05.蛍

 遠くにでこぼこしたものが霞んで見える。それが積み上がった瓦礫なのか、山なのか、古海には判別できなかった。

 いや、相当遠くにあるようだから、たぶん山だ。瓦礫であれば、逃げ込んで身を隠せたかもしれないのに。

 物音が聞こえた気がして、古海は慌てて振り返った。しかし、銃口の先に、動くものは何もなかった。

 舗装されていない地面が、灰色の空の下、どこまでも広がっている。人工的な建造物は何一つない。人の姿もない。

 はっきりと聞こえるのは、自分の呼吸の音だけ。もっと耳を澄ませば聞こえてきそうなほど、心臓は大きく脈打っていた。

 と、数メートル先の地面が、突然盛り上がる。悲鳴のような声を上げる間に、何本もの触手をくねらせた物体が飛び出してきた。触手は楕円形の体から延びているから、タコをモデルにした、無人兵器だろう。

 古海は地面を素早く這うタコ型兵器に向かって、立て続けに三発、発砲した。すべて外れる。

 触手が古海の足に向かって鞭のように飛んでくる。

 応戦するにはもっと距離がないとだめだ。

 古海は飛び跳ねて触手を避けると、着地してすぐに走り出した。幸い、古海の方が足が速い。

 十分に離れたところで、もう一度撃つ。だが、距離が開いた分、先ほどよりももっと外れ方がひどい。

 だめだ。古海の腕では、動くものを銃ではしとめられない。

 辺りを見回すと、拳大のごつごつとした瓦礫が目に付いた。被っていたヘルメットを脱いで、その中に瓦礫を入るだけ詰め込む。そうしている間にタコ型兵器が迫ってきたので、重くなったヘルメットを抱えたまま古海はまた距離を取るため走った。

 立ち止まり、ヘルメットの顎ひもを、瓦礫がこぼれ落ちないようにうんと短く調節する。その分余ったひもを手に巻き付けた。

 タコ型兵器が再び迫ってくる。触手が伸びてくるのと同時に、古海はヘルメットを振りかぶった。

 触手が足に巻き付く。しかし、ヘルメットが狙い通り、タコの頭に命中する。楕円形が大きくへこむが、触手はまだ足に巻き付いている。古海はもう一度ヘルメットを叩きつけた。足に巻き付いていた触手から力が抜ける。古海は、まだかすかに動いているタコ型兵器を思い切り蹴り飛ばした。

 放物線を描いて地面に落ちたタコは、それでようやく沈黙したようだった。

 安堵の息を吐いた古海は、しかしまた安心できない状況担っていることに気付いた。

 明滅しながら飛び回る無人兵器に取り囲まれていたのだ。

 黄みがかった光の一つ一つは、爪ほどの大きさだ。しかし、数が多い。数十はいる。小さいとはいえ、この数に気付かなかったなんて。

 光は、間合いを計るように飛び回っている。その動きと点滅を見て、ふと、記録映像で見たことがある蛍を思い出す。

 蛍も、明滅を繰り返しながら、ふわふわと舞っていた。暗闇で縦横無尽に飛び回る蛍がいる光景は、幻想的だった。

 そんな場違いなことを考えた古海の右腕に、小さな光が止まる。蛍によく似た形をしていて、思わず息を呑む。

 そして次の瞬間、蛍に似た無人兵器は、古海の腕の上で爆発した。


「……!」

 痛みはないはずだが、古海は悲鳴を上げていた。

「大丈夫か!?」

 鹿屋の声と共に、視界ががらりと変わる。

 周囲に広がるのは、荒廃した地上ではなく、無機質な空間だった。目の前にいる鹿屋は、マスクも防護服を来ていない。単なる作業着姿だ。

「は、はい……大丈夫、です」

 古海は自分の右腕を見た。彼女もまた、防護服ではなく作業着で、面体のないマスクをしているだけだった。飛び回る光もない。足下には、何も詰まっていないヘルメットが転がっていた。

 ついさっきまで古海が見ていたものは、仮想空間内の地上だった。鹿屋にむしり取られたVRゴーグルを通して、地上そっくりの光景を見ていたのだ。

 対無人兵器の訓練では、実戦もあるが、VRなどを使った仮想空間内での訓練の方が多い。電子的空間の中なら、様々な状況で無数の無人兵器を相手に訓練できるし、弾を消費しないで済む。

「古海さん。どうして、何もしないでぼーっとしてたの?」

 呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、鹿屋が訊いた。彼は、モニターで仮想空間内の古海の様子を見守っていたのだ。

「仮想空間じゃなければ、大けがしてたよ」

 鹿屋がVRゴーグルを差し出す。

「……あの光る無人兵器、最初は飛んでるだけだったので、様子を見てました」

 一瞬見とれていた、とは言えない。

「あいつは、そうやって人間の油断を誘うんだよ」

 注意する時でも、鹿屋は声を荒らげたりはしない。感情的にもならず、たしなめるのみだ。見とれていた、と正直に言っても、きっと怒らないだろう。

「地上で、ああいう光って飛び回る奴に遭遇したら、すぐにその場を離れるんだ。標的に接触したら自爆するし、叩き潰しても爆発するからね」

「はい。……あの、〈春時〉の周辺でも、出るんですか」

「たまにね。給排気口や地下への出入り口付近では見たことはないけど。もし、地上で遭遇したらすぐに待避して、遭遇場所をできる限り正確に、やっぱりすぐ報告するように頼むよ、古海さん」

「すぐ、ですか」

「うん、できるかぎり早く。あいつは、小さくて通信機能はほとんどないけど、その代わりに光って仲間に知らせるんだ」

 地上は、昼間でも灰色の空が広がり、地下よりもうっすら暗い。夜など真っ暗になる。

 そんな場所ならば、小さな光でも目立つだろう。

「仲間というのは、無人兵器ですよね」

「そう。それも、大型の。中型の場合もあるけど、いずれにせよ、やっかいな敵がどこかにいる合図だよ」

 鹿屋がゴーグルをむしり取らなければ、古海は右腕を負傷したまま、おそらくタコ型兵器より大きな無人兵器と対峙することになっていたわけだ。鹿屋に尋ねると、人間よりずっと大きな、蜘蛛型の無人兵器が出現する予定だったという。仮想空間内のこととはいえ、想像するだけでぞっとする。

「今の地上では、光るものは滅多にない。光を放つということは、無人兵器に見つかる危険があるということなんだ。古海さんも、肝に銘じておいてね」

 鹿屋の表情がひどく真剣で、古海は我知らず右腕を掴んでいた。擦り傷一つ負っておらず痛みもないはずなのに、腕が痛いような気がした。

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