誤ることもある

 ボタンを押しても、自販機から缶コーヒーは落ちてこない。ボタンを手で覆って確認するが、売り切れのランプがついていなかった。怪訝に思い、釣り銭口へ手をやる。100円玉は落ちてきていない。

 もしかして10円玉足りなかったか。

 硬貨投入口そばの小さなモニターに手で影を作り、先ほどのボタンと同じように覗き込む。

 30円。

 表示されていたのはそれだけだった。

「あ?」

 慌ててもう一度釣り銭口に手を突っ込んだ。当然何もない。

「ちょっと、勘弁してくれ」

 お釣りのレバーを何度も下げる。プラスチックの感触が不思議と重く感じるが、10円玉が3枚落ちてくるだけだった。

「はあ…」

 財布をまた開きながら湿気った溜息を吐いた。今まで生きてきて、自販機に硬貨が飲み込まれたのは初めてのことでは無い。しかし、それは片手で足りるほどしか無かったと記憶しているし、そのどれもが10円玉での事だ。100円玉が飲み込まれたことなど、初めてである。

 感覚的に、10円玉と100円玉には10倍以上の差がある気がする。10円ならギリギリ許してやらないこともなかったが、100円となると許し難い。人間とはそういうものなのだ。

 しかしながら、自分にはこの不条理な現実を変えることは出来ない。あの100円玉はもう返ってこないのだ。その事実はもう覆らない。

 失意に濡れながら財布から100円玉を取り出し、再び投入口へと差し込んだ。

 カカコン。

 釣り銭口に、硬貨が落ちる音がした。思わず舌打ちをしながら、釣り銭口の硬貨を乱暴に掴み取る。

 もう飲み物は諦めるか。そんな考えが浮かぶ。眠気覚ましのコーヒーは昼の楽しみだったが、これ以上イライラしてしまえばコーヒーによるリラックスする時間とで釣り合わない気がした。

 どうしようかと落ちた硬貨を拾った手のひらを広げた。

 そこには硬貨が2枚あった。

「お、おお?」

 返ってきたのか? 今100円を入れたからか? 

 複数の思案が頭に浮かぶ。しかしそれらは、一つの大きな思案に押し除けられていた。

「これ、賢治の」

 握りしめていた硬貨の一方は、100円玉では無い、別のコインだった。少し前の連休に、家族で行った自然公園にあった記念コインだ。息子が欲しいとねだり、一緒に買った物だった。

 100円玉を認識しない自動販売機。釣り銭口から出てきた100円玉ではないコイン。

 ……ああ、なるほど。

「まあ、そういう時もあるわ」

 自分自身への呆れを見て見ぬふりしながら、100円玉を投入口へ入れる。モニターに

100の文字が表示された。

 続けて10円玉を3枚入れ、缶コーヒーのボタンを押す。落ちてきた缶の音が、いつもより騒がしく聞こえた。

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