屋上の監視人

涼風れい

死ぬ資格


 今日、俺は死ぬ。

 この二十年間、親からは毎日「なんで生まれてきたの」「お前さえいなけりゃこんなことになんなかったのにな」と言われ続け、家庭に俺の人権などなかった。生きているだけで邪魔者扱いしてくる家族とももうおさらばだ。


学校も楽しくない。陽キャと呼ばれる人種の騒ぎについていけないが、それでも乗らなければ学校でまでものけ者になってしまう。そうやって今日も気を四方八方に使っていて、まるで生きている心地がしなかった。


逆に今まで生きていたことが不思議なくらいだ。


最後の場所に選んだのは、俺が唯一好きだった場所。辛かったり悲しかったりするとよくここに来ていた。小学生の時に親友と見つけた秘密基地。

でもそいつはもういない。殺された。事故だったと言われているが、俺は殺されたって知ってる。事故で処理されたのは犯人がお偉いさんの孫だったから。何が理由であいつを殺したのかはわからない。でも今もあいつを殺した奴がのうのうと生きている社会が恐ろしいし醜く感じる。そんな世界で生きるくらいなら、俺はあいつのところに行く。


そう決めたのに最上階に進むにつれて足は重くなる。あと十段……。九段……。もう前に進むしかないんだ。決めたから。


屋上の扉に手をかける。外の風が強くて少し重い。まるで俺の侵入を拒むかのように。


もうこれで最後だから、その思いで扉を押し開ける。するとさっきとは逆にすがすがしい風が歓迎するかのように全身を包んだ。


「やっと終わる」 


 今度は屋上の端に立つ。あとはもう一歩踏み出すだけだ。


「大丈夫」

 

 そう言って足を……


「君さ」


「えっ?」


 ほかに誰もいなかったはずの背後から声がした。女性のような、男の子のような声。


「君さ、本当に死にたいの?」


 百六十センチくらいの短髪で、それこそ男か女かすらもわからなかった。そいつは俺のことを知ったような顔をして言った。


本当に死にたいか……? 死にたくなきゃここまで来ないだろ、俺をバカにしに来たのか、こいつは。 


「は? 何言ってんだ。お前に俺の何がわかるって言うんだよ」


「分かるさ。君は僕の担当だからね」


「担当? 何言ってんだ? お前何者なわけ」


「う~ん、言ったら僕の話聞いてくれるの?」


 そいつは俺の立つ屋上の端に座って足を組み、こちらを向いてにやりと笑った。


「話? いや、いい俺は死ぬって決めた」


 気味が悪い。こいつの話を聞いたって変わらない。

 そうやってまた足を踏み出そうとする。


「ふ~ん」


 なんなんだこいつは。心を見透かしたような顔で見てきやがって。俺は死ぬって決めたんだ、だから……。

 足を踏み出した。

 これでやっと……。


「もう……、困るなあ。今のところはこんなむかつくやつの前で死ぬのは屈辱だってなるところでしょう?」


 その瞬間、飛び降りたはずの俺の体は元の位置に戻っていた。


「なんだ……これっ!」


「先生の話は最後まで聞きなさいって学校で言われなかったの? 君は僕の担当なんだから、僕は君の先生みたいなものなんだよ」


 耳元で不気味にささやく。


「うわ!」


 驚いた拍子に屋上の端から地面とは逆側に降りてしまった。


「僕が何者か? そうだなあ……さっきみたいに先生と言ったら聞こえがいいかもしれないけど、監視人だね、君の」


 降りた隙にあいつが端に移動して俺が乗れないようにした。


「監視人……」


「みんながみんなについてるわけじゃない、僕らだって人間という種族と並べるくらい人数はいないからね。君みたいに三年以上死にたいと思っている人に当てられる。あと身内が死んだ子とか? そういう子はす~ぐ自分もそっちに行くってなっちゃうし。君はその両方だからそりゃあつくよねえ」


 それって死神みたいなことか……?


「アハハ! 死神とかやめてよ~怖いじゃん。ターミル族。終点って意味のターミナルから来てるらしいよ? だからわかりやすく言えば人生の終点の門番みたいなものかな」


「心の中……読めるのか」


「えっだって僕君の監視人よ? 読めるでしょそりゃあ」


 嘲笑った顔で俺を見下ろす。


「いちいちむかつくなお前。ほんとに死ぬぞ」


 また端に足をかける。


「無理だよ?」


 パチンとあいつが指を鳴らす。


 体が、重い。


「君ね、僕が見えた時点で今日は死ねないよ」


 重い体を少しづつあいつのほうにむける。


「どういう……」


「言ったよね。人生の門番って。君は不合格だったの。死ぬ資格、ないの」


 死ぬ資格って……生きる資格もないのに死ぬ資格もないってなんなんだよ。


「死ぬ資格があるのは一定数の人がその死で泣くことが決定してる人だけ。君の友達もその条件に合ってたから死んだ。そうじゃなかったら、刺されても生きてたかもね。でも君は家族にも愛されず、友達もいないんだよね? 悲しいね」


