第41話 死刑宣告

「悪い、マルティン。もっかい説明してくれ」


「キヨウラがヘディングしたボールが、ハヤミの足に当たって……それがキーパーの股下を通り過ぎていったんだ」


「結果だけ素晴らしいQBKだな」


 マルティンと話し合うその横で、そそくさと自陣に戻ろうとするムラサキを見つけた。


「おい、こらムラサキ! わざと俺に蹴り返すなよ! 危なかったんだから……まてって無視すんなー!」


 なんで俺たちはドタバタゴールしか決められないんだろう。

 ほんとはもっとこう、見映えする感じの。ムラサキのパワーシュートとか、マルティンとかの技巧的個人技で鮮やかなゴールを演出したかったのに。


「まあ、でも。とりあえずナイスだぞ、速水」


「これで良かったのか」


「ゴールならいいや」


 ともかくこれで2-2か。追いついた。3点先取のルールだから次で決着がつく。


 試合前はここまでの展開になるなんてまったく予想できていなかった。1点ぐらいはサッカー部に土をつけるのが関の山で、じゃなきゃボコボコにされて終わるかしかなかったはずだ。


 あと1点。本当に勝てるかもしれない。

 そうしたら廃部の撤回を声高々に主張できる。クズだって赤っ恥だ。


 絵空事みたいな作戦が現実味を帯び始める。

 興奮を覚えているのは俺だけじゃないだろう。廃部連合側の歓声がなかなか止まないのは、観客たちの期待が最高潮だからだ。


 反対に、サッカー部への野次が激しくなった。


「おい、サッカー部! 素人相手になに手こずってんだよ!」

「まさか負けたりしないよな!? お前らに俺らの部費がかかってんだよ!」

「県大会出場のくせに恥ずかしくねえのかよ!」

「さっさと終わらせろよ、このタコどもがぁ!!」

「やっぱり顧問が悪いんだよな」


 非難の目はサッカー部員だけでなくクズにも向かった。


「そうそう。あいつが指導なんかやってるから勝てないんだよ」

「いやいや、あのクズ指導なんかしてないって。いっつも怒鳴ってるか職員室に引きこもってるかどっちかだし」

「むしろサッカー部たちは優秀なんだよな。顧問が全部それを台無しにしてるだけで」

「あたし、あいつ嫌い。急に髪とか肩触ってくるし」

「私も私も! なんか目つきやばいよね」

「生徒に手を出すとかやばすぎ」


 当然、クズにも全てが聞こえている。

 クズは全身を小刻みに震わせていた。顔面はこれ以上ないくらいに紅潮しており、視線が左右に忙しなくブレている。


「とっとといなくなればいいのに」


 我慢の限界を迎えたクズがパイプ椅子を蹴り上げた。

 ひどく耳障りな音が響いたが、生徒たちの反応は冷ややかだった。白けた視線が多数、クズに向けられる。居心地の悪さを感じたクズが、ことさら大きな声で怒鳴り散らした。


「審判! タイムアウトだ。作戦会議をする!」


 審判役のキズナ先生は戸惑った反応をみせた。

 もう俺たち選手は配置についている。それに……。


「あいつバカかよ。サッカーにタイムアウトなんかねえって」


 無知丸出しの発言に嘲笑が広がる。

 顧問としてはありえない。いかにサッカーに無関心かが露呈した。


 笑い者にされた屈辱からか、ほとんど呂律の回らない口調でクズは地団駄を踏んだ。


「いいから来いって言ってるのがわからんのか!」


 サッカー部全員が顔を伏せながらクズのもとへ向かう。

 廃部連合軍にとってはありがたい小休止。その中でマルティンだけが心配そうにガンテツたちを見つめていた。


 クズはサッカー部員の一人をいきなり殴りつけた。


「お前らにはガッカリだ。俺に恥かかせるためにわざとやってるのか。ええ? 恩師に対する礼儀がなっとらん!」


 続けて別の部員の頭をはたく。三人目に手を伸ばそうとしたとき、割って入ったのは10番だった。無言で後ろの部員を庇っている。


「なんだぁ? その目は。ガキが先生様に楯突いてんじゃねえ!」


「クズ先生。落ち着いてください」


 ガンテツもクズを止めに入る。

 だがクズの暴走はそれで収まらない。


「お前のせいだぞ、部長! お前がしっかりしとらんからこんな醜態を晒すんだ。俺に恥をかかせて、このあとどうなるか分かっているのか!?」


「すみません」


