第40話 足し算にすると

 廃部連合軍が1点決めた。


 しかし、なぜかフィールドは静まり返っていた。

 居心地の悪さが込み上げてくる。いや、あの、ブーイングでもいいから何か言えよ、オマエラ。初得点やぞ。


 ぽつんと立ち尽くしていると、ふいに強い力が俺を引っ張った。

 ムラサキだ。体操服がのびるからやめてくれないかな。


 問答無用で観客席にまで連行された。

 俺の背中を押して、ムラサキは声を張り上げた。


「トウマがゴールを決めた!」


 その剣幕と怒声に観客たちがざわめく。

 おろおろとした眼差しを周囲に向けている。

 ムラサキが俺の胸を叩いた。


「こいつがトウマだ。白けてないで騒げよ」


 ほんの一瞬だけ無音の時間があった。

 だが一拍遅れて、鼓膜を破りかねないほどの歓声が沸き起こった。

 思わず耳を押さえる。それでも凄まじかった。


「ウオオオオオ!!」

「よくやったぞ清浦―!!」

「さすが廃部連合のリーダーだ!」

「そのままハットトリック決めちまえよ!」


 熱い手のひら返しだ。

 ほんの10分くらいにはブーイングの嵐だったくせに。


 それにこの劣勢を変えたのは俺じゃない。

 前半までの悪い流れをぶった斬った功労者は俺の隣にいる。


 ムラサキは満足げに胸を張っていた。まるで自分が褒め称えられているみたいに。

『男を立てられる女だから』なんて戯言をと思ったけど、マジで大和撫子か女神に見えてきて困る。


 しゃがみ込んだ俺はムラサキを肩車で持ち上げた。


「わっ、おま、なにをっ」


「こいつはムラサキ! 俺の最高の相棒だー!」


 さっきよりも大きな歓声。おもに男連中の。

 そりゃそうよな。俺よりこいつの方が気になるよな。


「超強いだろ? 超可愛いだろ~? ファンになってもいいぞ。でもうっかり惚れるなよ、痛い目みるぞ!」


「はなせっ、この、へんたい!」


 ボコボコと頭上から拳が振り下ろされる。

 一撃一撃が重すぎる。たまりかねて足を放すとムラサキは俺の肩を蹴って跳躍した。体操選手みたいに綺麗な着地をする。


「ばーか」


 ドスドスと足音を響かせながらムラサキが先をいく。

 俺も慌ててその後ろに続いた。


「おーい、まちなよ————」


 いつの間にか、ムラサキの目の前に角刈りの男が立っていた。九頭ことクズだ。

 俺は全力ダッシュで駆けた。クズから隠れるようにムラサキの前に立つ。


「なんか用ですか」


「おー、こわいこわい」


 クズが手を叩いて嗤う。所作の一つ一つが癇に障る。

 わざわざフィールドに出てきたんだ。こういうときは嫌味を言ってくるパターンに決まっている。


 睨み続けるだけの時間が流れる。

 意外なことにクズは何も言ってこない。ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべているだけだ。


「もういいだろ。トウマ、いくぞ」


「あ、ああ」


 ムラサキが常に隠れるように間に入りながら、クズから距離を取る。

 気まぐれだったのか、クズは何もしてこなかった。ようやくほっと胸を撫で下ろしかけたときだった。


