三者三様

「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」

「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」

「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」

 三人のおばちゃんの叫びに振り返ると、女物のバッグを抱えた三人の黒ずくめの男たちが、一斉に駆けだしたところだった。

 太いの道路から住宅街へと入る、小さな路地。そこに数分前に立ち入った僕を追うように、男たちはずんずん侵入してきた。

「え、ちょっ」

 突撃してくる三人組と相対し、思わず体が強張る。

 それはひったくりの現場に遭遇するという、極めてイレギュラーな状況に自分が置かれたからに他ならない。

 日常生活の中で、明確な暴力の存在と対峙することは殆どない。故に、僕の頭に過る思考は、恐怖と困惑のみ。自身の生が脅かされている。その事実が、僕の体を緊張で蝕んだ。

 助けを欲して周囲を見渡し、振り返った頭を前方へ戻す。前方には少し先に、僕と同様に振り返っている恐怖の表情を浮かべた男性、さらにもう少し先に、驚いているように見える別の男性がいた。彼らはいずれも、互いの顔を視認し合える位の距離にいて、手前の人は自分以外の二人とひったくり犯の三人組を順繰りに首を動かしている。

 ど、どうしよう。

 きっと、僕以外の二人も、そう考えている。直感だろうか。何となく分かった。

 僕は再び振り返る。

 三人組は、もう数メートルというところまで近づいていた。

「うわ、わ、わ!」

 我ながら情け無い声が口から漏れ、道を譲る様に路地の塀にへたり込んだ。無意識のうちに頭を抱え、少しでも小さくなるかの様に丸くなる。

 程なくして、まばらな足跡が通り過ぎた。

 顔をバッと持ち上げる。目の左端に、三人組の黒色が映った。

 僕は急いで首を左へ回した。

 ひったくり三人組の姿を見とめると、ちょうど手前にいた男性が大きく広げ、その様子にたじろいでいる瞬間だった。

 何をしている?

 目の前で起こっている光景に、まばたきをしてしまう。しかし、二、三それを繰り返しても、三体一で相対している彼らの姿は変わらなかった。

 当然の事ながら、ひったくりは犯罪である。そのひったくりを白昼堂々と行った彼らは、他のあらゆる行動に出る可能性がある。

 ナイフや鈍器など、攻撃の手段を持っている

かもしれないし、もっと危険な改造エアガンだとかを撃ってくるかもしらない。

 にも関わらず、男性は三人組に立ちはだかる。

 その顔は赤くなり、汗が滲んでいて、足は何度も落ち着かなく位置を踏み替えていた。

「まじかよ…」

 声が溢れた。

 ひったくり犯に遭遇するなんて、一生に一度あるか無いかだ。

 そんなイレギュラーな事象に、彼は立ち向かっている。まるで、ドラマのワンシーンを見ている様だった。

 ドラマのワンシーンの様、と思ったのは、立ちはだかった彼に対して、ひったくりたちが立ち止まっていることも起因していた。

 横に広げられた男性の腕。それに対峙したひったくりたちは、バッグを抱えたままソワソワと互いを一瞥しては、踏み込んだり、構えたりと、それぞれバラバラな動きを取っていた。

 その様子は、まるで腕を広げた男性だけでなく、何故だか周囲のひったくり同士も警戒している様だった。

 もしかして。

 彼らの背中を見ながら、唐突に緊張感の抜けた思考が頭の中から漏れ出てきた。

 忙しかったり、集中しなければならない仕事の最中、逆にくだらない事を考えてしまう様な、そんな唐突さだった。

 このひったくりたち、三人でひったくりしたわけじゃないのか?

 たまたまひったくりしたら、すぐ近くに同じタイミングでひったくりした奴が二人いたんじゃないのか?

 あるのか、そんなこと。

 あるわけないだろ、と、頭の中のスカした部分が訴える。シンプルに三人組のひったくり集団に決まっている。

 でも、一度そう思ってしまうと、目から入ってくる光景はそうとしか見えなくなる。まばたきを二、三繰り返しても、それは変わらなかった。

「ぐっ、どけ!」

 下らない想像をしていると、ひったくりの一人が声を上げた。想像していたよりも、ずっと若い声だった。

「そ、そうだ! どけ!」

「どけ!邪魔だ!」

 すると他の二人は声を出した一人を見てから、追従するように叫んだ。

 何だろう。何というか、情けなさを感じた。

「…どきません!」

 口々に抗議をしたひったくりへ、男性はピシャリと宣言する。声は僅かに震えていたが、毅然とした態度を崩さなかった。

 幾許かの沈黙の後。

「くそ、邪魔なんだよ!」

 先程同調していた、一番の高いひったくりが、言葉とは裏腹にもと来た方向へ、つまり僕の方へと走って来た。

まずい、また自分事になった。

 僕は起き上がらせた体を再び丸め、こちらへ走ってくる脅威が通り過ぎるのを待とうとした。

 頭を抱える寸前、ひったくりたちの方を見る。背の高い男に倣ったのか、こちらへ駆けてくる他の二人の後ろ。腕を広げた男性と目があった。

 その目にはさっきまでの自分のような、安堵の光は宿っていない。ただ、すがるような眼をしていて。

 僕は腕を広げ、ひったくりの前に立ちはだかった。

「う、じゃまだ!」

 僕の二メートルほど前で立ち止まったひったくりは、さっきと同じ言葉を吐いた。だからか、僕も。

「ぅふぁどきません」

 少し先で言った彼の言葉を反復した。

 その声は自分でも信じられないほど上ずっていて、聞いた瞬間、自分が何をしているのかを脳が理解したのかを一気に理解してしまった。

 何をしているのか。僕は。

 相手はひったくり。犯罪に手を染めるくらいに追い詰められているんだ。何をしてくるか分からない。自分のような運動音痴の大学生ごときが、何をやっているんだ。

 しかし意外なことに、声を上げたひったくりも、その後ろからやって来た二人も、よたよたと足を止めた。そして、お互いの表情を確認するようにキョロキョロと首を回していた。

