12.門番

 古海は大きなため息を吐いた。先日のデモは混乱も滞りもなく実施された。平穏無事に終わったのはよかったが、いかんせんなかなか広がらない。ペルスピクアの他のメンバーも同じように感じている。

 そしてまた、ため息を吐いた。

 スワンから、〈春時〉の配管の図面を入手してくれ、と頼まれたのだ。空調局に潜り込んだ直接的な成果を、いよいよ上げる時がきたのだ。

 ただ、古海は図面がどこにあるのか、知らなかった。あったとして、〈春時〉全体をカバーしている図面が、上層の空調局内にあるだろうか。

「〈春時〉の空調関係の図面が欲しいんだ。それもできれば、深部の図面が」

 ここでいう深部は、最下層のことではない。居住区に張り巡らされている配管ではなく、地上の吸排気口と直接繋がっているような場所のことだ。吸排気口直下の設備は、普段の仕事の範疇なのでよく見ている。

 研修で、中層より下にも空気清浄や送風のための大きな設備があり、一度見学にも行った。関係者以外、空調局員であっても立ち入り禁止の場所だ。

 スワンは、そこの図面が欲しいという。

「どうして、そんなものが必要なの?」

 一度見たことがあるから、おおよその場所は分かる。図面が欲しいということは、それでは物足りないということだ。

「……手に入れたら話そう」

 古海は理由を一応尋ねたが、深部の図面と指定された時点で、疑念はあった。あったが、怖くて聞けなかった。

 まさか壊すつもりなのか、とは。

 深部にあるものを破壊したらどうなるのか、古海には具体的には分からない。だが、この前のように一部が水浸しになるだけでは済まないことは、容易に想像できた。

 そんなことをしたら、怪我人や、下手すれば死人が出るかもしれない――。

「おはよう、古海さん。どうかしたの?」

 鹿屋が、悪い想像を振り払おうと頭を振っていた古海を不思議そうに見る。

「いえ、なんでもありません! おはようございます!」

「お、元気~」

 古海は着席する鹿屋を横目で見ていた。いちばん頼みやすい相手は、チューターである彼だ。

「あの、鹿屋さん」

「ん?」

「〈春時〉の空調設備関係の図面って、どこにあるんですか」

「図面? どうしてまたそんなものを」

「勉強のために見てみたくて。自分が普段メンテしてる給排気口とか、どこにどう繋がってるのか知っておきたいんです」

 鹿屋がじっと古海を見つめる。急に図面が見たいと言い出した理由が本当なのか、もしかして疑っているのだろうか。内心でどきどきし始めたら、鹿屋がにっと笑った。

「勉強熱心だね。いいことだよ」


 図面は、資料室の専用端末で閲覧できるようになっていた。鹿屋が自分のIDカードをかざし、端末を立ち上げて操作する。ずらりとファイル名が並んだリストが表示された。区画ごとに図面が分かれているようだ。

「ここで配管の図面が見られるよ。ただし、ファイルのコピーや書き写しは禁止。写真や動画も撮らないでね」

「本当に、見るだけなんですね」

「うん。重要な資料だからね。だから、閲覧したらアクセス記録が残るようになってる。閲覧者、閲覧日時、開いたファイルと開いていた時間なんかも記録されるらしいよ」

「そうなんですか」

 あっさり見られたと喜んだのも束の間、思っていた以上に管理が厳しい。

 古海は、天井の一角をちらりと見上げた。監視AIカメラが、入室した時から鹿屋と古海を見張っている。端末を操作する以外の行動を取ったら、不審行動と判定されて警備員がやってきそうだ。

 書き写しもできないのはきつかった。古海が頭にたたき込んで、資料室を出てから何かにメモするしかない。

「見るだけでも十分勉強になると思うよ。ほら、これがいつも俺たちが点検している排気口。地下にこう繋がっていて、ここに送風ファンがあって、フィルターを通ったあとに一部分岐して、こっちの方が下層に向かっていて――」

 鹿屋も、空調局に来たばかりの頃、図面を見て勉強したらしい。

「――と、配管をたどってみるのも、意外とおもしろいよ。夢中になりすぎるのは気を付けないといけないけどね」

「はい」

 資料室に行くと言えば、勉強しに行ったと鹿屋は思うだろう。周囲にもそう伝えてくれるはず。古海が資料室に行くこと自体は、これで不自然なことではなくなる。ただ、アクセス記録が残るのだ。自分の担当以外の図面ばかり見ていたら、誰かに怪しまれるかもしれない。

 スワンが必要とする図面を探し出すのが、とりあえず先決だろう。彼が何故必要とするのか、その理由は考えないことにした。余計なことを考えていては、図面の中身を覚えられない。