「期待外れだな。俺の顔に泥を塗りやがって。もういい。お前、試合が始まったらラフプレーを仕掛けろ。相手は……そうだな。清浦でいい。あのクソガキを潰せ」


「……は?」


 ガンテツが面食らった反応を見せた。

 俺もびっくりだわ。教師が暴行の教唆してますよ。


「その体格で清浦に覆いかぶされ。そのとき鳩尾にひじでも入れてやれ」


「………」


「なあに、心配するな。不幸な事故だ。俺がそう言えばそうなる。お前は俺に言うことだけ聞いていればいい」


「できません」


「ああ?」


「非道なことはできません。俺はもう……いえ、俺たちは。仲間に手をあげるあなたにはついていかない」


 サッカー部全員の視線がクズに突き刺さる。

 クズは最初、困惑しすぎて何度も目を瞬かせていた。真っ向から生徒に反抗されたことがなかったせいだろう。意味がわからないといった風な表情だった。


 だがようやく事態を飲み込んだらしい。口の端が痙攣してきた。剥き出しとなった前歯がカチカチ鳴る。


「貴様ら……どいつもこいつも舐めやがって。後悔させてやる!」


 動物みたいな唸り声をあげたクズは、さっき蹴飛ばしたパイプ椅子を高くかかげた。

 ガンテツにむかって振り下ろそうとしている。直撃すれば大怪我になるが、ガンテツは避ける素振りもなくただ静かに目を伏せた。


 一拍置いて、ガシャンと甲高い音。


 だがそれはクズがパイプ椅子を取り落としたものだった。


「ぐっ、うう……!」


 クズは自分の手首を押さえながらうめく。

 一瞬の出来事に俺たちは呆気に取られた。誰かが蹴り込んだサッカーボールが勢いよくクズの手に直撃したのだった。


 誰か、なんて見なくても俺はわかった。

 こういうのを見過ごさない、自称孤高でクールでミステリアスな少女を俺は知っているから。


「すみません」


 下野うらかはまったく悪びれていない様子で言い放った。


「シュート練習したかったので」


「このッ……いけ好かない東京のクソブスが」


「誰がクソブスよ!?」


 一発で怒り狂った下野がクズに飛びかかろうとしている。

 止めるのは俺の役目だった。すぐそばで涼しい顔をしているムラサキが憎らしかった。お前も手伝ってくれよ。


「社会不適合者のゴミどもがっ……図に乗りやがって」


 クズは俺たち三人を睨みつけていた。


「わらわらと集まりやがって虫ケラか? 俺に逆らってただで済むと思うなよ。お前ら全員死んじまえ。いますぐ!」


「これは一体なにごとかね」


「ああんっ!?」


 反射的に噛みついたクズは、その相手を見て凍り付いた。

 そこにいたのは校長だった。だがクズが事なかれ主義の校長を恐れるはずはない。クズが見ているのは校長の隣にいる人物。小綺麗なスーツの老紳士だった。


「あの人誰だ?」


「教育委員会の人だよ」


 いつの間にかそばにきたキズナ先生が耳打ちしてくれる。

 クズは目に見えておろおろとし出した。


「これは、そのう。なんといいますか」


「聞き違いに、見間違いだろうか。生徒に向かって暴言を繰り返した挙句、何度も手をあげているように見えたんだが」


「いやあ、これは……そう! 教育的指導というやつですな! 生徒たちの試合で興奮してしまいまして、つい熱くなってしまったというか」


「それがどうしてパイプ椅子で殴りつけることになる」


 クズは黙り込んだ。玉のような汗が流れる。必死に言い訳を探しているようだが弁明などできるはずもない。口ぶりから全てを見られているのは確実なのだから。


「きみは確か去年も問題行動を起こしていたね。こちらでも把握しているよ、九頭先生。あのときもう一度だけとチャンスを与えたのはどうやら失敗だったらしい」


 クズは身じろぎ一つしない。

 ただ粛々と、自分への判決を待っている。


 そして死刑宣告が下された。


「あなたは教壇に立つ資格がない。追って処分を伝える。それまで自宅待機していろ。もう結衣山にいられるとは思わないほうがいい。人として恥を知れ」


 クズは顔面蒼白になった。今にも卒倒しそうなほどに。

 踵を返した老紳士に縋ろうとして、しかし伸した腕は力なく下ろされた。何をしてもどうにもならないと悟ったのかもしれない。俺には分からないことだが、あの老紳士にはそれだけの発言力や影響力が窺える。


