第四話『千尋さんは話したい』

――本当に、何がどうしてこうなったんだろう。


 なぜか僕は今ファミレスにいて、目の前には前山さんが座っている。平日の夕方五時ごろという時間帯のせいもあってか、僕たち以外にお客さんはほとんど座っていなかった。


『話したいことがあるから』と半ば強引に押し切られる形でここまでたどり着いてしまったが、よくよく考えてみると状況はかなり奇妙だ。学食と言いこの場所と言い、今日の僕は食事に常に何かついて回る宿命でも背負っているんだろうか。


「……ドリンクバー、行かないの?」


 状況が呑み込めないままあれやこれやと考えていると、前山さんが不思議そうな声で問いかけてくる。その視線の先にはさっきウェイターさんが持ってきてくれた空っぽのコップがあって、何かを注がれるのを今か今かと待っていた。


 それに気が付いてふと前山さんの手元に目をやると、ぶどうジュースと思しき飲み物がコップの半分を割るぐらいのところまで減っている。今日は春にしては結構暑いし、喉が渇いていたのだろう。……あの書店での遭遇を考えると、前山さんも結構早足であの本屋まで来てたみたいだし。


「いや、今はいいかな。……正直なところ、緊張してて飲み物が喉を通りそうにない」


 苦笑いを浮かべながら、僕は前山さんの問いにそう返す。前山さんが悪い人ではないと分かっていても、この状況に対して出てくるリアクションはただただ困惑ばかりだ。もしも誘われたのが信二だったら今頃有頂天になっていろいろと話しかけたりすることもできたんだろうけど、僕の対人スキルはせいぜい信二の七分の一だ。


「……ごめんね、やっぱり強引だった?」


「うん、多分それは間違いない。なんて言えばいいんだろ、『断る』って選択肢がどこにも見つからなかったって感じかな」


『いいえ』を押してもループするとかじゃなく、そもそもこっちが選べる選択肢が『はい』と『分かりました』しかないようなイメージだ。ましてやその二つが制限時間付きで迫ってくるんだから、どこかにある第三の選択肢なんて探している余裕は一ミリもなかった。


「あはは、まあそうだよねー……。あたしも照屋君を見つけてつい声かけちゃったけど、その後どうするかとかは全く考えてなかったからさ」


 少し頬を赤らめながら、前山さんはこの状況に至った経緯をそんな風に語る。この遭遇の先に何が起こるのか分からない不安感は僕にもあったが、それはどうやら前山さんにも言えたことのようだ。……それで咄嗟にファミレスを選べるあたり、人生経験の差が出ているとも言えるけれど。


 仮に僕が前山さんの立ち位置だったとして、選べる選択肢なんて『立ち話』か『駅まで向かいながら話す』の二択しかないからなあ……。誰かと一緒に行けるような場所なんて、それこそ信二に連れられて向かった経験しかないし。


「……というか、僕の名前覚えててくれたんだね。普段から存在感ないようなもんだし、てっきり記憶されてないものだと思ってた」


 自分の経験値の低さに蓋をしながら、僕は話題をそれとなく切り替える。前山さんはいつもクラスの中心にいるようなタイプなこともあって、僕からしたら天の上の存在だ。前山さんのファンが『高嶺の花』だなんてたとえているのを聞いたことがあるけれど、僕の立ち位置からじゃ花かどうかを判別することも困難だと思う。


 だから僕の名前なんて覚えられてもいないと思っていたのだが、前山さんは意外にもぶんぶんと首を横に振る。『とんでもない』と言いたげなその仕草は、確かに愛嬌があるように思えた。……花の輪郭、少し見えてきたかもしれない。


「まさか、覚えてないなんてことはないよ! だって二年の始業式の時、皆で自己紹介したでしょ?」


「いや、確かにしたけどさ……。僕、相当淡白な自己紹介だったと思うよ?」


 淡白すぎて自分でもよく覚えていないが、確か好きな食べ物と嫌いな食べ物、そしてなんか一言を言ってさっさと教壇を降りたはずだ。時間にして一分も使っていないはずなのだが、どうやらそれでも覚えていてくれた人はいたらしい。


 これは余談だが、前山さんの自己紹介が終わるまでには十分かかった。これは前山さんがノリノリだったわけではなく、前山さんと同じクラスになれたことに狂喜乱舞した男子が暴走した結果起きた事故のようなものだ。文系選択の性として男子が十五人かそこらしかいない教室でそれが起こったと言えば、事の大変さが伝わってくれるだろうか。


 それもあって始業式の下校は相当遅れてしまったのだが、それを咎める声はまさかのゼロ。それどころか今となっては前山さんの人望を証明する武勇伝の一つになってしまっているのだから、前山さんとそのファンたちの寛容さは半端ではなかった。


「あれでも十分だよ、あたし記憶力はいい方だし。……だから安心して、照屋紡くん?」


 誇らしげに胸を張って、前山さんは僕のフルネームを間違えずに呼んで見せる。……信二と家族以外に名前を呼ばれるのは、ずいぶん久しぶりのことなような気がした。


 ぱっちりと開かれた黒い瞳にははっきりと僕が映っていて、前山さんの中の僕は少し戸惑ったように口元をもごもごとさせている。……覚えてくれていることに対してどう返せばいいのか、とっさに言葉が出てこなかった。


「……それで前山さん、『話がある』って言ってたよね。……最後に確認だけど、それって人違いだったりしない?」


 出てこないから、僕は冗談めかしてまた話を動かす。それにまた首を横に振って、前山さんは僕の方を見つめた。


「大丈夫、照屋君で間違いないよ。ラッキーなことにきみを見つけられたから、あたしもつい声をかけちゃったの」


 男子諸君が聞いたら卒倒しそうな殺し文句を添えて、前山さんは僕の疑念を完全に振り払う。……まあ、そりゃそうだよね。ここまでまっすぐにこっちを見てくる人が声をかけるべき人を間違えるなんて、そんなことがあるはずがない。


 だから、ここから向けられる言葉は全部僕へのものだ。それを覚悟して、僕もしっかり受け止めなければ。


「……実はあたし、照屋君に頼みたいことがあるの。お悩み相談というか、苦手を克服する練習というか……うん、そんな感じだと思ってくれればいいよ。……なんだけど、それを話す前に一つだけ確認してもいいかな?」


「うん、それが前山さんにとって必要な事なら」


 決意をしっかりと固めて、僕は前山さんに頷きを返す。大丈夫、この人はちゃんと僕を見ている。僕を見て、僕に何かを頼もうとしている。……それならば、僕も誠心誠意答えなくては――


「……あの、勘違いだったら本当にごめんなんだけどさ。……もしかして照屋君って小説家だったり……しない?」


「……は?」


………………いや、何がどうしてそうなった⁉

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