 わずかに場が静まった瞬間を狙うみたいに。

 クズは聞えよがしに言い放った。




「売女の娘が。いきがってんじゃねえぞ」




 俺は反射的に踵を返した。

 ぶっ飛ばしてやる。


「行かせてくれ。ムラサキ」


「トウマ。相手にするな」


 行く手を阻むように、いや、もうほとんど抱き着くようにしてムラサキが俺を止める。いつもなら、ここで俺も収まりがつく。力関係でムラサキに敵わないから。


 でも今だけは、ムラサキを突き飛ばしてでもあのクズのところへ行かなきゃダメだ。


「どうしたぁ、清浦。事実だろ? そいつは売女が客との間に生んだクソガキ。どこが間違ってんだ? 皆にわかるように説明してみろよ」


「黙れよ!!」


 選手が、観客が、通りすがりの誰もがこちらを見ている。

 よくない。これはよくない。余計な注目を集めている。

 どいつもこいつも、こっち見てんじゃねえよ。聞き耳立てんな。


「————トウマ」


 頭二つ分は低い位置から、ささやくように俺を呼ぶ。

 上目遣いのムラサキと目が合った。その瞬間、頭に上っていたはずの血が急速に引いていくのを感じた。


 理不尽な暴言に晒されているのは自分のくせに、ムラサキはむしろ俺の方を案じていた。勝手に熱くなっていたのが恥ずかしい。


 落ち着くためにその場で深呼吸。

 俺はムラサキの両肩をつかんで言った。


「ムラサキ。今まで黙っていたことがあるんだけど」


「なに」


「俺、実は耳フェチなんだ」


「…………は?」


 ムラサキが身を引こうとする。

 俺は両肩をつかむ力を強めた。


「あと髪も。足し算にすると、長い髪を耳にかける動作にすごい興奮する」


「い、意味がわからない。こわい」


「前々から好みの耳と髪だと思ってた。黙っててすまない」


「知りたくなかったんだけど」


「カミングアウトついでに触っていい? 今」


「………」


 ムラサキは少し震えた手で自分の髪を梳いた。

 真剣な顔になって、指に絡ませた毛先を凝視している。


「少し手入れを————」


「待てない」


 許可が出る前に手が出てしまった。耳たぶに触れた途端、ムラサキは「あっ」と吐息をもらす。ちょっと色っぽい反応に困った。


 一応言っておくが、俺こと清浦透真は耳フェチではない。髪フェチでもない。


 ムラサキで性癖を満たすフリをしながら俺は両手で耳を塞いだ。

 クズの言葉なんて聞かせたくない。ムラサキが気にしない態度でいたって、本当のところはどう感じているかなんて誰にもわからないんだから。


「男好きは遺伝か。将来は母親に似て結衣山で1番のアバズレになってるだろうよ」


「よーしよし良い子だねえ。いやあ、この感触たまりませんなあ」


 わしゃわしゃとムラサキを撫で続ける。

 適当な言葉でクズの嫌味を相殺する。クズが1回なんか言ってきたら俺はムラサキを5回は褒めちぎってやるんだ。


 足早にクズに駆け寄っていく人影が見えた。

 やっとかよ。遅いぞ、キズナ先生。さっさとそいつ止めてくれよ。


「く、クズ先生。いい加減に、してください」


 仲裁に入ったその声は。

 怯え切ったみたいに震え上がっていた。


 え?


