10.ぽたぽた
仮想空間ペルスピクアには、いつもよりたくさんの仲間が集まっていた。人型のアバターが多いが、スワンのような鳥や、猫、犬、架空の生き物のアバターを使っている仲間もいる。ペルスピクアの仲間は四十人ほど。今ログインしているのは二十一人だった。思い思いの場所で雑談をして、スワンのログインを待っていた。
いつもより人が多いのには理由がある。
先日の水道管破裂事故だ。あれは、ペルスピクアの仲間がやったことだった。犯行声明に名前こそ出さなかったものの、ペルスピクアの主張を突きつけたのだ。
鹿屋と並んでディスプレイの中の犯行声明を見た時、内心ではかなり緊張していた。手にはじっとりと汗をかいていたし、心臓の鼓動は自分でも分かるほどだった。それを堀川と鹿屋に悟られなかったのは、我ながらよくやったと思う。
古海の仲間が水道管を壊し、犯行声明も出したから、だけではない。破壊場所の候補を見繕ったのは、古海だったからだ。
人気が少なく、古いところで、壊しても影響が小さいところ。そういう場所はないかとスワンに訊かれ、古海は、鹿屋について回って見た中で、該当する場所をピックアップした。だから、水道管の近くに送風管があったのではなく、送風管の近くに水道管があったのだ。
ペルスピクアの仲間の役に立ったという達成感はあるが、犯行声明は二日後にはネット上から削除されてしまった。ニュースでも、当日に報道されただけだ。上層の出来事を中心に扱うメディアが、翌日も少し触れたくらいである。
中層に住む仲間によると、上層でのこの出来事を知らない人もかなりいるらしい。
「スワン。遅かったな」
仲間の一人が声を上げる。見慣れたシロサギが翼を折り畳み、悪い、と長い首をちょこんと下げた。
「早速本題だけど、アデル、空調局ではこの前の件を、どう捉えている?」
アデルこと古海が空調局で働いているのは、もちろんこの場にいる誰もが知っている。古海がペルスピクアにログインしてから、仲間に同じことを訊かれたが、リーダーであるスワンが来るまで、と答えないようにしていた。なので、仲間の視線が古海に集中する。
古海は、漏水事故翌日の堀川や鹿屋とのやりとり、その後のことを思い出しながら、口を開いた。何を言うかは、何度も頭の中で繰り返していた。
「――老朽化による事故、という可能性も考えてる」
犯行声明を出したのに、と誰かがすかさず声を上げるが、周囲の仲間がたしなめた。古海はまだ話し始めたばかりだ。
「犯行声明は、わたしの上司やその上の上司も、中身までちゃんと読んで知ってる。だから、事故じゃなくて破壊された可能性も、考えてる。むしろ、その可能性の方が高いと考えてると思う」
「それで、空調局としてはどうすると?」
「……何も」
「何も? 何もしない、ということか?」
スワンや同じく驚く仲間の言葉に、古海は罪悪感を感じながら頷いた。
「あの犯行声明が本物で、この先も同じようなことが起こるかもしれないじゃないですか。その時は、どうするんですか?」
先日の件を特に重大なこととして扱わないと知った時、堀川に訊いたのだ。
「どうもしない。壊れたら直す。今まで通りだよ」
「壊されるのを待つだけなんですか」
別に待っているわけじゃないけど、と堀川は肩をすくめる。
「故意に壊した者がいるなら、そいつを捕まえるのは警察の仕事だしね」
「空調局としてできることはないんですか?」
「古海さんは、どういうことができると思うの?」
逆に訊かれて、思わず言葉に詰まる。
「……その、老朽化してるところを修繕しようと、世間に訴えるとか……」
「あの犯行声明と同じことを空調局が世間に訴えるの?」
「まあ、そういうことになりますけど……壊される前に言えば……」
「設備の更新は、毎年のように本省に訴えてるよ。足りないけど予算が付いて、少しずつ修繕もしてる。ま、ほんとに少しずつだけど」
「世間がこの状況を知れば、もっと予算が付くかもしれないんじゃないですか?」