 額から流れた冷や汗が、眉毛を経由して目頭を掠める。左目に沁みる痛みをやり過ごしながら、ひったくりたちと硬直した時間が流れた。

 そうだ。さっきの人は。

 視線を少し持ち上げ、ひったくりの向こうを見る。彼は腕を広げたまま、こちらへじりじりと歩いてきていた。

 その姿を視界に入れると、同時に別の存在が目に入って来た。

 それは、こちらへ向かって全力で走ってくる男性だった。先ほどひったくりを止めた男性の少し先にいた、あの男性だった。

 男性は鬼気迫る表情でこちらへ突撃してきていて、無駄に姿勢よく背筋をピンと伸ばしていた。

 ひったくりたちの一人も、その姿を見とめたらしく、怯えたように後ずさりした。そして、その距離が腕を広げる男性の後ろ数メートルというところまで近づくと、意を決したようにこちらへ向かってきた。

 自分の体が跳ねるのを感じる。でも、体は退かない。正義感を持っていたから、ではない。単純に、恐怖で体が動かなかったのある。

 そんな僕の様子に、ひったくりは少しだけ減速した。しかしすぐに、抱えていたバックを振りかぶる。

「っらあ!」

 そしてそのまま、力任せにバッグを僕へ投げつけてきた。

 バッグは僕の左肩付近目掛けて飛び、僕は反射的に体を捻りながら、反対方向に飛び退いた。

 ひったくりは地面に転がったバックには目もくれず、一目散といった具合に走り去る。大通りまでの先には、三人のおばちゃんがこちらを見ていたが、ひったくりが走ってくるのが分かると、蜘蛛の子を散らすように大通り側の歩道へと消えていった。

 遮るものが無くなったひったくりは、そのまま大通りへ抜けていき、姿が見えなくなった。

 突然の出来事で呆然としてしまう。それは他の人も同じだったようで、振り返った先では戸惑った様子のひったくりたちが立ち尽くしていた。

 だが、思い出したように、転がる僕の方へ視線をやると、自分を阻むものは無いことに気が付いたのか、後を追って走り始めた。

 しかし、その背中に、さっきから走ってきていた男性が飛びついた。

「ぐあ、く、放せえ!」

「ふぅーっ! はあ、う、ふぅーっ!」

 男性は酷く息切れしていて、問答が出来る状態ではなかった。荒い息を吹きかけながら、ひったくりと男性はもみくちゃと言って差し支えない取っ組み合いを始めた。

 その様子を、もう一人のひったくりと、もう一人の男性、そして自分で見つめる。

 成人男性同士が全力で暴れる様子は、それまでとは違う恐怖感を見せる。

 僕を含めた三人は、誰も動けなかった。

 ややあって、バッグを手放したひったくりは、反対にバッグを抱きしめて横たわる男性を残して立ち上がった。

 息も絶え絶えのまま、よろよろと目の前を通り過ぎていくのをみていると、後ろから「あっ」という気の抜けた声が聞こえた。

 振り返ると、残ったひったくりの持つバッグを、一緒に見ていた男性が手に持っていた。

 マスクで隠れたひったくりの表情は見えないが、こぼれた声のニュアンスと、その立ち振る舞いから、完全に不意を突かれたことが分かった。

 手持ち無沙汰となった最後のひったくりは、まるで耐えられなくなったかのように小さく身震いしたあと、住宅街側へと走り出して先の角を曲がっていった。

 緊張感が残る路地が、静寂で満たされる。

「はあ」

 誰かが声を漏らした。それが自分のものではない、と自信を持って言い切れないほど、体は疲れ切っていた。

「いってえ…」

 小さくこぼしながら、横たわっていた男性が起き上がった。慌てて腰を持ち上げ、彼に近づいた。

「だいじょうぶ、ですか」

「ん、ああ、まあ」

 こちらへ苦笑いを浮かべる男性の服はところどころ破れていて、格闘の激しさを再認識させられた。

「あの」

 曖昧な会話もどきを続けていると、最初に抵抗する意思を見せた男性がこちらへ声を掛けてきた。彼はひったくりから奪い取ったバッグを持ち上げていった。

「これって、えっと」

「ああ、あの人たちのでしょ」

 体に着いた砂を払いながら、男性は大通りの方を指す。促されてそちらを向くと、三人のおばちゃんがこちらへ小走り出向かってきていた。

 その様子を見て、再び二人の方を向く。両者はそれぞれの表情を確認し、僕へ視線を向けたあと、喜びの比率の多い苦笑いを浮かべた。

 河原でヤンキーが殴り合って仲良くなるのって、こんな感じなのかな。

 少し違うか。

 擦りむいた掌を撫でながら、僕も同様の苦笑いをした。

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