「なんだァ? てめえ……」


 ぎょろりとクズが眼を剥いた。

 マルティンはその恵まれた身体をさらに縮こませている。口をきゅっと結び、恐怖に耐えようと目まで瞑っている。


 だが、何かが突き動かそうとしてくるのだろう。

 意を決してマルティンは一歩前に出た。


「こ、これ以上、ひどい言葉を使うなら————」


 マルティンが後方によろめいた。

 クズに腹を蹴られたからだった。


 女子の悲鳴がそこかしこで上がった。


 うずくまるマルティンに、クズが詰め寄る。


「おいガイジン。目障りだから消えろって言ったよなあ。まだ辞めてなかったのかよ」


「サッカー部は退部しました」


「学校から消えろって。日本語通じねえのかよ。まあしょうがねえよな。そんなきたねえ肌、日本じゃありえねえもんな。とっとと自分の国に帰れよ」


「ぼ、ボクは、生まれも育ちも、日本です。話せるのだって日本語だけで、だ、だからボクは日本人……」


「ごちゃごちゃうっせえな。きいてねえんだよ。お前が日本人? 笑わせんなよ」


 クズは、座り込んだマルティンの頭を何度もはたく。


「オメエみたいなのが混じってるとよォ、白けるんだよ。場違いだってわからねえか。みーんな迷惑してんだ。お前の居場所なんてどこにもねえんだよ」


「そ、そんなことは……」


「周りみろよ。どこにお前と同じヤツがいんだ? あ?」


「っ……」


 見るまでもなく同じ肌の持ち主はいない。

 マルティンもそれをわかっているからか、あたりを見渡すことはなく俯いてしまう。

 俺はムラサキから手を離した。ムラサキも、俺がそうするってわかっていたみたいだった。


 俺はクズとマルティンの間に無理やり入った。


「何のつもりだ! 清浦ァ!」


 首根っこつかんで、マルティンを起こす。

 驚いた顔のマルティンが俺を見下ろす。そう、見下ろしてくるんだ。ちゃんと立てば超人になれるのに、こんなクズの前で小さくなるのはもったいないぞ。


「同じヤツなんていなくても平気だ。誰とでも徒党は組めるから」


 まじまじとマルティンが見つめてくる。

 俺もしばらくそれに付き合っていたが、途中で耐えきれなくなって目を逸らしてしまった。いや、団結はアリなんだけど、そんな純粋な瞳を向けられると困るわ。


「俺を無視してんじゃねえ!」


 クズは肩をおさえながら喚いている。しかも尻餅をついた状態で。

 ああ、2人を引き離したときに倒れたのか。


「教師に暴力を振るっておいて、タダで済むと思うなよ。お前ら全員退学にしてやる」


「さっきマルティンを蹴ってましたよね。そっちの方がよっぽど暴力じゃないですか」


「俺のは指導だ。だいたい、ガキが大人に歯向かいやがって……」


 クズの言葉は続かなかった。

 キズナ先生を含めた数人の教師が仲裁に入ってくれたからだ。


 キズナ先生が、向こうへ行けと手で示す。

 俺はマルティンの腕を引いてその場を離れることにした。


「ムラサキや俺を庇おうとしてくれたんだろ」


「だって、きっとつらいから……」


「————ありがとう」


 心からの言葉だった。


 自陣に戻る。

 ムラサキはディフェンスラインで腕を組んでいた。

 近くにいろって言われてたっけ。いそいそと横に並ぶとムラサキが口を開いた。


「2点目はどうする」


「なんで俺?」


 こういうのはマルティンだろ。

 と思っていたら、当の本人も俺を見ていた。いつの間にか速水もやってきている。

 全員が全員、俺の発言を待っている状態だった。


 俺を祀り上げる流れ、一旦やめない?


「えー……」


 面々を見渡しながら頭をフル回転。

 でもやっぱり確認しておきたいのは……。


「ムラサキも守備やってくれるのか」


「トウマがやれって言うなら」


「オケ。まずは4人で守るところからだな」


 サッカー部の攻撃から再開することになる。

 ここでボールを奪えないと2点目も何もあったもんじゃない。

 守り方はあとで伝えるとして。


「走るぞ。防いだら即カウンターだ」


「任せろ。まだ走り足りない」


「うん。ボクも大丈夫だよ」


 ムラサキからだけ返答がない。

 言われなくてもオッケーと解釈しておく。


 直感だが、モタモタした戦い方ではいけない気がする。

 攻撃に時間をかけたら勝てない。速攻で点を決める。


「じゃあいくぞ」


 試合再開。


 サッカー部たちの目の色は、さっきまでとは違った。

 零封して勝って当然の相手からの失点。しかも起点になったのは女子のムラサキだ。県大会出場のやつらにとって心穏やかでいられる場面じゃない。


 ムラサキやマルティンを自由にさせないのは予想通り。

 2人にはマークがついた。かなり近い。それだけ警戒しているのが伝わってくる。ムラサキは不愉快そうに距離を取ろうとしていた。


 右サイドからまたしても10番が上がってくる。

 どれだけ他の選手でボールを回していても最後には必ず10番を使おうとしてくる。それだけの能力を持ったプレイヤーだから。まして、失点したばかりならすぐに得点したい気持ちを抑えらなくなる。


 中央のサッカー部員が右サイドに目を走らせた。

 瞬間、俺はポジションを離れてインターセプトを狙いにいった。


 10番への鋭いパス。タイミングは完璧に合っていた。でも俺の動きだしとスピードが甘かったらしい。爪先がわずかにボールに触れたが、カットするまでに至らなかった。


「なっ……」


 パス軌道が変わり、10番は本来より後ろでボールを収めた。

 息つく暇は与えない。


「ゴー! 速水!!」


 ほぼ逆サイドからこちら側にまで俊足の男が駆け抜けてくる。

 10番と速水のマッチアップ。勝算はある。たぶん、きっと。あいつが俺の指示通りに動いてくれるなら。


 10番は細かいタッチで揺さぶりをかけてきた。

 ボールを囮にしてワンアクションで置き去りにするあの得意技は速水には通用しない。単純なスピード勝負では分が悪いと感じ取っているんだろう。だからボールさばきで翻弄しようとしてくる。


