鹿屋も周囲の人々と同じように、駅近く居酒屋ののれんをくぐった。

 元気で愛想の良い店員が奥から出てくる。店で落ち合う約束をしていた相手の名を告げると、こちらです、と個室に案内された。

「よ、お疲れ」

 先方は既に来ていた。ワイシャツの袖をまくり上げて頬杖をつき、タブレット端末のメニューを眺めていた。脇に置いた鞄から、ネクタイの端っこがはみ出ていた。

 大学時代からの友人で、国土建設省に同期で入省した西園にしぞのだ。彼は今も最下層の部署に勤務しているので、スーツにネクタイだ。

「お疲れ。久しぶりだな」

 一方の鹿屋はポロシャツにスラックスという出で立ちだ。仕事では作業着に着替えるので、通勤する時の服装は、最下層にいた頃に比べるとずいぶんラフになった。

「誘っても、おまえがいつも断るからだろ」

 どこか拗ねたような口調で、西園が鹿屋を軽くにらむ。しかし、すぐににっと笑った。

「今日は断らなかったな。久しぶりに会えて嬉しいよ」

「……タイミングが良すぎたからな」

「とりあえず飲み物とつまみを頼もう」

 西園はタッチパネルを操作して、ビールとつまみをいくつか注文した。

 すぐにやって来たビールはよく冷えていた。

「それでは、鹿屋との久しぶりの再開を祝し、仕事でのよりよい関係の構築を願って、乾杯!」

「乾杯……って、やっぱり、本省の窓口は西園なのか」

 メールでは仕事の話には何も触れていなかった。

「空調局と水道局との調整役が俺になったんだよ」

 グラスを置いた西園の上唇にうっすらとビールの泡が付いている。

「空調局は鹿屋が担当だって聞いてさ。これはもう直接会ってよろしく言うしかないだろうと思ったわけ」

 枝豆を口の中に放り込み、西園が笑う。

「まさかまた一緒に仕事ができるとは思わなかったよ。改めて、よろしく頼む」

「――こっちこそ。相手をするのがお前なら、気も楽だな」

「おいおい、友達だからって気を抜くなよ。仕事は仕事として、ちゃんとやってくれ。さっきの口振りからすると、俺が担当ってのも知らなかったみたいだし。大丈夫なのか?」

 支局長には、窓口になってくれと言われただけで、向こうは国土建設省のどこの誰なのか、聞かされなかった。そのうち連絡が来るだろう、と追い出されたのである。支局長が知らないわけがないだろうが、知らされても忘れたのかもしれない。

「……まあ、支局長が割と適当な感じの人だからな」

「最上層の支局を任されるだけのことはあるな」

「なあ、もしかして、俺が空調局に出向になったのは、今回のためだったのかな」

「さあなあ。そうかもしれないし、違うかもしれないし。上の人達が考えたことだろう。俺にはよく分からない。……が、この先色々と面倒事や厄介事があるであろうと思うと、気心の知れた奴が一人いるだけでも、だいぶ違うね」

「気を抜くなと言ったのは誰だよ」

 さっきのお返しとばかりに言ったところで、お待たせしましたー、と元気のいい声と同時に個室のドアが開いた。

「おお、来た来た!」

 西園が歓声を上げる。

 運ばれてきたのは、つゆの入った器が二つ、薬味がいくつか、ゆでて水切りされたそうめん、そしてテーブルの半分を占領する大きな謎の装置だった。装置の下は楕円形のたらいで、なみなみと水がたたえられている。たらいの端からは五十センチほどの棒が上に向かって延びている。その棒のてっぺんから、透明で小さな縁のあるスロープが延び、棒の周りを螺旋状に取り巻いて、もう一方の端はたらいの中心まできていた。

「なに、これ?」

「流しそうめん機だよ。夏の風物詩、流しそうめんがこうやって楽しめるのさ」

 たらいの脇にあるスイッチを西園が押すと、モーター音と共に、スロープに水が流れ出した。スロープのてっぺんから、西園がそうめんを投入する。白く細長い固まりが、棒の周りをぐるぐると回って流れていく。ずっと見ていたら目が回りそうだ。

 なるほど、たらいの水を汲み上げてスロープの上から流しているわけか。たらいの中の水を循環させているとはいえ、上層ではお目にかかったことが――いや、中層出身の鹿屋でも、今まで見たことがなかった。水をたっぷりと使う流しそうめんは、ちょっとした贅沢品だ。

「おーい、そうめん食べようぜ、鹿屋」

 メニューで流しそうめんの値段を確かめると、なかなかである。西園が聞きもせず頼んだので、向こうに少し多めに払ってもらおう。

 流れていく麺の一団を箸ですくい取るというのは、やってみると、簡単そうで簡単ではなかった。うまく取れたと思っても、箸に引っかからずに流れていく分も多い。一口分をすくうためには、何度も上から流さなければならないし、自分で流して自分ですくうのは味気ないので、一人が流して、一人がすくうという形になる。

「おい、待て、流すタイミングが早い!」

「鹿屋が下手なんだよ。さっきは一本しかすくえてなかったじゃん。そろそろ交代しろ。俺もそうめん食べたい」

 やってみると、二人でわいわい言いながらの流しそうめんは結構楽しかった。たまにはこういう贅沢もいいものだ。

「最近、空調設備の故障が多いんだってな」

 流しそうめん機は片付けてもらい、またふつうに飲み始めていた。流しそうめんをしている時は飲む暇がなかったので、二人ともまだほとんど酔っていなかった。

「ん、まあ、そうだな。上層は〈春時〉で一番古いから、まあ、そういうこともあるよ」

「――これはあくまで噂なんだけどな。噂といっても、広く知れ渡ってるものじゃなくて、空調関係のあたりでひっそりと噂されてるってものなんだけど」

「なんだよ、くどいな。どういう噂なんだ?」

「……空調局に、拡張工事の反対派が入り込んでいるかもしれない、という噂だ。出所はどこか分からないし、単なるデマかもしれない」

 そう言う割に、西園の表情は、流しそうめんをしている時とは全然違っていた。

「この前、上の方で漏水事故があって、自分たちがやったと犯行声明を出した連中がいただろう」

「知ってたのか。下じゃニュースにもなってないと思ってたよ」

「俺だって空調に関わってるんだぞ。知ってるさ」

「悪い、そうだな」

「そこに来て、そんな噂を耳にしたんだ。鹿屋、上司でも部下でも、一応、気を付けておけ」

 すぐに思い浮かんだ顔は、堀川や古海だった。それから、藤原、秋元、同じ事務所にいる面々。

 彼女たちを疑うのはあまりいい気分ではないが、西園の表情は真剣そのもので、単なる噂だろうとあしらえるような雰囲気ではなかった。

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透明なわたしたち 永坂暖日 @nagasaka_danpi

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