「〈春時〉全体で見るなら、残念だけど上層の味方をしてくれる世間は少ないと思うよ」
「この前みたいな犯行声明があるから、これ以上のことが起きないためにと訴えてみるのは?」
「古海さん」
堀川の口調は聞き分けの悪い子供に言い聞かせるみたいだった。
「テロリストの言い分を喧伝するなんて以ての外だよ。この前も言ったけど、彼らのやり方は間違ってる。間違っている彼らの犯行声明を片手に修繕の予算を付けてくれ、なんて空調局が言い出したら、テロリストは自分たちの要求が通ったと思って、更に大きな要求をするようになる。更に間違った方法でね」
老朽化は空調局も認めるところだ。ならば、拡張するより修繕をと訴えるペルスピクアは空調局の味方だと思ってくれてもいいのに、堀川はそう考えてはいなかった。
堀川とのやりとりを話し終えると、あちこちから不満の声が上がった。中には、怒っている声もある。
スワンがおもむろに翼を大きく広げた。刺々しいざわつきが収まるのを待って、広げた翼を畳んだ。
「――つまり、空調局はペルスピクアの存在も主張も無視する、ということだな」
空調局としては、スワンの言う通りだ。古海は頷いた。
鹿屋に、堀川の考えをどう思うか尋ねたが、彼も堀川と同じ意見だった。藤原や他の局員もおおむね同じような考えだろう。犯行声明について、翌日こそ話題になったが、それだけだ。もう誰も口の端に乗せない。
「迷惑だ、と言う人も」
周囲の雑談も意識して聞いていたら、迷惑がる会話はいくつもあった。
「ふん、空調局からすれば仕事を増やされるだけだからな。予想はしていたよ」
「どうする、スワン。警察は動き出すかな」
メンバーの一人がやや不安そうな声で尋ねる。
「アデル。空調局は被害届を出したのか?」
「……ごめんなさい、分からない。あそこの修理や調査は、別の班がやっているから。まだ終わっていないみたいだけど」
「空調局にいるのに、分からないの?」
別のメンバーからの、失望と不満の混じった声に、古海はいたたまれなくなって、身じろぎをする。
「新人が、他の班の仕事にまで首を突っ込むのは……。変に怪しまれるかもしれないし」
空調局の新人として、覚えないといけないこと、やらないといけないことも多い。よそのことよりまずは自分の仕事だと、鹿屋にたしなめられるだろう。
まだ何かを言おうとしたメンバーを、スワンが制する。
「修理も調査も終わってないなら、被害届もまだだろう。なら、警察もまだ動かない」
会した一同は、その言葉に一応納得の表情を浮かべる。アバターばかりなので、本当の本人がどんな表情かは不明だが。
「警察は動かないが、拡張工事はどんどん進んでいるはずだ。我々も止まるわけにはいかない。ますます頑張ろうじゃないか、みんな」
この週末、中層ではデモを決行する予定なのだ。仲間達全員が、力強い声を上げた。
けれど――。
デモは、決められた書式で届け出をして行うので、妨害されることはない。中層の、人がもっとも多く集まる広場でペルスピクアの主張をプラカードにしたり、声に出したりして道行く人々に訴えた。チラシを配り、飛び入りも歓迎だと呼びかけたが、反応は芳しくなかった。
拡張工事の決定が公表されてから初めてのデモだ。飛び入りの参加者は、少しは増えている。けれど、手応えは少ない。
予定していた時間を迎え、三々五々帰っていく参加者を見送っていたスワンは、どこかやるせない表情を浮かべていた。アバター、まして鳥の姿では表せないような表情だった。
「――間に合わないかもしれない」
「え?」
声は小さく、彼がなんと言ったか、古海ははっきりと聞き取れなかった。
「こんな、水がしたたり落ちるようなやり方じゃ、間に合わないかもしれない……」
何に間に合わないかは、聞かずとも分かっている。
間に合わないなら、間に合わすしかない。
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