04.触れる
「そうなんですか?」
最近鹿屋が対応した修理は、今日の一件だけだ。
「たまたま続いてるから、そういう気がするだけかもしれない。他の班でも、修理したっていう話を聞いてるから」
「ここは最上層だし、老朽化が進んでるんじゃないんですか? 〈春時〉建造から百年以上経ちますし」
「うん、まあ、そうだな。ただ、地上部分じゃなくて、地下の方ばかりなのが、ちょっと気になったんだ」
堀川は軽く肩をすくめた。
「いや、堀川の懸念は分かる」
少し離れた席にいる藤原が、その場から声を上げた。藤原のいつもよりも大きな声に振り返ったのは、鹿屋と堀川の二人だけだ。事務所には今は、鹿屋と堀川、そして藤原の三人しかいなかった。
「私も最近故障件数が多いのは気になっていた。我々の部が担当する区画内で報告された件数は、今年になって右肩上がりだ。先月故障や異常が報告されて、まだ対応できていない件もある」
堀川の元には、彼女の部下から上がる分しか届かないが、藤原の元には部全体から届く。
「そして、堀川が言う通り、地下の方が圧倒的に多い」
「でも、設備的には地下の方がたくさんありますよ」
地上部分にあるのは、主に給排気のための設備だ。しかし地下には、下に横に広がる都市内にまんべんなくきれいな空気を送り届けるための設備やダクトが張り巡らされている。
「ああ。だがな、鹿屋。今日、鹿屋が報告した件を含めて、経年劣化ではなさそうな故障が多いんだ。送風機のファンが欠けるほどの異物が、どうやってダクト内に混入する?」
「それは、確かに……」
「もちろん、経年劣化や耐用年数経過による故障もあるだろう。しかし、そうじゃない異常の方が多いと、私は考えている」
「そうじゃないと言いますと……」
「何者かによる破壊行為だ」
藤原の声は確信に満ちていた。
「そんな。何のために壊すんですか。下手すれば、新鮮な空気を送れなくなるのに」
鹿屋は思わず声が高くなったが、堀川を見ると、彼女は小さく頷いただけだった。どうやら藤原と同じ考えであるらしい。
「四月に、〈春時〉の拡張が決定したのは知ってるでしょ」
「それはもちろん」
人口増加と居住空間充実のため、〈春時〉では最下層の拡張工事が決定した。空調局は今後、拡張工事関係で忙しくなる。主には地上部分の給排気口の増設、地下部分の配管工事など。その他にも、雑多な仕事が増えるだろう、と拡張工事決定を受けて、藤原が皆の前で話した時のことを思い出す。
古海が入局した日だった。彼女を含め、部内全員に、これから忙しくなると叱咤激励したのだった。増員はあるだろうが、空調局の仕事は人気がないので人手が集まるかは未知数だ、とも言っていた。
〈春時〉の拡張には市民の大部分が賛成している。条件を満たした最下層以外の市民は、抽選で拡張区画に移住できるそうで、その枠は相当数用意されている、と噂になっている。
鹿屋は中層で育ったが、中央省庁に採用されれば最下層の居住権が手に入るため、猛勉強した。数年前のことである。晴れて国土建設省に入省し、数年は最下層で官僚として仕事をしていたが、空調局に出向となり、最下層とは真反対の最上層の部に配属となってしまい、今に至っている。
空調局に出向になったのはともかく、拡張した区画に抽選で移住できると聞いた時には、猛勉強した自分は何だったのかと思わなくもなかったが、抽選では確実ではないので、努力して良かったと思い直している。
「大部分の市民は拡張に賛成している。だが、反対する者も当然いる」
藤原の声が、心なしか険しい。
「そう人々が、何もしないでいるかどうかが心配なんだ」
「反対派の人たちが何かする、と?」
鹿屋の言葉に、藤原が頷いた。
「――私が空調局に入局したばかりの頃だ」
それは二十年ほど前の頃。藤原は、いまの鹿屋と同じくらいの歳だった。