 これは、空調局に入り込んだ古海にしかできない役目だ。〈春時〉をよりよい都市にするために、自分を役に立てる時なのだ。

 そう思うと、不安は消えて、かわりに昂揚してきた。


   ●


「鹿屋君」

 一日の業務を終えた古海が帰った後、残業していた鹿屋の元に堀川がやって来た。

「今日、古海さんに図面を見せたの?」

「はい、勉強したいと言うから。なんで堀川さんが知ってるんですか?」

「システム部から、鹿屋君と古海さんが図面を見ていたけど、その理由は何だと問い合わせが来たんだよ」

「え! 見せちゃまずかったですか?」

「鹿屋君が図面にアクセスするのは久しぶりで、古海さんは初めてだったから、一応問い合わせたって感じだけどね。勉強のためって返事しておくよ」

「はあ、お手数かけます。ついでですけど、今後、古海さんのアクセスが増えることも伝えておいてもらえますか」

「うん、わかった。でも、ずいぶん熱心だね、古海さん」

 堀川は、持ち主が帰ったデスクを見やる。

「そうですね。図面もずいぶん熱心に見ていて、席に戻ってからもなんかメモ取ってました」

「図面の?」

「たぶん」

 堀川は、じっと古海のデスクを見ていた。そこでメモを取っていた彼女の後ろ姿を見るかのように。

「……入局間もないのに、ずいぶん熱心だね」

「外勤希望と言って入ってきたんですよね、古海さん。だからじゃないですか? 俺がここに来た時とは大違いで、感心します」

 国土建設省の上級職として採用された鹿屋は、空調局――それも上層の――に異動した当初は、左遷されたのだと、ちょっといじけていた。

「そうだね。でも、古海さんは地上には嫌々行っているように見える時がある。異動してきたばかりの頃の鹿屋君みたいに」

 あの時は、堀川が鹿屋のチューターをしていた。だから、嫌々だったのは、まあばれていても仕方がない。仕方がないが、今になると恥ずかしい。忘れて欲しいくらいだ。

「ま、まあ、希望して入っても、地上が想像と違ってたから、というのはあると思いますよ。世の中が思っている以上に、実際、地上は危険ですし。あそこに、嬉々としていく人なんていないでしょう」

「……まあね。でも、勉強したいのが配管の図面だけじゃないみたいでね。整備士が携行できる武器のことも、勉強したいみたいだよ」

「そうなんですか?」

 地上に行く際の携行武器については、鹿屋が教えたし、使い方やメンテナンス方法について何度か聞かれたが、それは通常の範囲内だろう。ただ『携行している』と『携行できる』は少々違う。

「地上が思っていたより怖いから、もっと強力な武器を持っていきたい、とか……?」

「そういう考え方もあるね。古海さんは、恐がりなのかもしれない」

 堀川は苦笑した。けれど、すぐに表情を引き締める。

「わたし達地上に出る整備士は、ある意味門番だ。空気の門番でもあり、無人兵器に対する門番でもある。奴らと遭遇したら、〈春時〉への侵入を阻止するために戦わなければならない。命がけの仕事だ」

 このところ、鹿屋は無人兵器を見かけることはなく、他の班でも報告は上がっていない。いつも何事もなく帰ってこられるから忘れがちだが、堀川の言う通りだった。

「地上に出たら、何があるか分からない。だから体も鍛えた方がいいと、はじめに言っておいたんだけど。今のところ鍛えてる様子はないね」

 確かに、鹿屋も肉体トレーニングについては訊かれたことがない。勉強を優先しているのだろうか。それとも、体を動かすのはあまり好きじゃないとか。

「勉強熱心なのは、大いに結構じゃないか」

 いつから聞いていたのか、藤原が二人のそばにやってくる。事務所には今日は他の局員もいるからだろう。

「やる気がある者は大歓迎だ。うちはいつでも人手不足だからね。堀川の言うことも一理あるけど、堀川みたいに仕事もして体もしっかり鍛えて、とはなかなかいかないよ。せっかく来た新人なんだから、焦らず教育してやってくれ」

 と、鹿屋の方を向いて言うので、鹿屋は頷いた。

「そう言えば、堀川さんは筋トレもチューターに教えてもらったんですか?」

 鹿屋は、堀川に鍛えた方が何かといいと言われたことはあるが、教えてもらったことはない。しかし彼女の言うことはもっともだと思い、自分で調べたり、ジムに通って鍛えている。

「……いいや、違う人」

 そう言って、自分のデスクに戻ってキーボードをたたき始めた。

 体を鍛えるに越したことはないが、それは業務外なのは昔から変わらないらしい。

「とにかく、鹿屋。古海のことは頼んだよ」

「あ、はい」

 自分のデスクに戻る藤原を見送り、鹿屋も自分の仕事を再開した。

 これが終わったら、しばらくさぼっていたトレーニングをちゃんとやろう。

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