11.飴色
こんにちは。
何度も打ち込んでは消し、打ち込んでは消してを繰り返し、結局書けた文章はこの程度。長すぎず短すぎず、素っ気なさはあるが、しつこさがあるよりはいいだろうと自分に言い聞かせ、送信ボタンを押す。
応答は即座にあった。
『送信先にブロックされています』
無情な返事に、白島は小さく息を吐いた。
こうなるのは分かり切っていたのに、それでも時間をかけてメッセージを書いた自分を笑わずにはいられない。
これほど未練たらしいとは、自分でも思わなかった。――いや、未練たらしいから、スワンと名乗り、ペルスピクアに出入りをしているのだ。
●
スワンこと白島は、中層に近い上層で暮らしている。職業は野菜工場の従業員。日々の仕事をこなし、夜はオンラインゲームに興じる、上層でも下層でもどこにでもいる、ごくふつうの青年だった。
三年前、当時の白島がはまっていたゲームは、混乱期の地上を舞台にしたRPGだった。一人でも楽しめるが、仲間と共闘しても楽しめるゲームで、白島はゲームの中で知り合った仲間とチームを組んで楽しんでいた。
他の地下都市とは基本的に交流ができない。インターネットは各都市と繋がっているが、通信量に制限があるため、民間人は使えないのである。ただ、都市内のネットワークには自由にアクセスできるので、ゲームのプレイヤーは、〈春時〉のどこかにいる住人だった。
ゲームの中では、上層も下層もない。力を合わせて過酷な世界を生き延びるために、協力し合わなければならない。暗黙の了解で、どこの階層に住んでいるかは言わないし、訊かない。その状況が気に入って――もちろんゲーム自体もおもしろくて――白島はほとんど毎晩、ゲームの世界にログインしていた。
白島がよくつるんでいた仲間は十数人ほど。その中に、谷岡がいた。
ハンドルネームはもちろん本名ではない。白島はその時、シマヅというハンドルネームを使っていて、谷岡はクルリと名乗っていた。
シマヅとクルリとして初めて会ったのがいつなのか、正確なところは覚えていない。五年くらい前だろうか。ゲームが配信されて間もない頃から白島はプレイしていたし、谷岡もそうだったはずだ。
他の仲間と共に協力してゲームを進め、時にはストーリーと関係のないことをして遊び、ゲームはまったく進めず、ただしゃべるだけのこともあった。そういうことをしているうちに、クルリを仲間ではなく、一人の女性として意識するようになっていったのだ。
ゲームの外で会ってみないか、と誘ったのはシマヅで、クルリは快諾した。そして初めて、互いの住む階層を明かしたのである。
白島は、クルリが〈春時〉のどこに住んでいても気にしない自信があった。元々、上層に住んでいるのだ。
心配だったのは、クルリが気にするかどうかだ。上層に近い中層の住人であっても、上層を馬鹿にする者はいる。今までの対話から、彼女は住んでいる場所など気にしない、という印象を持ったのだが、もしもそれが白島の思い込みでしかなかったら。果たして、クルリは〈春時〉のどこに住んでいて、上層に住むシマヅをどう思うのか――。
ゲームで、巨大な無人兵器と戦った時よりも断然緊張した。
「そうなんだ。じゃあ、中層で会おうよ、お互いの中間で」
白島の懸念と不安を吹き飛ばす明るい声だった。彼は一人、ディスプレイの前でガッツポーズしたのだった。
初めて直接会った時のことは、よく覚えている。白島は青いストライプの入った白いシャツに紺色のスラックス、黒い合成皮革の靴で中層に向かった。スーツでは堅すぎるし、かといって余りにラフな服装では格好が付かないと思ったのだ。
待ち合わせ場所は、中層のターミナル駅前。大勢の人が行き交う中でも、谷岡が目印だと教えてくれた、鼈甲色の髪はすぐに見つかった。谷岡のアバターであるクルリと同じ色だった。
「初めまして――って言うと、なんだかよそよそしいね」
「そうだね」
ほとんど毎日、ゲームの中では会って話をしていたのだ。アバターと同じなのは髪の色だけで、顔も体型も全然違う。谷岡は、アバターよりも少しぽっちゃりとしていたが、いつも聞いていた声だから、クルリと谷岡の姿は、白島の中ですぐに重なった。
人類がまだ地上で暮らしていた頃、オンラインゲームで知り合い、恋愛関係になったり、生涯のパートナーになったりするのはよくあることだったという。世界中にプレイヤーがいたゲームなら、色々な国の人とも交流できただろう。
現在のオンラインゲームでも、同じことはある。ただ、かつてほどではないだろう。ゲームの世界にいるのは〈春時〉の住人ばかりだが、住んでいる階層はバラバラだから。
白島と谷岡は、ゲームの中で相変わらず一緒にプレイするだけでなく、時々中層で会うようになった。同じゲームをしていて話題は尽きないし、ゲームと関係のない他愛のない話でも、会話はいつまででも続けられた。
