第二十三話『僕の課題』

――氷室さんとの打ち合わせ場所に指定されたカフェに訪れた時、店内はやけにざわついていた。


 その大半を占めるのは午後のお茶会に興じている女性たちで、視線はとある一点に注がれている。それぞれのグループが別の話題で盛り上がっているのではなく、一つの共通した話題によってこのざわめきは生まれているらしい。


 正直に言うと、僕はそのざわめきの根源が何であるかを知っている。……というか、ざわめいていない時の方が少し珍しいとも言えるだろう。……だって、その視線を一身に集めているのは――


「お待たせしました、氷室さん」


「いえ、時間五分前ですからお気になさらず」


 僕が軽く頭を下げて氷室さんに挨拶すると、氷室さんは読んでいた本から顔を上げて微かに会釈を返す。……そのやり取りを見て、店内がまた少しざわついた。


 この店内がざわついていたのは、氷室さんの見た目に起因するものだ。黒髪をピシッと整えて銀縁眼鏡をかけたその姿はとても厳格な印象を漂わせているが、それでも隠し切れないほどのイケメンオーラを放っている。……氷室さんが編集者になった理由については何回か聞かせてもらっているけれど、今でもなぜも出るとかの道に進まなかったのかは不思議で仕方ないことの一つだ。


 というか、その中で動じる素振り一つ見せないからなおさらすごいんだよな……。こんなに視線集めてるのに自分のペースを何一つ崩さないし、意識するような様子もないし。……もしかしたら、自分のやることに没頭して見られてることに気づいてすらいないかもしれない。


「ああ、おかけになってください。休日ですし、ゆっくりと時間が取れますからね」


「はい、それじゃあお言葉に甘えて。僕が来る前に何か注文とかしました?」


 氷室さんの言葉を受けて僕が席に着くと、ざわめきはまたしても強くなる。……氷室さんの待っていた相手が僕であることが、周囲の人たちからすると不思議で仕方ないようだった。


 ま、それも当然の話だ。かたや三十代だという事を一切感じさせない厳格な大人、かたやどう見たって高校生の男子。接点があるようには到底思えないし、親子というには年が近すぎる。……僕が来たことによって、謎めいたイケメンである氷室さんの謎はさらに深まってしまっていた。


「いえ、そういうのは性に合いませんので。……照屋さんはいつものコーヒーですか?」


 それに僕が頷いてこたえると、氷室さんは淡々とテーブルの端にあった呼び鈴を押す。早足で駆けてきた氷室さんが注文を済ませると、黒く鋭い眼が僕を捉えた。


 余談だが、『照屋さん』と呼んでもらっているのは僕がお願いしたからだ。公衆の面前で『赤糸先生』と呼ばれることには、まだ少しだけ抵抗があった。


「……どうでしょう、進捗のほどは。没の通達をして間もなくこういうことを聞いてしまうのは、少々心苦しくもあるのですが……」


「大丈夫です、それぐらい期待してくれてた方が僕も気合が入るので。……次の締め切りまでには、最低でも一本は上げられると思います」


 氷室さんの問いに頷き、僕は手元のスマートフォンを取り出す。そこにあらかじめダウンロードしておいた文書を氷室さんに見せると、しばらくして小さな唸り声が返ってきた。


「……どうですかね?」


「……ええ、悪くはないと思います。照屋さんの持ち味は存分に発揮されるであろう設定とキャラですし、彼ら一人一人の個性も決して弱くない。……少なくとも、前と同じ理由で突き返されることはないかと」


 首を縦に振る氷室さんの言葉はとても肯定的だが、それでもどこか歯切れが悪い。普段からズバズバとものを言うタイプの氷室さんにしては、少し遠慮が混じっているように聞こえた。


「……それじゃあ、これで会議は通りますかね?」


 だから、僕はもう少し突っ込んだ問いを投げかける。……すると、氷室さんは縦に振っていた首の動きを止めた。


「正直に申し上げれば、これで通る確率は半分にも満たない――と言ったところでしょうか。小説としての完成度は一作ごとに高くなってはいるのですが、『イデアレス・バレット』を作り上げた作家の自作という事を考えるといささか切れ味が悪いというか、期待に添えるかは怪しいというか」


「……ですよね。氷室さんの様子がおかしいんで、そういう事なんじゃないかと思いましたよ」


 正直に答えてくれた氷室さんに、僕は感謝の意味を込めて笑みを浮かべる。もしも氷室さんが僕を気遣って言葉を選ぶようなタイプだったら、間違いなく作家としてここまで成長することはできていなかっただろう。


『イデアレス・バレット』は、あの時の僕が出せる限界を大きく超えた作品だった。だからこそ成功したし、だからこそ超えるのが難しい。……それは、薄々分かっていることでもあった。


「照屋さんが火付け役になってくれたからこそ、ウチのレーベルはどんどんと勢いを増していっています。作家も増え、その分競争も激しくなった。……そんな中だからこそ、その先駆者であった貴方が埋もれるようなことにはさせたくないんです」


 僕の方をまっすぐに見つめ、氷室さんは真剣な口調で僕にそう切り出す。……そして、珍しく気持ちを落ち着かせているかのように一呼吸を挟むと――


「……早い話が、照屋さんには今の段階からもう一歩脱皮してほしい。……それができることが、照屋さんが新しい第一歩を踏み出すための最たる近道です」


――そんな課題を、僕に向けて提示して見せた。

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