「キズナ先生」


 老紳士はゆったりとした声音で俺たちの担任を呼んだ。


「はい」


「君の言う通りだった。もっと早くここに来るべきだった。すまないね」


「いいえ。貴重なお時間をありがとうございました」


 校長とキズナ先生は深々と頭を下げて、老紳士を見送った。

 長い時間をかけて見送りが済んだところで、校長は早口に捲し立てた。


「キズナ先生、あとのことはお願いしましたからね。後処理は全部キズナ先生がやってくれるというから、今日あのお方をお呼びしたんです。くれぐれも、面倒事を起こさないように。保護者からクレームなんて、もってのほか————」


「お前の仕業か、キズナぁ!!」


 クズは血走った眼でキズナ先生に詰め寄った。

 すぐそばにいた校長は飛び上がって驚いている。


「てめえ、あのクソジジイに余計なこと吹き込みやがったな」


「必要なことを全て報告させてもらいました」


「ふざけんじゃねえぞ! 世の中を何も知らん若造が調子に乗りやがって。俺を誰だと思ってる。俺の家系は結衣山の大地主だ。俺が一言言うだけでお前は結衣山にいられなくなるぞ。それが嫌なら今すぐあのジジイに言ったことを全て撤回しろ!」


「どうぞご勝手に」


「ふん、居直りやがって。まともにクラス運営もできねえ学校の面汚しが」


「なんのことでしょうか」


「とぼけてんじゃねえぞ!」


 クズは俺たちのほうを指差した。


「あることないことホラ吹いて俺を担任から引きずり下ろした虚言癖の清浦透真! 水商売の母親が生んだ暴力行為ばかりの御杖村さきな! そして俺に反抗的な東京モンのクソ女! どいつもこいつも社会不適合者のゴミばかりだ。こんな生徒ばかり抱えたお前はまともな教師か? なんとか言ってみろや!」


