回帰的な虎   1

 檻の向こうに、今話題のベンガルトラの赤ちゃんの姿は無い。代わりに、不思議なほど真っ白な直方体が鎮座しているだけだった。

 人混みの中でスマホを開き、今いる動物園のホームページを確認する。やはり日付は間違っていないはずである。

 周りの人たちも、どういうことだと困惑しているようで、きょろきょろと辺りを見渡していた。

 しばらく様子を見ていると、人の流れに気が付く。どうやら、檻の前の看板に集まっているらしい。

 俺はスマートフォンをポケットにしまい、その流れに沿って進み始めた。

 人混みと言っても、満員電車のような寿司詰め状態ではない。ほどほどに人との間隔は確保されている。曇り空に見下ろされながら、スニーカーの踵を擦りながら歩く短くも長くも無い時間は、それほど退屈に感じなかった。

 看板の前に来ると、可愛らしいデフォルメがなされた森の背景に、無骨な明朝体の文字が並んだ張り紙がされていた。

 “ベンガルトラのお母さんと赤ちゃんは、ぐあいがわるくなってしまいました”

 そう記載された張り紙には、昼頃になって突然の事態で告知が遅れてしまったとの謝罪と、次に見られる日程は未定であるという旨が続いている。

「赤ちゃんみれないのー?」

 すぐそばの子供が、母親の裾を引っ張ってぐずっているのが目に入る。まあ、そう思うだろう。俺だってそうである。

 周囲には「がっかり」という雰囲気が立ち込めていて、明らかに活気が失われているのが分かった。

 視線を看板から持ち上げる。森を模したように木々の茂る檻の中には、さっきと同じように直方体が居座っている。自然を意識した空間に、明らかに異質なものが混じっている光景は、違和感がひしひしと押し寄せさせた。

 虎の代わりに、あれを置いているのか?

 ふと、そんなことを思うが、すぐに思いなおす。大方、虎が遊ぶためのブロックか何かなのだろう。あの直方体には何の意味も無い。

 このままあの白い塊を見ていても仕方がない。他の場所を回るとしよう。幸い、と言って良いか分からないが、動物園に来るのなんて何年ぶりかも分からない。せっかく来たのだから、いろいろと回っていこうじゃないか。

 檻に背を向け、歩き出す。が、踏み出した足を引っ込めて振り返り、ポケットのスマホを取り出す。

 せっかくだし、写真にとっておこう。そう考え、カメラアプリを起動した。

 人混みと檻によって、被写体との距離はかなりあるが、アプリのズーム機能で何とか全体を捕らえる。シャッター音は喧噪に消えていった。

 取れた写真をSNSに投稿しようとし、やめる。これだけ投稿しても、何の画像かも伝わらないだろう。

 俺はそのままSNSを開いたまま、今度こそ、檻の前から立ち去った。





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