鹿屋も生まれていたものの幼すぎて覚えていないが、小規模な破壊事件が頻発していた。
〈春時〉が建造されて百年以上が経過し、地上を実際に知るのは、空調局員など限られた人々だけになっていた。
そのためなのか、いったい何を思ったのか、地上はもう安全な環境なのだ、と主張する人々が現れた。彼らによると、地上は危険だと脅すのは、市民を地下に閉じこめて搾取したい政府の陰謀だという。
「地上解放戦線とかなんとか名乗っていたかな。まあ、空調局員なら地上が安全だなんて全くの間違いだと分かることを、本気で主張してたんだ」
藤原が深いため息を吐く。
それもそのはず。連中は、地上に行けばこんなものは必要ないのだと、地下都市内の空調設備を破壊して回ったのだ。不幸中の幸いは、大規模な破壊はなかったこと。なんとか戦線と名乗る彼らは組織化はされておらず、その主張を信じた人々が個別に活動していた。彼らの手が届く範囲にある設備を、棒で殴るなどして壊していた。
そうはいっても、壊されたら直さねばならない。
藤原のため息の深さとその表情から、彼女が当時、大変な目に遭ったのだろうと想像が付いた。
「〈春時〉内の色々な階層に戦線の主張を信じる連中がいたみたいだが、下の方ほど多かったようだ。最上層であの忙しさだったから、最下層の方はもっとだろう」
「犯人はどうなったんですか? 話からすると、大勢いたんですよね」
「ああ。だから、次々捕まったよ。そして、破壊事件は急激に減っていった。空調設備を壊された世間からのバッシングも激しかったからな」
今でもそうだが、市民のほとんどは地上に出たがらない。鹿屋だって、空調局に出向するまでは、自分が地上に出るなど想像したこともなかったし、今でも喜んで出て行きたいとは思っていない。
「連中の活動がかなり下火になってきた頃、一度だけ、現場に出くわしたことがある。今まさにダクトを外そうとしていた男を、一緒にいた同僚と取り押さえた。私も若かったからな、どうしてこんなことをするんだ、なんてその場で聞いたんだ」
藤原が肩をすくめる。いつも、堀川に負けず劣らず冷静な彼女が、激高するところを想像してみた。たぶん、怖い。
「地上はもう安全なんだとかいう、連中の主張通りの言葉が返ってきたよ。だから、じゃあ地上を見たことがあるのか、と聞いたら、ないと言う。連中は誰一人として、地上の空気に実際に触れたことはなかったんだ」
「……なのに、地上は安全だと信じてたんですか?」
「そのようだ。心底信じていたから、自分は間違っていないと思っていたから、壊せたんだろう」
水がなくとも人間はしばらく生きられるというが、空気が――酸素がなければ、人はあっという間に死んでしまう。戦線の主張が真実だったとしても、空気の供給がなくなれば、地下の人々は死んでしまうのに。
自分の行動が周囲にどんな影響をもたらすのか考えもしない連中に、ぞっとする。
「……藤原さんは、拡張反対派が、なんとか戦線と同じようなことをするかもしれない、と考えてるってことですか」
「反対派もいろんな主張があって、派閥とかも分かれてるだろう。だから、中には強硬手段を執る者もいるかもしれない。拡張工事とは関係なしに、かつての戦線みたいな主張を始める者がまた出てくるかもしれない。まったく違う理由を持つ者もいるかもしれない。ま、なんにせよ、空調設備を狙う者が現れたんじゃないか、と私は考えている」
「そんな……」
「我々の敵は、地上の無人兵器だけじゃない。時には地下に潜んでいることもある。堀川も、肝に銘じておいてくれ」
はい、と明瞭な返事をしたのは堀川だけで、鹿屋は想定外のことに、声が出なかった。
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