 唾を飛ばしながら喚き散らすクズ。

 しかしキズナ先生は淡々と————その瞳の奥に怒りを滲ませながら反撃した。


「恥じることが何一つありません」


「ああ!?」


「清浦も御杖村も下野も、全員が立派な生徒です。彼らは正しいことをしています。理不尽な誹りを受ける謂れがありません」


「てめえ……」


 歯ぎしりをするクズは二の句が継げなくなっている。

 今度は矛先を校長先生に変えてきた。


「校長! このままでは学校に無用な傷がつきますよ。いいんですか!? 私が職を辞すことになっても!? 我が校の評判に関わることですよ!?」


「うーん、でも、もう全部話しちゃったしねえ。それに、面倒なことはキズナ先生たちがやってくれるっていうから」


 いつもの事なかれ主義が全開だ。

 今回はそれがクズに向けられている分、すごく痛快に見える。


「クズ先生。あなたは今後の身の振り方を考えたほうがいい」


「先輩教師に向かってなんだその言い草は! 立場を弁えろってんだ!」


「サッカー部に充てた部費を私的に流用しましたね。横領です」


 ざわっとしたどよめきが広がる。

 特に驚いているのは、当然ながらサッカー部の面々だった。


「なんだと……?」


 泡を食っているのはクズも同じだ。


「ま、まさか、そのことも」


「はい。既に通報済みです。今夜のうちにも警察が訪ねるでしょう」


「な、なに考えてんだ馬鹿が! 第一そんな証拠はどこにもない! 事実無根だ!」


 汗びっしょりになって無実を主張するクズ。

 しかし誰の目にもそれが嘘なのが分かってしまう。それぐらいに挙動不審だった。


「懲戒処分ではおさまりません。そのつもりでいてください」


「た、頼む。キズナ。悪かった、見逃してくれ」


 ここまでの態度とは一転して、クズがすり寄ってきた。ほとんど土下座に近い姿勢で。

 キズナ先生はそれを冷たい目でそれを見下ろしていた。


「謝る相手が違うでしょう」


 その言葉の意味をクズは理解したらしい。

 青筋を立てて反抗してきた。


「誰が、ガキ相手に……」


「謝れ。誠心誠意。清浦たちだけじゃない。あなたがこれまで心無い言葉と暴力をぶつけてきた全ての子供たちに」


 この場にいる全ての生徒がクズを見ていた。


 俺もムラサキも下野も。

 オヤカタもヨウキャも、ガンテツやマルティン、速水だって。

 去年からずっと嫌がらせを受けてきた2年生、まだ入ったばかりの新1年生も。


 張り詰めた静寂のなか、クズは観念したように呟いた。


「もうしわけ……ありませんでした」





 力なく項垂れたクズは、やがて他の先生たちに連れていかれていった。

 もう二度とあいつが姿を現わすことはないだろう。


「終わったのか」


 自覚をした途端、足に力が入らなくなった。

 倒れ込みそうになったところを支えてくれたのは両隣の2人だった。


「へいき? 透真くん」

「ちゃんと立て。トウマ」


 顔面偏差値の高い2人が気遣わしげに見つめてくる。ちょっと照れる。

 動けなくなってるうちにオヤカタとヨウキャまでやってきてしまった。これ以上この恰好を見られるのは気恥ずかしい。ようやく自分の足で立てるようになった。


「キヨ」

『キヨくん』


 オヤカタとヨウキャが口を揃える。いや、ヨウキャはタブレットなんだけど。


「済まない。迷惑をかけた」

『今まで守ってくれてありがとう』


 急におかしなことを言ってくるものだから。

 俺はなんて言うべきか悩んでしまった。


「なに変なこと言ってんだよ。なあ、ムラサキ」


 同意を求めたはずのムラサキは、どうしてか俺の背中を何度か叩いた。

 叩いたっていうか、なんか、まるで労うみたいな感じで。


 何故だろう。噛み合ってない気がする。

 親友1号から3号まで、何を考えているのかわからなくなった。


「あの、キズナ先生。ちょっといいですか」


 少し離れたところで、ガンテツが先生を呼び止めていた。


「なんだい」


「サッカー部はどうなりますか。廃部でしょうか」


 緊張した面持ちでガンテツは口にした。

 その不安を取り払うかのようにキズナ先生は優しく目を細める。


「まさか。顧問がいなくなったらまた新しく任命するだけだよ」


「それは誰が……」


「しっかりと後任が決まるまで、ひとまずは俺が引き継ぐことになる。まあ、そのまま俺が続ける可能性が高いんだけど。それでもいいかな」


「つまり、サッカー部は存続ということでしょうか」


「もちろん」


 答えた瞬間のサッカー部の喜びようが凄かった。

 お互いを抱きしめ合い、雄叫びをあげる。クズの支配からの解放感がなにより大きいんじゃないかと思う。


「マルティン!」


 ガンテツに呼ばれ、マルティンはびくりとした。


「もう一度サッカー部に戻ってくれ。俺にはお前が必要なんだ!」


「………オレが?」


 ためらいがちに立ち尽くしていたマルティンが、一歩だけ足を動かした。

 たったそれだけのことで、衝動を抑えきれなくなったのだろう。目に涙を溜めて駆けだしたマルティンはサッカー部の輪にまざっていった。


「それと、ここにいる全員、聞いてほしい!!」


 キズナ先生が声を張る。


「ここ最近の廃部騒動について。あれは学校側の正式な決定じゃない! 学校を代表して宣言させてもらう! 全ての部活動の廃部は撤回だ! 繰り返すよ。廃部は撤回!」


 今度の反応は両極端なものになった。


 廃部連合の面々、そして廃部を通達されていた生徒は飛び跳ねて喜んでいた。本当に撤回できると信じていた者は少ない。不意打ちなハッピーエンドに人目もはばからず泣いているのがほとんどだった。


 逆に残念そうに落ち込んでいるのは実績ある部活の面々。

 浮いた部費のおこぼれにあずかれなかったのが悔しいらしい。だが周りの空気にあてられたのか、悪目立ちしかねない行いは避けるつもりのようだ。拍手までしてみせるヤツまでいた。


「俺の陸上部も元通りか」


「そうだよ。でも一人だとそもそも存続が難しくないか」


「お前の名前を貸せ」


「嫌だよ」


 なんて、速水と軽口を言い合う。もしかしたら速水は冗談のつもりはなかったかもしれないけど。


 いやあ、良かった。一件落着。

 でもあれ。なんか、忘れている気がする。


「もういいですか」


 揺らぎひとつない水面に小石を落としたみたいだった。

 静かな波紋は、すぐさま大きく広がっていく。


「まだ決着がついていない」


 背番号10番————名もなき1年生はボールを手にしていた。


「こんな中途半端じゃ終われない。最後まで死力を尽くしましょう」


「…………あ」


 そういえば試合が中断してたのを忘れていた。色々ありすぎて。

 でも、もう戦う理由がない。廃部は撤回されたし、クズの最後も見届けた。試合を続けるモチベーションが皆無なのだ。


 そんな俺たち廃部連合軍の心中を察しているだろう。

 ガンテツは申し訳なさそうに頼み込んできた。


「すまないが、付き合ってくれないか。こいつは言い出すと止まらないんだ。それに俺自身、今更こんな不完全燃焼では終わりたくない」


「……そうか」


 そういうことなら、まあ。


「よし! やるぞ、みんな!」


「ウン、やろう!」


「まだ走っていいのか?」


「あたしは降りるぞ。もうこれ以上手助けをしてやる義理はないから」


 え?





 サッカー部vs廃部連合軍


 3点目は、ものの数分で決まった。

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