 その攻め方は速水には効果的だ。走力はあってもボールの動きには慣れていない速水は後手に回る。足を開いたところを股抜きにされ、あっさりと突破を許した。


「ついていく……ついていく!」


「っ!?」


 すぐさま反転した速水が10番に再び並んだ。

 サッカーにおいて、一度相手に抜かれると追いつくのは至難だときく。

 だがスピードバカのあいつなら可能だと踏んだ。


 10番がまたボールテクニックを魅せつけてくる。

 速水の足が鈍った。目はボールに釘付けになっている。


「飛び込むな! さっき言った通りに!」


 10番の動きに合わせて、速水もスライドする。

 ただし、ボールを取りにはいかない。両者の距離が常に一定になるように速水はゴール前に立ちはだかる。それだけで10番は思うように攻めづらくなる。


 言うは易く行うは難しの典型のはずだが、ここまでやってくれるとは。


 サッカー部同士が目配せし始めた。

 声掛けなしで意思疎通ができるチーム練度は流石だが……。


 痺れを切らした10番が別のサッカー部員にボールを預けた。

 速水はすぐさまボールホルダーとなった選手に向かっていく。

 このあとの展開、俺にはなぜか先が読める気がした。


「戻れ! リターン!」


 俺の声に、速水は反射的に動いた。

 回れ右をして10番に戻っていく。


「えっ!?」


 サッカー部員が驚愕の声をあげた。

 速水が駆け出したのとほぼ同じタイミングでボールを10番に返してしまったからだ。俺も10番にプレスをかけに走っていた。


「ぐっ……!?」


 俺と速水に挟まれる形になった10番はボールをキープできない。

 視界の端でムラサキとマルティンが上がっていくのが見えた。


「運んでくれ! 速水!」


 韋駄天の背中はあっという間に遠ざかっていた。

 シュート精度が悪い速水がボールを前線へ運ぶには、自分の足で駆けていく他ない。だがドリブル技術だってなまくらみたいなものだ。やり方は一つだった。


「ほっ! よっと」


 誰もいない場所にパスを出し、それを1人で回収する。

 敵が迫ってきても同じこと。また誰もいないスペースにボールを逃がし、それを自分で追いかけていく。


 アホみたいだって笑うかい?


 でも、サッカー部たちの誰も阻止できてない。

 ここまで速水が縦横無尽に動き回れているのは、ムラサキとマルティンがマークを散らしているからだ。おまけに今はカウンターで敵側に人数が足りていない。


 稲妻みたいなジグザクドリブルが敵陣を裂いていく。

 無茶苦茶な軌道ながら、確実にゴールに近づいていっている。


 ガンテツの意識が目の前のマルティンから逸れる。

 このタイミングだ。


「速水!」


 寸前までトップスピードで走っていたくせに一瞬でピタリと止まる。

 俺の姿を探して、速水はパスを出してきた。足元に収めにくいブレまくった球だった。けれど構わない。どうせダイレクトで流すから。


「そこにいるよな?」


 パスターゲットを探さず、俺はそのポイントにパスを出した。ほぼシュートみたいな勢いで。

 選手たちの波の中から、小さな身体が猛然と飛び出してきた。

 敵のマークを振り払いながら、ムラサキは俺のパスに食らいついた。


「………ちっ!」


 ここまで舌打ちがきこえてきた。

 俺のパスをトラップしそこねて、ボールが浮いた。よし、久しぶりのトラップ勝負は俺の勝ちだ。


 だが、すぐに俺は敗北感に打ちひしがれた。


 ムラサキは大地を蹴って跳躍した。

 オーバーヘッドでボールを捉えている。俺が見えたのはそこまでだった。


 右の利き足が振りぬかれる。またしてもインパクトの瞬間は見えなかった。人を蹴っているのか球を蹴っているのかわからない音が響いた。

 次にすぐ近くの地面が不自然に抉れた。ああ、直接ゴールじゃなくて一度バウンドさせたんだな、なんて思ったときだった。


 顔面にサッカーボールがせまっていた。


「俺に返すなぁぁあああああ!!!」


 どうにか着弾を額で受ける。

 だがまともに受け身を取れず俺はひっくり返った。

 くそ。またムラサキに負けた。


 いや転がってる場合じゃない。

 早く起きないと……。


 だが直後、耳をつんざくような歓声が上がった。


「え?」


 なに……?

 何が起きた?


 呆気に取られた顔でマルティンとガンテツが棒立ちになっている。

 2人の視線を追う。ボールはゴールネットを揺らしていた。


「は?」


 誰が決めたんだ?

 すぐ横に立っていた速水がこんなことを呟いた。


「急にボールがきたから」

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