第五話『僕はバレていた』

 思考が完全に停止して、意味のない言葉ばかりが頭の中をぐるぐると飛び交う。色々と聞きたいことも言わなくてはいけないこともあるはずなのに、それが全部音声としてまとまらない。本当に焦ると人は口をパクパクさせることしかできないのだと、僕は今日初めて知った。


――僕が作家であることは、僕に本当に近しい人しか知らない最大級の秘密だ。何なら信二にだって話してないし、高校を卒業しても話すことはないだろうなと思っていたぐらいにはその機密性は高い。……じゃあ、何でそれを前山さんは知っている?


 分からない。何回考えても分からない。学校の中で氷室さんの電話に出たことはないし、母さんたちにもかなり強く口止めをしているから風の噂になるなんてこともない。だったら口から出まかせかと結論付けたくなるが、そう言い切るには問いかけがピンポイント過ぎた。


「……あれ、もしかして違った……?」


 ただただ混乱して無言を貫く僕を、前山さんは少し心配そうな目で見つめる。ここで『違う』と真顔で言えたら僕も一人前なんだろうが、それができるほど僕は人と話す経験を積んでいなかった。


 それに、なぜか不誠実な気がしたのだ。僕のことをまっすぐ見て問いかけてくれている人に嘘をついてごまかすなんて、やっちゃいけない気がしてしまった。……それがたとえ、学校の皆には知られないようにしようと思っていたことなんだとしても。


「…………いいや、合ってる。前山さんが予想した通り、僕は作家だよ」


「わあ、やっぱりそうだったんだ! あたしの眼は間違ってなかったんだね!」


 丁寧に言葉を紡いで前山さんの言葉を肯定すると、手を高らかに打ち合わせて前山さんは明るい声を上げる。……どうやら、前山さんの眼には僕が作家らしく見えていたらしい。


「でも、本当になんで分かったの? 学校の誰にも話してないし、仕事関係のことも学校ではしないって決めてたのに」


 僕と前山さんの接点が学校にしかない以上、前山さんは学校にいる僕の何かを見て『こいつは作家かもしれない』というあたりをつけたわけだ。だってそうじゃなきゃ、僕の学校外での行動を前山さんに目撃されていたことになってしまうし――


「……ええとね、それに関しては複雑な事情があるの。あれは確かね、一年前の六月の話だったと思うんだけど――」


「一年前の六月⁉」


 前山さんが持ち出してきた時系列に、僕は思わず声を裏返しながら突っ込みを入れる。だっておかしいんだ、その時の僕はまだ前山さんがどんな見た目をしているかも分かってないし、顔を合わせたことなんてあるはずもないんだから。


 驚きのままに前山さんの方を見返すと、その頬はどこか恥ずかしそうに赤く染まっている。視線は相変わらずこっちを見たままだけど、その代わりと言いたげに指先が所在なく動き回っていた。


「うん、一年前の六月。照屋君はきっと覚えてないけれど、あたしはその時に照屋君を見てたの。……まあ、名前と顔が一致したのは今年の四月の事なんだけどさ」


 つまり今年の自己紹介の時ってことか。そこで名前と顔が一致したってことは、別にその六月に会話をしたってことじゃないのだろう。とある六月に見つけた名前も知らない僕のことを、前山さんはどういうわけか十か月の間も覚えていたらしい。


「……自分で言うのもあれだけど、こんな印象薄い人間のことをよく覚えてたね。ましてや十か月もの間会ってないとか、普通に印象のある人でも忘れるレベルなのに」


 胸の奥にずきりと鈍い痛みが走るのを感じながら、僕は前山さんに質問を重ねる。時の流れが残酷なのは、僕が一番よく知っていることだった。


 どれだけ『忘れない』と互いに約束したとしても、その約束事態もいつかは忘れられていく。どんなに深い友情を繋いでも、顔を合わせられなければ徐々にその印象は薄くなっていく。……時の流れってのは時に優しくて、だけどたまにゾッとするぐらい冷酷なんだ。


 それを身をもって知っているから、僕は前山さんが覚えていたことをにわかに信じられない。……だが、その問いに対して前山さんは優しく首を横に振った。


「ううん、あの時の照屋君のことは忘れようと思っても忘れられないよ。……それぐらい記憶に焼き付いている大事な物なんだ、あたしにとっては」


「……そんなに、なの?」


「うん、そんなに」


 確認の質問にも力強い答えが返ってきて、俺はまたしても口をパクパクとさせてしまう。……それ以上疑おうと思っても今の前山さんの振る舞い自体が僕を忘れていないことの一番大きな証拠のように思えて、それ以上何も言えなくなってしまった。


 その時の僕は、一体どんな姿を前山さんに見せていたのだろうか。恥ずかしいところでないといいと思いつつ、僕はぎこちなく視線を前山さんに戻す。……すると、前山さんは軽く手を打って話を続けた。


「忘れもしないよ、あの日は強めの雨が降ってた。本を運ぶにはあまりにも向かない天気だったけど、それでもあたしはなぜか本屋に行きたくなってさっき照屋君と会ったあの本屋さんに足を運んだんだ。……そしたら、店の前に照屋君が立ってたんだよ」


「……あの店の前に、僕が?」


 前山さんに言われたことを手掛かりに、僕は去年の六月の記憶をひっくり返すようにおさらいする。確かあの時は普段よりも梅雨らしい梅雨でなかなか本屋にも行けなくて、確かストレスがたまってたような記憶があった。


 僕は基本雨の日に本屋に行きたくない性質だから、それでも行くというのはよっぽど大事なことがあった日のことだ。……僕が覚えている限り、そんな日はたった一日しかなくて――


「……あ、あっ」


 決定的な記憶の一部に僕の意識が追いついて、僕は何とも言えない唸り声を上げる。そして同時に確信した。……前山さんは、僕のことを確かに十か月間覚えていたのだ。


 いや、そもそも一年前の六月と言われた時点で気づくべきだったんだ。あの月に起きた一大イベントなんて、アレを除いてあり得ない。それこそそのぐらいの理由がなければ、雨を押してなお遠く離れたあの本屋になんて行くはずはないんだから。


「あ、思い出してくれた? ……その時の照屋君はね、すごくキラキラした顔で笑ってたの。……雨の中でもはっきりとわかるぐらい、大粒の涙を流しながらね」


 だけど不思議と、すごく晴れ晴れしてるように見えたなあ、と。


 そんな風に思い出を振り返って、前山さんはしみじみと語る。……それを最後まで聞き届けてから、僕ははっきりと首を縦に振った。


「……うん、納得したよ。その日前山さんが見たのは、確かに僕だ」


 今この場がいくら信じられないような状況でも、ここまで聞いてしまったらもう認めるしかない。だってその記憶は、僕の中にも鮮明な思い出として残っているもの。『赤糸 不切』としての僕が、大きな一区切りを迎えた日――


――『イデアレス・バレット』の最終巻が店頭に並ぶのを見届けた、その日の話なんだから。

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