「だから死にたいって言ってんだろうが! 俺に居場所なんてないんだよ!」


 分かり切っていることをいちいち言わなくていいんだよ、こいつには人の気持ちを考えることができないのか? 考えてることはわかるのに皮肉なもんだな。


「君がやるべきことは死じゃない、そうでしょ?」


 やっと体が軽くなり、近くにあったベンチに腰掛けた。


「なら友達づくりか?」


 はあ、とため息をつきながら背もたれに身を任せ、夜空を見上げた。


「違う」


「ならなんだよ!」


 イライラしてきて声を荒げてしまう。


「人を笑顔にすることだ。最後に泣いてくれる人の数は生きているうちに笑顔にした人の数」


 あいつは風に吹かれながら下を指さした。


 笑顔……? でも俺は面白くもないしそれこそ友達もいない。そんな俺が誰を笑顔にできるっていうんだ。


「そうだ、君の前の担当もいたんだけど、知りたい?」


「あ、ああ」


「佐々木純恋」


 にやにやして言った。


 佐々木純恋は俺が人生で初めて好きになったアイドルだ。と言っても中学のころの話だが。でも彼女はとても明るい子だった。こいつがの担当になるということは死にたいと思っていたということ……。


「驚いた? 彼女にも死ぬ資格なかったんだよ。まあ、今はあるかもね」


「彼女の前にもお前が現れて同じことを言ったのか?」


「ああ。もちろん。彼女も君と一緒。何がわかるのって言ってたさ」


 そりゃあそうだ。いきなり現れた知らないやつに、本当に死にたいの、なんて言われたらみんなそうなるに決まってる。


「でも彼女はそれでアイドルになってたくさんの人を笑顔にした。君にもそうなってほしいわけ」


「俺がアイドルになれってことか?」


 無理だろ。アイドルなんて俺にはできるわけないんだ。


「ははははっ!」


 あいつは大きな声で嘲笑した。


「君、馬鹿なの? アイドルだって人を選ぶよ」


「じゃあどうしろっていうんだよ!」


 さっきからこいつは人の気分を害するという行為しかできないのか? 明確な手段も提案しないくせに。


「とことん君は自分のことわかってないね。君がいるおかげで笑顔にすることができるところ、あるでしょ?」


「え?」


 まったく思い浮かばない。家族なわけはないし、兄弟だっていないし、ましてや彼女なんてものもとっくの昔に消えた。


「バイト。君知らないかもしれないけど評判いいんだよ、店長と客に。君が育った環境が相当きつかったから無意識のうちに人に接する態度が丁寧になってたのさ。それにそこには家族もいないし学校っていう塊もないから実はのびのびしてたんじゃない?」


 確かに、バイトをしていて嫌な客が来た時以外は、生きている中で苦痛感を一番感じなかった場所かもしれない。


「君もさ、もう二十歳になって大人になったんだから、あんな家出て自分のやりたいこと見つければいいじゃない。世界は広いんだよ? 今はバイトが一番最後に泣く人数を増やせるかもしれないけど、もっといいところもあるだろうしね」


 あいつは屋上の端から端を、おっとっと、とバランスを取りながら歩いている。

「幸せと不幸せは平等に振り分けられるって決まってんの。それの偏りが激しいだけで。君は今、圧倒的に不幸せが勝ってるけど、てことは幸せが待ってんの。どうせ死ぬなら幸せ味わってから死のうよ」


 そして満足げに端から降りて風になびかれた髪を整えている。


「幸せ、か。なれんのかな、俺に」


 自分の手に視線を落とし、呟く。


「はあ~。これだから人間は。ヒントね。さっきも言ったけどバイト、あれ続けてたらいいこと起こるから、いったん信じて続けてみなよ」


 ベンチのそばに立ち、俺を見下ろす。


「何か起こるって具体的に何かまでは教えてくれないんだな」


 あいつを見上げて言う。


「それ言っちゃうと上から怒られるから無理。まあわかったね、今君が置かれている状況は、死ぬ資格のない人間で、とりあえずバイトを続けて最期の泣きっ面を増やすこと」


 また端の上に飛び乗った。


「君、もうちょっと早く理解してくれないとさあ~ほんと残業代出してほしいくらいだよ。今後二度と来ることがないようにしてよね」


 そう言ってそいつは端から足を落とし、すっと降りていった。地面の方向に。


「あっおい!」


 急いで下を見下ろすと、そこには落ちる人影すらもなかった。その代わりに、ベンチにさっきまでなかったはずの「監視終了」と赤い印の押された紙が置いてあった。

 

 

 今でもその出来事を頻繁に思い出す。


 バイトを続けた俺はその後、「君を気に入った!」というおじさんに秘書をさせられた。どうやらこのおじさんは「頭のいい奴じゃなくて人のいい奴こそがパートナーであるべき」がモットーだったらしく、急に迎え入れることになった会社側はかなり困惑していたし、おそらく、俺のことをよく思わない人間もいたと思う。でも、俺は笑顔を振りまいてみせた。昔の家より何倍も居心地が良かったから。それに人のいい奴を集めているだけあって、笑顔にさせるのにも無理な努力もいらなかった。


 幸せか不幸せか、と聞かれると多分幸せなのかもしれない。少なくともあの頃よりは幸せだといえると思う。


今の俺には家庭がある、金もおかげさまである。


今なら死ぬ資格があるといえるのだろうか。


今ならあの時の自分に向かって「生きてみろよ」と言えるのだろうか。


今なら、あいつに出会えてよかったと言えるのだろうか。




屋上の、監視人に。


                        

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