もっといつまでも、谷岡と話していたい。一緒にいたいと思うようになるまでに、さほど時間はかからなかった。
白島は上層の住人なので、中層は問題ないが、最下層の滞在時間には制限がある。一方の谷岡も、中層は問題ないが、上層の滞在時間に制限がある。
もっと長い時間を共に過ごす――たとえば同棲しようと思っても、簡単ではない。住む場所さえ確保できれば、谷岡は中層に移住できる。しかし白島は、できないのだ。上から下への移住は、許可がなければできない。そしてその許可は、そう簡単には出ないだろう。
白島は生まれも育ちも上層で、現在の住居も職場も上層にある。居住場所が限られている中、彼が中層に移住して、そこから上層にある職場に通う理由は、〈春時〉全体から見ると、ないのだ。
下へ行くほど空気はきれいで、新しくて、発展している。誰もが下に住みたがり、その自由を許していたら、あっという間に最下層は人口過密になってしまう。
本当は、谷岡は上層にも移住できる。下から上への移住の許可は下りやすく、ほぼ自由だと言っていい。けれど、環境の悪い場所へわざわざ移住する物好きはほとんどいない。
それに、谷岡は国土建設省の職員だ。職場は最下層にある。上層に移住したら、通勤が大変になるから現実的ではない。
そういうことが、二人の間で話題になるくらいになっていた。落とし所は、やはり中層だろう。谷岡にわざわざ上層に移住してもらうのは気の毒だ。
「でも、国土建設省は支所や関係部局が〈春時〉中にあるから、異動願いを出せば、上層にある部署に行けると思う」
「いやいや、待ってくれ。上層は、予想以上に大変だよ。空気は悪いし、古いし、きれいじゃないし」
「自分が住んでるところなのに、そこまで言う?」
半ば呆れ顔で、谷岡は笑っていた。
「住んでるから、言うんだよ。俺はやっぱり、中層がいいと思う。移住権をもらうために、中層の仕事を探さないといけないけど」
「……ねえ、移住権を取るなら、他にも方法はあるよ」
「どんな?」
「わたしと結婚するの。違う階層に住む者同士が結婚した場合、どちらかの階層に移住していいんだよ」
思わぬ提案に、白島はしばし言葉を失い、谷岡を抱きしめるので精一杯になった。
その時が、白島の人生の中で最高に幸せだった。いや、この先も同じように感じる瞬間が、何度でも訪れると、疑いもしなかった。
●
白島は、今も上層に住んで、上層にある野菜工場で働いている。
谷岡も――三年前と同じだろうか。今も最下層に住み、国土建設省で働いているだろうか。
彼女の現状を、白島は知らない。
二人の仲が終わりを告げたのは、あの後すぐだった。娘が上層に住む男と会っていると知った谷岡の両親が、交際に猛反対したのだ。
谷岡も仕事をしている一人の大人だが、両親にとっては、いつまでたっても大事な娘。その娘から真剣な交際だと言われても、聞く耳など持たなかった。まして結婚の話まで持ち出しては、上層に住む男にたぶらかされている、利用されるにちがいないとますます強く反対し、火に油を注いだも同然だった。
谷岡はゲームにログインしなくなった。連絡も取れなくなった。それだけではない。
「君は向こう五年、中層を含むその下の階層への立ち入りが禁止される」
谷岡の父親は、自治省の幹部だった。谷岡にストーカー行為をしたとして、その他にも連絡先の破棄、五百メートル以内の接近禁止も、直々に言い渡された。
「――職権濫用が甚だしいですね」
精一杯に睨んだ白島を、谷岡の父親は恐ろしいほど冷たい目で見た。
「上層に住む君は、空気みたいなものだよ。
空気は、上の方ほど淀んでいる。そんな空気が下に漏れ出そうとしたので、防いだ。当然だろう。漏出を迅速に防ぐため、私が動いただけだ」
彼は、どうやら本気で白島を空気みたいなものだと思っているらしかった。言いたいことを言い切った谷岡の父親は、白島の存在などもう忘れたかのように足早に去っていった。
怒りで沸騰した喉から声が出そうになる。それを懸命にこらえながら、白島はどこまでも冷たい背中を睨んでいた。あの背中が見えなくなった時、谷岡との本当にわずかな繋がりさえなくなるのだと思うと、目を離すわけにはいかなかった。
谷岡は、今は何をしているだろう。
「行きたい時に、行きたい場所に自由に行けたらいいのにね」
ある時、彼女はそう言った。今も、変わらずそう思っているだろうか。
いつでも自由に最下層へ行けるなら、彼女を捜すのに。
白島はやるせない気持ちを抱えたまま、送信エラーとなったメッセージを削除した。
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